https://youtu.be/8LW490ko6jI
南京もいいけど、通州もね♪
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終戦80年というわけで、自責思考のパーティを官民一体、集団、個々人でやっている。おれにはどうだっていい。おなじことを毎年くり返しているだけだとわかっているからだ。戦争と平和についてなにか鋭い考察というものを加えたくなる心情は理解する。当事者であれ、そうでなくともなにか情緒を超えたものを追求してくれる存在には敬服を憶えてしまう。それが上の動画だったりする。きれいな戦争というものがあるのか、きれいな軍隊というものがあるのかのようにメディアはいう。まるで日本軍だけが血にまみれていたかのようにいう。まるで日本人だけが狂っていたかのようにいう。それについておれはうんざりだ。もうそういった話には加わらない。深夜の討論番組で辻元清美が「他虐史観」と書かれたパネルをあげてから、もう20年いじょうが経っている。おれは云いたい、おれは罪人じゃねえと。べつに愛国心は欲しくはないが、自虐心というものは消していきたい。おれはものを書く過程で、多くの人間を傷つけて来たが、それらは作品の完成によってすべてが贖われたと信じたい。でなけりゃ、いったいなんなんだ? おれはただ屁を放いてただけなのか? おれが他人や世界から受け取ったものがすべて戯言でしたというわけか?──ちがう。戦争というのはただの口実に過ぎない。ひとつの口実によって無知な群衆を一網打尽にする目論見だ。戦争は神話の時代を再現するための、現代的な舞台だ。母なる邦、父なる神、そして列強という名の鬼のいる舞台だ。演出家は世界金融、観客は資本家とメディア、そして未来の子供たち。おれたちはけっきょく手のひらで転がされただけだ。歴史家の手のひらによって。
あるいはこういっても善い。神殺しをしなかったわれわれの上の世代の人間はみんな愚かだったと。裕仁天皇の意思や、実際の指揮系統がどうであれ、かれを神の座から降ろしてゆくだけの主体性がわれわれの国にはなかった。だからいまも戦争責任と無縁なところで『皇室ファミリー』などといっておちゃらけていられるのである。おれは叶うならば佳子さまと濃厚なロイヤル・ファックがしたいところだが、それは邦の妹と交わることといっていい。でも、こんな一見過激な態度を以てしても神なる父はビクともしないだろう。われわれが交わすことのできる辞はたった三十一文字の短歌という名の批評でしかないからだ。
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荒川「な、後藤さん。警察官として自衛官として、俺たちが守ろうとしているものってのはいったい何なんだろうな。前の戦争から半世紀、俺もあんたも生まれてこの方戦争なんてものは経験せずに生きてきた。……平和、俺たちが守るべき平和。だがこの国の、この街の平和とはいったい何だ? かつての総力戦とその敗北、米軍の占領政策、ついこの間まで続いていた核抑止による冷戦とその代理戦争。そして今も世界の大半で繰り返されている内戦、民族衝突、武力紛争……そういった無数の戦争によって合成され支えられてきた血塗れの経済的繁栄。それが俺たちの平和の中身だ。戦争への恐怖にもとづくなりふりかまわぬ平和。その対価をよその国の戦争で支払い、、そのことから目をそらし続ける不正義の平和……」
後藤「そんなキナ臭い平和でも、それを守るのが俺たちの仕事さ。不正義の平和だろうと、正義の戦争よりはよほどマシだ」
荒川「あんたが正義の戦争を嫌うのはよく判るよ。かつてそれを口にした連中にロクな奴はいなかったし、その口車に乗って酷い目にあった人間のリストで歴史の図書館は一杯だからな。……だがあんたは知ってる筈だ。正義の戦争と不正義の平和の差は、そう明瞭なものじゃない。平和という言葉が嘘つきたちの正義になってから、俺たちは俺たちの平和を信じることができずにいるんだ。戦争が平和を生むように、平和もまた戦争を生む……単に戦争ではないというだけの消極的平和は、いずれ実体としての戦争によって埋め合わされる……そう思ったことはないか?」(映画『パトレイバー2』より)
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鈴木清順の映画『春婦伝』では支那大陸で春をひさぐ晴美という慰安婦が登場する。そして新兵・三上と出会い、逃避行の末ともに死ぬのだが、この作品でおもに描かれているのは軍隊への組織批判である。天皇の威を借りる士官たち、まぼろしの五族協和、大東亜の夢に泥酔した兵士たちの無惨な骸をだれが抱いてやれたのか。いまもって罪人として裁きつづけるのか、それとも時代のせいにするのか、将又ひとりひとりが心のなかで赦すのか。BBCを観ろよ、あれじゃ、まるで勝ったのが正義だっていっているのとおなじだ。猿でもできる反省を戦勝国はしない。だれも謝らない。この価値観にいつまでひれ伏すのか。
ほかの国や、ほかのやつらのことはどうでもいい。おれは降りる。善人になるつもりはない。おれは悪童でいたい。疎開先で妹を失った祖父が眠っているだろう、どこかの町の病院を懐い浮かべるだけである。
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その反省の結果とやらをロシア・ウクライナ戦争に接続して考える必要があるようにおもうが、生憎知力がおれにない。だれか、やってくれ。