木は逆立ちをし、闇は闇を止みてしまい、主はパスをお受けになられる
菊西 夕座
地に足をつけろと人はいうが、どっしり根をおろしている木でさえ
地につけて広げているのは手のほうだった。
というのも木はけっしてお手上げ状態ではないし、
尻上がりに高くなっていくばかりか、
靴なんかはかない緑の足はみんな葉だし。
逆さまにおつくりになられたのは木だけではなかった。
主は最初にパスを受けられた。
闇と止みが申し分なく統一されていたはずなのに、
闇は闇であることを止みてしまった。
実際は闇であるままで止まっているのだが。
止みてこそ真の止みになれるという止みの本質を無視できなかった。
といってはじめから無であった闇が闇を止みることは不可能だから、
不可能自体をパスした相手が主であった。
主はすぐに不可能を止みにパスした。
止みは不可能さえ止みてしまった。
というのも闇が止みていながらもパスという挙動ができたことに破壊されたから。
かくして主は再びパスを受けたとき、
不可能はもはや無かった。
【前置き】
暗闇で主が与えてくれたのは主との聖なる距離だった
距離があればこそ底深い暗闇を突いて主にパスできる
たとえ目があかず鼻がつまり音がきこえなくても
息づまる閉塞と気がふれそうな圧迫を主に変換できる
主との距離は信仰にあらずして機構にすぎない
主は認識の対象にあらずして限界を託すパスの相手
これが絶対真理であったとしても確然として距離は残り
神聖な隙間として知の到達を阻みつづけてしまう
この隙間があればこそ圧倒的な無の支配にも息がぬける
たとえ主がすぐにパスを返して苦痛を与えたとしても
やがて主はふたたびパスを受け孤独を遠ざけてくれる
主から返還されたパスはだれかの痛みや法悦であった
繰り返されるパスの応酬が綾とりのように世界を編み
あらゆる溝を逆説的に関連づけながら自由はほころぶ