もしもあの時・・とおもうとき
けいこ

経験の少ない若い時は、もしもあの時・・なんてことは思わなかったが、少しオトナの仲間入りをするようになって、「もしもあの時・・していたら」と、ちらっと思うことが度々あった。
その前と後とのギャップがあるときや、絶対にありえないことを空想して自分を慰めるときだ。

ど田舎から大都会、兵庫県の浜甲子園に転校したときのこと。
母は半年ほど先に行っていて、四年生になった新学期に私は叔母に連れられて初めて大きな船に乗り浜甲子園というところに着いた。
当時は戦争の足跡が見え隠れしていたころだったが、浜甲子園は別荘地だったので隣には芝生とバルコニーがある白い洋館に二人の白人の男性が住んでいた。ときどき子犬を連れて背の高い白人の男性が浜の堤防を散歩していた。

一度夜中に母が呼ばれたことがある。
もう一人の男性が腹痛を起こして呼ばれたらしかった。女中と思しき女が裏口から出入りしていたが、多分その人が呼びに来たのだろう。翌日御礼として珍しい物が届けられた記憶がある。
その屋敷の裏口が私の通学のときに通る道だったので、いつもコーヒーの良い香りがしていた。

四年生が終ったとき、会社の寮が甲子園球場の前に建ったので、私達母子はそこへ移転した。浜甲子園からはチンチン電車で通学していたが、新居の寮からは歩いて学校へ行けた。
学校から帰宅しての遊び場は球場前辺りだったが、その建物の偉大さを知ったのは随分後になってからだ。

その寮には一学期しかおらず、私は田舎へ帰らされた。
母は居残り、私は祖母とふたりの生活が始まった。

「もしもあのとき・・」あのまま寮に居て近くの中学校へ通っていたら、と思うことがある。母は田舎から都会に出て、私を田舎へ帰してのちに別府で開業した。
どうしてそのような生活をしていたのだろう。
あの学校へ行ったことは忘れられないほど良い思い出だったけれど、女ひとりで子供を育てるのはそんなに安定しないものだったのか。


散文(批評随筆小説等) もしもあの時・・とおもうとき Copyright けいこ 2025-06-12 14:26:49
notebook Home