『HUNTER×HUNTER』試論
杉原詠二(黒髪)

生活が苦しいとか、遊ぶ時間がないとか、だから何なんだろう。その人なりに生きるしかなかっただけだ。同情の気持ちを持つべきなのか。わたしが生活を手伝ってあげればいいのだろうか。政治は何をしているのか。わたしは生きていてはいけないのだろうか。わたしは楽しいことをしてはいけないのだろうか。わたしは勉強をしてはいけないのだろうか。戦っているものだけが偉いのだろうか。友の戦いを共に戦うのが偉いのだろうか。私は主に、『HUNTER×HUNTER』への批判を述べているだけだ。あんな友情は嘘なのではないか。今のところは。縁によってつながって、友と敵に分かれる。友とは共に戦う縁があった。敵とは殺し合う必要があった。協力して戦う中で何が生まれるんだ?それは差別心ではないか?共通の敵を持ち、闘い抜くことで、己の強さを誇示し合い、強き者だけが生き残る。強き者だけがよきものとなる。だが、智慧を育てるという意味では意味がある。殺し合いには意味がない。どんな大義を立てようとも。最終的に愛への目覚めを描くようになってきているようなので、友との愛は、戦いに向かわないようになるのであれば、助け合いということを主に見て、美しさが生まれるだろう。戦争では、大義のある方が必ず勝つのだという。物事の道理はそういった風だ。力の解放が、己を育てる方に向くならば、傷害をしない闘いへと、本当の価値が実現されるだろう。力の使い方を学ばなければならないのだ。錯綜する矛盾に、自己が悩まずに個性のみを戦わせる、仁義なき戦いの結果として、何が最後に残るのか。誰がどの程度の改心を見せるのか。怒りを抑える方法を、皆が作り出すことが出来るのか。まだあまりに人類は幼く、科学技術の使用方法に、やっと歯止めがかかってきたところだ。これから、難局を乗り切っていかなければならない。自己と他者のすべての幸福のために。気が狂った犠牲者は、漫画の中だけで十分だ。鬼ヶ島の鬼は悪さをしたから退治された。エロスとバイオレンスにも意味は強いだろう。自らを守り、人を守るために。自分の過去に執着する結果が、あまりにも愚かな自己顕示であってはいけないのだ。誰かが気づく。皆が気づく。そして、方法は必ずある。


散文(批評随筆小説等) 『HUNTER×HUNTER』試論 Copyright 杉原詠二(黒髪) 2025-08-07 08:57:01
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