A cesspool of corruption
室町 礼

『現代詩手帖』
読んだこともないのですが、それをけふ、
ネットを流していたら
表紙だけでも目にすることになり、目に
ちらりとでも見えなければよかったもの
を目端に入ったのでついうっかり見てし
まいました。
案の定、思い切り政治がわからない詩人
たちが思い切りトンチンカンで反動的な
ことを書いているその犯行現場を目撃し
てしまい──あ然呆然、
この方たちは自分たちが人殺しの手伝いを
していることもわからないでそれを手伝
い、おそらく自慢している。
うんざりして朝から体調が悪い。
なんで反プーチン詩人なんかを今このと
きにとり上げるのでしょう?
それって無国籍巨大資本の大量殺戮を手だ
すけしていることと同じであることがどう
してわからないの?どうして気づけない?
まあ、詩人に限らず作家や思想家、批評家
に多いのですが、そのような人たちの共
通性として倫理のいちばん高い席をめざし
たがる。
宮沢賢治の影響かな?
或る良いことや或る正義や或る立派な精神
の在りようの競争をしてるわけでもないの
でしょうが、だれにも後ろ指指されないよ
うに、とくに今の詩人は倫理の一番最強の
席を手で囲い込みたがる。もうそれより後
ろにはそれより上位の倫理は存在しない。
そういうところを争うように手で囲う。
これが間違っている。
駅の構内で線路に落ちた子どもを命をもの
ともせずとっさに救けに入って間一髪で退
避させる行動はそういうものはなくて、
目的ではなく結果として倫理の座席にたま
たま立つことになる。
かれはとっさにやっただけだから、持ち上
げられるのが恥ずかくて名前もいわず立ち
去るものだ。
ところが詩人たちはいまやこれが逆転して
倫理の最上位を最初から目的に目指してし
まう。しかもそれがほんとうに倫理の最上位
なら問題はないのですが、「反プーチン」
という予定調和の「そう語ればまず誰もから
尊敬される」「少なくとも問題にされない」
倫理をへらっと語る。
それが無国籍巨大寡占資本が掲げた旗である
ことなど政治無知な詩人ごときに理解など及
ばない。
詩人たちはボリス・グレベンシコフが何者で
あるかなんて一ミリも知らない。無国籍巨大
資本の従僕であるニューヨークタイムズ
やCNNが持ち上げれな何でもいいのだ。
まったくもって情けない時代になったものだ。
utterly deplorableでありirredeemably rotten
である。
入沢康夫や吉岡実らはこんな時代をみないで
はやく亡くなってよかったかもしれない。
失望のあまり発狂していただろう。










散文(批評随筆小説等)  A cesspool of corruption Copyright 室町 礼 2025-06-22 12:56:47
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