海辺
リリー
大洋の波は疲れを休めに
小さな湾へ入る
湾を取りまいた山々が厳しく空を区切り
空は益々、高く逃れ
大洋の波を冷たく見下ろす
⭐︎
姿を取りえない青春の彫像を打ち立てようと
幾度か浜辺をめぐる女の耳に
海が鳴る話
白く透きとおった
目のない小さな魚は身をくねらせて
つつつ と胸鰭を触れあわせ
深海で恋をする
かすかに震う小さな恋が
次第に遠く拡がり
ほら、やはり
海全体が鳴りはじめる
⭐︎
かつて戦いの終わった日
南の国で急激な熱病にかかった男を
看病した混血女がいた
男が日本に帰ったあと
海に沈んだ話
こんなのよりも
もっと もっと青い海だと
老人は語る
降りつづけるマリンスノーが
白い珊瑚礁を形づくり
錆びついた古い軍艦の残骸は
かなしみの骨格をみせて眠るのに
目のない魚のかすかな震えで
ほら、やはり
ぎしぎしと軋みはじめる
⭐︎
きのうは凪いでいたのに
今日は荒れてる
紫色の脛をむき出した少年が
掌を空に向けて
立ちのぼる焔をみる話
蒼黒い波のしぶきに
少年の激しい血汐が天上へ
舞いあがってゆくのだ
焔のなかに確固として張りついている眼が
どん欲に光ろうとする
その美しさに
ほら、やはり海が鳴りはじめる
⭐︎
小さな湾だ
家の影も見あたらない
波の誘うまま、女と老人と少年は
思い思いに呟きあっていた