蟷螂 。
田中宏輔
蟷螂よ その身に棲まふ禍(まが)つもの おまへの腹はおまへを喰らふ
小学生のころに、道端とかで、カマキリの姿を見つけたりすると、ぼくは、よく踏みつけて、ぐちゃぐちゃにしてやった。踵のところで、地面にぎゅいぎゅいこすりつけてやった。ときには、そのほっそりとしたやわらかい胴体を、指で抓み上げて、上下、真っ二つにぶっちぎってやったりもした。すると、お腹のなかから、気味の悪い黒褐色の細長いものが、ぐにゅるにゅるにゅるぐにゅるにゅると、のたくりまわりながら飛び出てきた。本体のカマキリのほうは、とっくに死んでいるのに、お腹のなかに潜んでいたそいつは、踏んづけてやっても、なかなか死ななかった。バラバラにしてやっても、しぶとく動いていた。ぼくは、そいつがカマキリのほんとうの正体か、それとも、もうひとつ別の姿か、あるいは、もうひとつ別の命のようなものだと思っていた。そいつがハリガネ虫とかと呼ば
れる、カマキリとはぜんぜん別個の生き物であるということを知ったのは、中学校に入ってからのことだった。そいつは、カマキリのお腹のなかに棲みつきながら、カマキリの躯を内側から蝕んでいくというのだ。そのことを知って、カマキリを殺すことがつまらなくなってしまった。そしたら、とたんに、カマキリの姿を目にしなくなった。見かけることがなくなったのである。不思議なものだ。それまで、あんなによく出くわしていたというのに。
カマキリは、学名(英名とも)を Mantis といい、それは「巫」の意を表わすギリシア語に由来するという(『ファーブル昆虫記』古川晴男訳)。たしかに、カレッジ・クラウン英和辞典で調べると、語源は、ギリシア語のアルファベット転記でも mantis であった。神託(oracle)を告げるというのだ。ぼくは夢想する。カマキリが、蝶の姿となったぼくの躯を抱きしめ、ぼくを頭からムシャムシャとむさぼり喰っていく様を。まるで陸に上がったばかりの船員が女の身体にむしゃぶりつくように。その荒々しさが、ぼくは好きだ。二の腕に黛色の入れ墨のある若くて逞しい船員の、潮の匂い
がたっぷりと沁み込んだ、男らしいゴツゴツとした太い指。その太い指に引っ掻きまわされて、くしゃくしゃにされる女の髪の毛。それは、ぼくの翅だ。カマキリは、その大きなトゲトゲギザギザの前脚で、ぼくの美しい翅をバラバラに引き裂いてゆくのだ。そのヴィジョンは、ぼくを虜にする。
蝶のやうな私の郷愁!(三好達治『郷愁』)。ぼくの目は憶えている。ぼくの美しい翅が、少年の指に粉々に押し潰されたことを(ヘッセ『少年の日の思い出』高橋健二訳)。ぼくの目は憶えている。その少年の指が、ぼく自身の指であったことを。ぼくの指が、ぼくの美しい翅を、粉々に押し潰していったことを。