クレクレ星人の独り言「祈りの考察。」85
ジム・プリマス
先日来、何種類かの祝詞を奏上したあとで、自分の願いが、実際に現実の世界に影響を及ぼしてると感じることが、原口議員のことも含めて、たくさんあって、なぜ自分のように、足腰が弱って、自分の出した塵、芥、ゴミの山の中で座り込んでいるだけの、落伍人間の願いを、神々は聞き届けてくださるのかということを、自分なりに考えてみた。
病気の病気たる所以で僕は、自己肯定感が薄いところがある。
好きで塵、芥、ゴミの山に座しているのではなくて、そうならなくてはならないほど追い詰められているということだ。
僕は一日、四時間くらいしか動くことが出来ないし、生活に必要な家事労働の他は、近所のスーパーに車で買い物に行くのが精一杯というのが現実だ。それに慣れてしまうと、自分が怠けているのでは、などとつい思ってしまう。神霊界は僕が怠けているとは捉えていないということが一つ。
原口議員の無事を願った瞬間の想いを考えてみると、そこに余計な雑念はなく、心の底から願ったということ、自分で言うのもなんだけど、まごころからの願いだったことが一つ。
それから、神霊界はあくまで客体であること。こう言ってしまうのは恐れ多いことなのかもしれないが、願いを発するのは人間の側であること。あくまで思い描くのは人間であり、人間の想像が先にあり,創造するのが神の側であること。それが一つ。
願うことが自己実現ではなく、利他の願いであること。あくまで「他人《ひと》を助けて我が身、助かる。」であることが一つ。
これは地球が次元上昇を始めて、八百万の神々の威光が戻りつつあり、人間の願いが三次元的に実現することが、多くなるということで、これは僕、ひとりに限ったことではないこと。これを読んでいる貴方にも同じことが言える。
ただ、一つ断っておくが、これは有難いことではあるが、人間の側がネガティブな願いを発するとそれが現実化しやすいということなので、注意が必要だ。
これは蛇足だが、難民を装って、日本でわが物顔している某民族のことだけど、僕の感覚では、もの静かな八幡神がかなりお怒りだったので、かなりの罰があたることになると思う。それだけ酷いことをしているのだろう。
みなさんにお願いです。とにかく神棚に向かって八拍手を奏上してください。時間も方向も関係ありません。難しいことは省きますが、その行為は宇宙の神霊界に、自分の波長を繋げるということなので、それをすると霊感を受け取ることが出来やすくなるということなので。それは、地球が次元上昇している今、現在、貴方に必要なことなのです。