夜明け前の雨
山人

 緑とエゾハルゼミの洪水と、ときおり南から飛来してきたアカショウビンの鳴き声のする季節となった。遅くまで残る残雪から生まれた蚋のメスたちはこぞって人畜に集り吸血しようとアタックを繰り返す。彼女らの目的は餌を求める行為に過ぎないのだが、その究極の目的は子孫繁栄である。それが彼女らの真の目的なのだが、特別な意思などない。ただただ本能のまま動いているにすぎない。なぜならば吸血しようと皮膚に取り付けば、一心不乱なものだからそっと指で押してやれば素直に絶命する。つまり、自分らの命の有無など意に介さないのだ。あわよくば吸血し卵を産むという目的にたどり着くことが彼女らの最終目的だから。つまり季節はこんな風に飽きもせず、同じことを繰り返す。いっそ季節が逆回転でもしないものだろうかとすら思ってしまう。要は、またこんな季節がやってきたのだというあきらめの圧力を日々感じてしまうのである。
 この間、生まれて初めて退職願という書面を書いてみた。退職といっても仰々しい会社組織ではなく、地元の林業事業体だ。一応家業のかたわら、副業として雇ってもらったのが16年前で数年前に定年となった。以降再雇用で半年契約の年契約となり、3年目となった。年々時代と逆行した重労働の現場であり、大きな丸太をすべて人力で移動し、軽トラックに積載するというような作業がここ数年一気に増えている。昨年、腰椎が変形していると医師に告げられ、それ以降あまり無理したくないと思っていた。しかし、いざ雪が降り、長い冬が終わると、もう1年頑張ってみるかという心情になってしまっていた。しかし、今年は大雪であり、大量の雪崩が山林を襲い、数百本のブナの木がなぎ倒されたのである。その土地が私の勤める林業事業体の所有地であることから、それを薪に用いるということで、残雪残る季節からそれをチェーンソーで切断し薪づくりに精を出すことになったのである。つまり、まったくの想定外の作業が増えたのだ。幸い、弱っている腰を守るために、腰や背中近辺の筋肉を鍛えるストレッチなどを毎朝励行し、今のところ異常な痛みは出ていないのが救いだが、今後のためにも早めに辞めた方が良いという考えもあった。結論から言うと辞めるのをやめた。もちろん早急な体の不具合が出れば有無を言わず辞する覚悟をしているが、通常の勤務であればほとんど問題はない。それよりも精神的負担が大きすぎてメンタルをやられつつあるという気がしている。今の体制になる前は仕事が楽しくて仕方なかったのだが、今は逆だ。作業が始まるまで地獄で、作業中は集中できるのでむしろ精神的には楽だ。作業が終わると帰りしなに延々と糞くだらない細かいミーティングを聞くこととなる。
 以前は面白くないことがあると真っ先にアルコールに走った。6年前に心房細動を発症して以来酒を断っている。酒が飲みたい。最近ひどくそう思う。客の残したコップの褐色の液体、料理で使う料理酒のツーンとした清酒のにおい。これを煽ったらどんな極楽が現れるのだろうか?そんなことを考えてしまう。なにしろ以前は勤務前に朝酒を飲み干し、勤務仕事に就いたことは数えきれないほどあった。家業でも、朝食準備前に整えるためにまずビールの大瓶一本を空け、さらに日本酒を煽った。これで体は軟体動物のようになり、腑に落ち整うのである。
 かつての私はヘビースモーカーであり、隠れ依存症だった。その世界に戻れるものなら戻ってみたいという欲求が酷い昨今だ。
 しかし、私はおそらくその世界には戻らないだろう。戻ったら最後、多分現実世界には戻ってこれないかもしれないと思う。ただ心が病みつつあるとすると、踏み外してしまうのかもしれない。

 ここのところ創作意欲はかつてないほどに失われ、ここ二作程かつて文学極道と呼ばれるサイトに投稿した佳作作品を投稿した。文学極道では目指した創造大賞まで至ることはなかったが楽しい時期であった。あそこでも三流で、いかなる場所でも三流以下という人生を送ってきた私だが、できるものなら如何なることがあったとしても、止めたものを再度口にするという行為だけはしない、この意志だけは一流でありたいと思うのである。もちろん皆様のような適正な飲酒ができる人は大いに楽しむべきであろう。

 悪天の夜が明け始め、雨がいったん収まっているようで鶯が鳴いている。今日は昼客が若干名居る。ほとんども請けにはならないむしろ手間だけ損するという仕事だが、やらないといけない。そして辞めることを撤回した私は、明日は再び勤務に行くことになる。高齢者の葛藤は続く。

 


散文(批評随筆小説等) 夜明け前の雨 Copyright 山人 2025-06-15 04:45:26
notebook Home