琵琶湖で出遭った奇妙な人
花野誉

京都にいた頃、
付き合っていた京男Nが、大の釣り好きで、バイクの後ろに乗っけられ、よく琵琶湖へバス釣りに行った。

Nと私の共通の友達、徳島出身のSも釣り好きで、三人でよく琵琶湖に行った。
Sもバイクで行った。

よく訪れたのは雄琴。
ウェーダーを着て、湖に浸かって釣りをした時がいちばん釣れた。
ブルーギルを釣ったかと思ったら、そのブルーギルに大きなバスが喰い付いてきて格闘したのは面白かった。

私は、特別釣りが好きでもないので、しょっちゅう、琵琶湖に行ったけれど、釣り自体にはすぐ飽きて、周りをぶらぶら散歩したり、琵琶湖をボーッと眺めることを楽しんだ。

琵琶湖は、眺めるだけでも全然飽きない。
琵琶湖のあちこちに行ったけれど、その位置その位置で表情が変わる。
特に、北の方で見ると、その得も言われぬ素朴さに、古の人も同じ景色を眺めたのかと思い、胸がいっぱいになる。
琵琶湖もだが、この美しい湖を有する滋賀県も、私にとって愛してやまない土地。
理由はたくさんあるが、なにせ居心地が好い。心身が喜ぶ土地。
住めるなら住みたい。

船の仕事をしていた頃、同じマリーナに、滋賀県に自宅があり、琵琶湖でも船を持ち仕事をしている船長がいた。
仲良しグループの一員なので、集まる際は滋賀県と琵琶湖の話を前のめりで聞いた。
有名な芸能人夫妻の別荘があり、コンビニで、その夫君の方にちょくちょく会い、挨拶したりお話すると言う話には、皆が食いついていた。
奥方はマネキンみたいに美しいそうで、声なんて掛けられたもんじゃないと言っていた。
なにげに自慢話だった。
それでも、滋賀県と琵琶湖の香りを纏っている人には、勝手に惹かれてしまう。
自慢話も笑顔で聞けた(笑)

話が逸れた。

NとSと私で、また雄琴へ釣りに行ったある日、私は早々に飽きて、ベンチに座って、彼らが釣りに勤しむ姿を横目で見つつ、琵琶湖を愛でていた。

ふと気づくと、いつの間にか、二つ離れたベンチに、サラリーマンらしきスーツ姿の男が一人座っていた。
鞄も何も持たず、ただ私と同じように琵琶湖を眺めていた。

昼休みでのんびりにしに来たのかな、くらいに思って、また琵琶湖を眺めていたら、その男が立って、トコトコ歩き出した。
歩き出して、左斜め向こうにある階段を降りていった。
その階段は岸壁から琵琶湖に降りれる階段で、恐らく、小舟を着けて、そこから上がるためのものかなと、勝手に私は認識していた。

その階段を男が降りていく。
さすがに興味を引かれて、彼を見ることにした。
私の場所からは、彼が階段を降りて、小さな踊り場で膝を抱えて座り、湖を見つめているのが見えた。
ちょっと異様な感じがしていたら、NとSからも、そのサラリーマン風の男が見えたようで、二人共こっちにやって来た。

「あの人何してるん?」
と、Sが聞いてきた直後だったと思う。
その男が頭から琵琶湖に落ち、いや、飛び込んだ。
我々は慌てて岸壁に近寄った。
その男は、バッシャンバッシャン手を上下に藻掻き、でも顔は素のままなのが、奇妙で怖かった。
わざとやっているようにも見えたし、あまり目にすることのない場面にたじろいだこともあり、私達三人は十秒程、突っ立って、只見ていた。
急に我に返ったNとSが慌てて走り出し、階段を降り、もう一人、通りすがりのおじさんも降り、どうにかして、バッシャンバッシャンする手を掴み、岸に引き寄せた。
引き寄せたら、彼はプールから上がるみたいに、よいしょっと上がってきて、助けにいった三人に何も言わず、そこをすり抜け、全身ずぶ濡れのまま、また元いたベンチに来て座った。
私達は呆気に取られて彼を見つめていた。

NとSは不思議な面持ちで彼を見ながら、彼の前を通り過ぎ、私の前にやってきた。
「どうしたん?あの人、どうしたん?」
Sはお茶目で屈託のない、あけすけに物を言う男だったけれど、この時はすごく小さな声で話した。
Nは「思うところがあったんやろう」と、これまた小さな声で話した。
私は何も言わず、びしょ濡れの男をそっと見ていた。

その後、三人で小声で話し合い、また彼が飛び込んだら大変だから、もう少しここで釣りをしようということになった。

彼らはすぐ、釣りに没頭していったけれど、私はその男が気になって、琵琶湖を愛でるところではなくなった。
頭の中でこの先の展開や、彼の人となりなど、色んな想像をした。

だいぶ経ってから、彼はスッと立ち上がり、何処かへ行ってしまった。

私は妙な緊張感から解き放たれ、またゆっくり琵琶湖を眺めることができた。





散文(批評随筆小説等) 琵琶湖で出遭った奇妙な人 Copyright 花野誉 2025-08-28 14:46:57
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