0㌘のことば
室町 礼
えー、反語的表現というものがときに人を怒らせる
ことがあります。
それも思いがけない人を怒らせる。
そしてしばしばその表現自体に問題があるというよ
りも何故かそれを目にした人の心の裏に隠れていた
何かを公衆の面前に引きづり出されたことによる羞
恥心がその人の憤怒をついでに引き出したかのよう
に(わたしには)みえるのです。
最近この反語的な表現をよく目にするのですが、そ
れがなんとアンパンマンと顔がそっくりと子どもた
ちから指摘されている政治家の石破首相です。
但し、石破首相の場合は反語的に見えるだけで本心
からいってる可能性があるから注意が必要ですが、
最近では、例えばこんなものがありました。
「しち面倒くさい日本語、習慣を日本政府の負
担によってでも習得してもらい、適法な人に
入ってもらう」
(2025年7月2日 記者クラブ主催党首討論会)
日本国の首相が自国の国語や習慣を「しち面倒くさ
い」と語ったのを知って大笑いしました。
外国人の気持ちを代弁するのなら何も「しち」はい
らないだろ。「面倒な」で十分じゃないか。「しち
面倒くさい」と吐き捨てるようにいわないでもいい
のじゃないか。ふふ。
枚挙にいとまないのですが、こういうのもあります。
2024年12月5日の予算委員会のことですが、
●石破総理
公約で掲げた事を、当選したからと言って実行す
るとは限りません。
●議場
「えー!?」
●石破総理
「えー」と仰いますが、
我が党(自民党)は、過去よりそのようにしてきました。
これにも腹を抱えて笑いました。
公約を守れないということはまあ、諸般の事情からありえま
す。しかし最初から「実行するとは限りません」といい、さ
らにまるで自慢するように「我が党は、過去よりそのように
してきました」と大見得を切ることもないだろうに。
予定調和の発言を裏切って次々と繰り出される石破アンパン
マンの反語的──とも、本心ともとれる発言、
不快感と爽快感が入り混じって複雑な心境になりました。
そこでわたしは吉本隆明全集を引っ張り出して探しはじめ
たのです。同じことを吉本がいっていたからです。
「公約は守る必要なんかありません。公約は破るものです」
そんな発言をしていた覚えがあったからです。
一日がかりで本や資料をちらかしながら探し、ネットも検索
しましたが、
残念ながら見つかりませんでした。が、ふと思いました。
公約を守らないということは、つまり、言葉に重みを乗せな
いということだろう。つまり言葉の重量がゼロということに
なる。
わたしは重量がゼロの言葉というものを現代詩にも見たこと
がありません。そんな無節操なことばというものに触れてみ
たいものですが、
しかし石破アンパンマンはその重量ゼロの言語を
軽やかに駆使しているのです。
昨日言ったことと今日言ったことが真逆であることが頻繁にあ
る。いや、頻繁じゃなく石破さんの場合は三食ごはんのように
毎日の習慣のようにある。
石破自伝『保守政治家 わが政策、わが天命』を読んだある文芸
評論家は「ページをめくるたびに手が震えた」と語っていた。
なんでおれこんなものを読んでいるんだろうと。わたしは●●
である。といった次の行で、わたしは●●でないという。
その間に何の説明も葛藤もない。
つまり言葉というものは本来、他者とのコミニケーションをは
かるためにあると信じられていますので、ある一定の重みがな
ければ他者との通交は成り立たない。重みがゼロのことばとい
うのは、他者とのではなく、これ、自分との通交のためのこと
ばであると考えられる。他者との交通のための言葉じゃない。
石破アンパンマンは詩人なんですね。詩人になればよかったの
に政治家になってしまった。なんという悲劇、いや喜劇でしょ
う。
これと逆のこともあります。
詩人や小説家が政治的な発言をするとき重量ゼロの発話をする。
逆石破。逆アンパンマンです。
なんどもしつこくて済みませんが日本現代詩人会の「プーチンの
不条理」。説明できない、ただのふわふわ浮いた綿アメのような
ことば。それを支えているのは或る「空気」です。
シンポ的ブンカ人が、アサヒが、マイニチが、詩誌が発信してい
るからたぶん、相乗りしても間違いじゃないだろうという自己消
失のことばだけじゃないのです。
これは明らかに或る種の無自覚な党派性をもったことばです。
本人たちは気づいていないでしょうけどこれ、
Neocolonialism(新植民地主義)
を代弁することばなのです。
Neocolonialismって教科書的にしか理解してい
ない人が多いでしょうけど、ほとんどの方の理解の仕方が間違っ
ています。
そのいい例が米国を見て下さい。あれだけ巨大企業が多くて大儲
けしている国なのにどの国よりも貧困層が多く、その富を1%の
人たちが支配している格差の強烈な国です。
これっておかしいでしょ?
それはNeocolonialismというものが他国ではなく、まず自国の国
民から徹底的に収奪するシステムだからです。もちろん、そのあ
げく国家が崩壊しても資本家たちはちっとも困りません。
資本に国籍はないのです。
そのくせにですよ、ニューヨークの富裕層はそういうことに知らぬ
ふりをして何故かLGBTQや移民政策や環境問題に口をだして自分が
リベラルであることを誇る。つまりNeocolonialismが深化するとエ
セ倫理が横行するのです。
ニューヨークに住んで富裕層と交流しながら同じようなエセ
倫理を語っていた坂本龍一や村上春樹を軽蔑するのは、世間知らずで
世の中のことなどな~ぁんにもわかっていないからです。
わたしからみれば㌘0のことばです。
かれらのはNeocolonialismのことばなんです。それを日本現代詩人会
も日本ペンクラブも朝日も毎日もNHKも垂れ流している。
見てご覧。日本も米国と同じく30年の低成長に苦しみどんどん貧困化
しています。それを迂遠に補助しているのが日本のサヨクリベラルで
す。
ところが米国と同じく、その苦しみにもがいて立ち上がろうとすると
参政党のような反Neocolonialismを総出で叩き出す。
それで作家とか詩人とかいえますか。倫理で偽装して国民を日々殺す
ことばを垂れ流して恥ずかしくないのですか、
みなさん。