TWIN TALES。
田中宏輔


『ジイドの日記』を読んでいて、ぼくがもっとも驚かされたのは、友人であるフランシス・ジャムについて、ジイドがかなり批判的に述べていることだった。ジャムがいかに不親切で思い上がった人間か、ジイドは幾度にも渡って書き記している。詩人としての才能は認めていたが、公平な批評能力もなく、他人に対する思いやりにも欠けていると考えていた。もしも、田中冬二が、『ジイドの日記』を読んでいたら、ぼくたちが「フランシス・ジャム氏に」という詩を目にすることはなかっただろう。


何か落としたぞ、ほら、きみのだ。
             (ナボコフ『ベンドシニスター』1、加藤光也訳)
たしかに、
                  (ラディゲ『肉体の悪魔』新庄嘉章訳)
僕のものだった。
                  (ラディゲ『肉体の悪魔』新庄嘉章訳)

蜂の巣つきの蜂蜜を食べた。北山通りにある輸入雑貨屋で買ってきたものだ。四角いプラスチックの箱の中にぴったりおさまって入っていた蜂の巣は、五センチくらいの高さの四角柱で、上から覗くと、数多くある小さな六角形の、どの穴ぼこの中にも、黄金色に輝く透明な蜂蜜がたっぷりつまっていた。ペティーナイフで切る蜂の巣はとてもやわらかかった。巣をつぶして食べるようにと書いてあったが、ウェハースの形に切り取って食べた。食べかすを噛んでいると、ガムを噛んでいるような感じがした。


小波さざなみの渦が
             (ナボコフ『ベンドシニスター』1、加藤光也訳)
ハンカチを巻いて
             (コクトー『怖るべき子供たち』1、東郷青児訳)
すうっと消える。
              (リルケ『マルテの手記』第一部、大山定一訳)

三年くらい前のことだ。テネシー・ウィリアムズの『欲望という名の電車』を読んで、びっくりした。第五場に、スタンリーが山羊座で、ブランチが乙女座であると書いてあったのだ。当時、付き合っていたノブユキが乙女座で、ぼくが山羊座だった。ノブユキの姓が、ぼくと同じ「田中」であるということを知ったときよりも、びっくりさせられた。そういえば、『大工よ、屋根の梁を高く上げよ』を読むと、ぼくが好きなサッフォーを、サリンジャーも好きなことがわかる。彼もまた山羊座だった。


花のように
                      (ヘッセ『詩人』高橋健二訳)
ハンカチは
             (サルトル『一指導者の幼年時代』中村真一郎訳)
ほどけてゆく。
                (サド『美徳の不運』前口上、渋澤龍彦訳)

高校二年の夏だ。以前から憧れてた先輩の安藤さんに、俺んちに泊りに来いよって言われた。試合を見てるときなんか、だれにもわからないように、お尻をさわられたりしてたから、先輩も、ぜったいに、ぼくのことが好きだと思ってた。寝る前に、先輩がトイレに立ったとき、ベッドの横にごろんとなって、腕を伸ばした。すると、指の先に触れるものがあった。SM雑誌だった。グラビアだけ見て、元の場所に置いて先輩を待った。先輩が戻ってきたとき、ぼくは目をつむって眠ったふりをしていた。


ひかりと波のしぶきのために、
                 (カミュ『異邦人』第一部、窪田啓作訳)
目をさました。
       (モーリヤック『蝮のからみあい』第一部・一0、鈴木建郎訳)
眼がさめた時には、なんの記憶もなかった。
                  (モーパッサン『山小屋』杉 捷夫訳)


   *



ぼくが住んでるワンルーム・マンションの隣に、「カフェ・ジーニョ」という名前の喫茶店がある。喫茶店なんて言うと、マスターは怒って、うちはバールですよって言うんだけど、どう見ても、喫茶店って感じだから、つい、喫茶店って言ってしまう。で、そこでバイトしてる高校生のミッちゃんに訊いてみた。こんど知り合った男の子が、俺の欲しいのは身体じゃないんだって言うんだけど、どう思うって。すると、こんな答えが返ってきた。メンドクサイのが好きなのねって。ぼくもそう思った。


ぼくは
             (サルトル『一指導者の幼年時代』中村真一郎訳)
花びらが
                 (カミュ『異邦人』第一部、窪田啓作訳)
海に落ちてゆくのを見つめていた。
             (ナボコフ『ベンドシニスター』4、加藤光也訳)

この前、タクちゃんちで食事をしてると、突然、彼が、「corpus」って、死体って意味があるんだけど、キリストって意味もあるのよって言った。ぼくが、へえって言うと、クリスチャンの彼は、ぼくの目の前に祈祷書を突き出して、ここに、真の御体をほめたたえよ、ってあるでしょ。これをラテン語で、「ave verum Corpus」って言うのよ。ave はほめたたえる、verum は真に、Corpus はキリストって意味ね。じゃ、仏といっしょだよねって、ぼくが言った。マホメットのことは、二人とも知らなかった。


ページをめくると、
            (ジイド『贋金つかい』第一部・十二、川口 篤訳)
海だったのだ。
              (モーパッサン『女の一生』十三、宮原 信訳)
ふと本から眼を上げた。
                  (カフカ『審判』第一章、原田義人訳)

北大路橋を渡っていると、ぼくの肩の上に、鳩が糞を落とした。びっくりした。買ったばかりのジャケットなのに、と思って見上げると、いつものように何十羽もの鳩たちが電線の上にとまっていた。西岸の河川敷で、ひとりの老婆が、コンビニなどで手渡される白いビニール袋の中から、パンくずを取り出して撒きはじめた。すると、頭の上の鳩の群れがいっせいに飛び立ち、撒かれた餌のところに舞い降りていった。通勤の途中だったので、着替えに戻るわけにもいかず、そのまま駅に向かった。


テーブルの上に
                   (サルトル『部屋』二、白井浩司訳)
ハンカチが
             (ジイド『贋金つかい』第三部・九、川口 篤訳)
たたまれて置かれてあった。
          (リルケ『オーギュスト・ロダン』第一部、生野幸吉訳)

ブチブチ、ブチブチ、踏んづけてる、これ、何の音って訊くと、ショウヘイがカエルだよって教えてくれた。大粒の雨が激しくフロントガラスに打ちつけている。ぼくが電話をかけたときには、十一時を過ぎていた。恋人にふられたんだって言うと、彼は車を出して、ぼくのいたところまで迎えに来てくれた。彼は黙ったまま、琵琶湖まで車を走らせた。真夜中のドライブ。ブチブチとつぶれるカエルの音に耳を澄ましながら、昔付き合ってた恋人の横顔を眺めていると、ふと、映画のようだと思った。


さわってごらん、ずぶぬれだ──
                  (カフカ『審判』第六章、原田義人訳)
波に運ばれて
             (ジイド『贋金つかい』第一部・二、川口 篤訳)
ふたたび生まれ変ったのだ。
              (ジイド『地の糧』第一の書・二、岡部正孝訳)


自由詩 TWIN TALES。 Copyright 田中宏輔 2025-06-09 09:15:54
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