新版「男はつらいよ」
室町 礼

松竹の喜劇映画『男はつらいよ』の主人公、寅
次郎を演じる渥美清に一度だけ会ったことがあ
ります。会ったというより近くからちらっと見
ただけですが......おかしな光景だった。
当時わたしは食いはぐれてビルやマンションの
清掃の仕事をしていた。集団で出かけて一日か
けてホールや廊下などを専用の清掃機器や薬剤
を使ってぴかぴかに磨き上げる仕事でした。
あるとき代官山の高級マンションの清掃に行っ
たことがある。全員が分散して廊下を清掃して
いると、とある部屋のドアが半分開いている。
その前で腰をしゃがめ廊下の表面を磨いてい
た学生アルバイトの青年に部屋主が顔を出して
陽気に声をかけた。「よう、ご苦労さん」
みると渥美清であった。例のにこやかな笑顔な
のだが、その後の行動が違った。渥美はドアを
半開きにしたまま近くのトイレのドアを開き、
そのドアも開いたまま、まるで見せびらかすよ
うに放尿をはじめたのである。そして例のいか
にもにこやかな笑顔を浮かべて「人生いろいろ
あるよ。頑張れよ青年」とちんちんをふりなが
ら語ったのだった。
あとで皆でそのときの光景を話し合いながら大
笑いした。果たしてあれは浅草出身芸人渥美清
の、コメディアン特有のサービスだ
ったのか、それとも、いつもあんなふうに可笑
しなことをやっているのか。生涯連れ添った画
家の奥さんがいたことだからヘンな性癖があっ
ともおもえないのですが
いずれにせよ、わたしは「男はつらいよ」の主
人公、寅次郎の哀しさに通じるものを渥美清の
その行動を通じて感じたのですがあの寂しさの
正体は何だったのでしょうかね。

だれかが書いていたような記憶があるのですが
「寅次郎はまた旅立っていくから下町の人たち
にそのキャラを愛されていたのですが、もし居
着くとなれば皆から殴り殺しにあったでしょう」
わたしにも身にしみる指摘だが、だれがいった
のか、
『排除の現象学』の赤坂憲雄かなと思って調べ
てみたところ赤坂はそう書いていない。「寅
は性的不能者だから、かろうじて下町の共同体
から許されているのだ」そんな感じのことを書
いている。
ニッポンでは性的不能者でかつ定住しない放浪
者でなければ異端者が許されることはないのだ
ろうか。わたしの場合はそんな風だったが、
それはもしそうだとして今の日本にお
ける「フーテンの寅」とは誰のことだろう?
いま騒動のタネになっているクルド偽装難民た
ちだろうか。あるいはわたしも被害にあってい
るのだが日本の土地やマンションを買い漁り、
急に家賃を吊り上げたり清掃も管理もしないで
アパートマンションをボロボロにして住民の追
い出しを画策する中国人たちだろうか。
こういう人を批判するとすぐにサヨクリベラル
が顔を出してクルド人批判は「排外主義だ」と
わめく。「中国人にもいい人はいる」と非難す
る。
世間も人間も社会も人生も知らないこういう
正義感にあふれて本だけで概念を知った方たち
はすぐに「排外主義」っていうけど排外主義な
んて主義はないし「排外思想」なんていう体系
立った思想なんかもないのです。
あえていうならばおフランスあたりで盛んに取
り沙汰された「第三項排除」という概念。レヴィ
=ストロースの構造主義がそのさきがけですが
これをバカな日本人学者が前後の経緯も知らな
いで密輸して、しきりに「第三項排除」論を流
布させた。
でも「第三項排除」論ってわたしにはすごく図
式的かつ数式的にみえるのです。
もしこの図式に従って今の日本を解析するなら
第三項、つまり「寅次郎」とはだれのことかと
いうならば今の日本の大衆全部が第三項にはめ
られてしまっているのです。
だって中国人は「我が国の宝」と岸田元総理
が語り石破首相も「日本人ファーストと言いま
すが、それは内外無差別でやっていかねばなり
ません」と語っている。実際には中国人留学生
には破格の好待遇をしているのですが権力行使
機関である政府や経済の要である経済界が「国
の宝」というのだから彼らが「第三項」である
はずがない。「第三項排除論」の図式にあては
めるなら彼らは第一項もしくは二項です。
では「第三項」は誰かというと日本国民の大衆
総体が第三項に追いやられているのです。
だからみてご覧なさい、寅次郎のように日本人
の多くの大衆が結婚が出来なくなり(性的不能
に追いやられ)自分たちの定住していた街を追
われつつあります。そして第一項であるクルド
人や中国人である人たちの非道を批判すればす
ぐに、例えば共産党の書記長のように「排外主
義」という非難の声があがり「その排外主義は
日本をかつてのように戦争に導く」と言い出す。
共産党のこの言説を「第三項排除論」の図式に
あてはめるなら、まさに、まさしくですよ、こ
れがそのまま「第三項排除」になっているので
す。白か黒かしか許さないのです。その中間は
排除されます。つまりクルド人や中国人への
批判は中間的な存在が一切許されず、批判は絶
対に許さないというのです。これが第三項排除
でなくてなんでしょう。
つまり共産党も立憲も自民公明もいまや日本の
大衆を第三項に追いやって排除しようとしてい
るのです。
不思議な世界なんですが、今になってねえ、や
っぱり「男はつらいよ」の新版が必要じゃない
かと思っているのです。
もし生きていたなら
メガホンはロマンポルノの神代辰巳に握っても
らい寅次郎はもちろん渥美清、妹のさくらは
まだご存命の吉永小百合。寅は一念発起して、
いや一念勃起して妹のさくらを犯してしまいま
す、近親相姦になっちゃいますが、ま、しょう
がないや。おそらく映画化しても上映は出来な
いでしょうが、こうなったらやるしかにゃいで
しょ。











散文(批評随筆小説等) 新版「男はつらいよ」 Copyright 室町 礼 2025-07-02 14:39:37
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