麻薬
鏡文志

なんのために書いているか?
初期衝動と原点確認。

描きたいテーマがあるからじゃない。
『こち亀』を読んで夢中になって楽しかったから、自分でも同じように破茶滅茶な漫画を描きたい。
『こち亀』を読んで、両津勘吉になり切る。しかし、現実にそれが不可能であることは間違い無いので、両津勘吉という麻薬を、自分で生み出したい。そしてそこに夢中になりたいし、周りの人にも公にそれを許して欲しいし、そのために同じように破茶滅茶な漫画を描こうとする。
ビーチボーイズを聴いて感動した! 自分もビーチボーイズのメンバーになり切る。しかし現実にそれは不可能なために、自分も同じようにブライアンウイルソンの音楽から受け取った麻薬を作り出したいと思う。
詩ではこうだ。中原中也を読んで格好いいと思った。文体に惹かれた。知的な匂いや鋭さを感じた。その詩から受け取った人を陶酔させる力を持つ麻薬を自分でも作り出したいために、詩を書く。
立川談志の落語を聞いて、ビートたけしの漫談を聞いて、人を陶酔させる麻薬を自分でも生み出したいので漫談や演芸作品を作る。
これはみんな意識しないでやっていることのはずだ。美味しい料理を食べて夢中になった。自分でも同じ夢中になれる料理を作りたい。これが無い人がいるとは思えないが、諦める人は諦める。やりたいことはみんな麻薬作りなんだ。
テキストと一対一になる。それでいいと思った。自分で判を押した。
スピーカーと向き合ってアーティストと一対一になる。自分でこれはいいと思い、判を押した。
いろいろな情報を含めての歌であり音楽であり芸術作品だ。決して生のまま裸のまま、事前情報なしで受け取ったものばかりではない。ある程度歳を重ねてからは全部事前情報や刷り込みも含めて作品に良いを押すようになる。
「いいと思ったら、つんくが書いた曲だった。恥ずかしくなったが、どうしよう…..」
こういうことが、たまにある。
私の書いた作品を読んで『良い』を押した人が、後でどうしよう? と不安を覚えることもあるかも知れない。偏見でものを見ると、私は世の中的に殆ど『ゼロ』の人間だった。履歴作りは苦労した。
採用されたメディアでは、障害者という肩書を隠したものがほとんどだ。
選者は、事前刷り込みのない段階でテキストと一対一になる。その結果『これは良く出来ている』そう思わせたのなら、作品の力だ。ある意味最も、純粋な作品との向き合い方と言えるかも知れない。
考えてみよう。アドルフヒトラーでもいい。麻原某氏でもいいが、他人から尊敬されている。メディアが担いでいるという刷り込みがない段階で彼らが目の前に現れたら、多くの人々はどう反応するだろう? きっと目を背けるか、担がれる前に彼らに多くの人が当たったように、虐めてしまうのではないだろうか?
多くの大衆化された人々は、メディアに担がれているタレントの表現を一対一で向き合い、判断していない。周りがどう反応しているか? そう言った周囲の様子や偏見を含んでの歓迎。
それに対し、履歴経歴なしでテキストを送り、採用されていく私のやり方は一種のゲリラだ。弱者であり、履歴貧者のやるゲリラ戦だったのだ。
多くの障害者事業所にいる人々は私が来て作業している内容や、私の作った内容を読んで驚く。曰く
「ちゃんとしている」
と。
考えてみたら、人が人を評価したり賛辞したりする基準はそれぞれだ。
アイドルは美貌という麻薬に人々が酔っているのかも知れない。表面的にもので酔わせる手法は無数にある。性的誘惑、動物的欲求の刺激。ムード作りによる洗脳。
一時期はムーディーを否定した芸術運動もあった。ニューウェーブという難解な音楽を作る人達が流行って、ユニークなアイデアを披露しあっていたが、あれも一つの時代のムードだったのかも知れない。
作品を通して真実を追求したいとか、大それたことを考えたり、やりたいと思ってる訳じゃない。私も多くの人々と同様に、なにかに酔いたい。最近は、森高千里の歌をよく聞いている。八十年代までの日本の芸能の世界はまだ、大人の雰囲気が残っていたと思う。自分もあの世代までの女性に、優しい眼差しで見られることが多い。今は、どこへ行っても子供の文化しかない。『お触り禁止。下品な会話禁止』なんていうスナックもある。官能も快楽も制限して、暴力団ヤクザも排除。クリーン化していく世界で、少子高齢化に歯止めが効かない日本。人々は今なんの麻薬に酔っているのだろうか?


散文(批評随筆小説等) 麻薬 Copyright 鏡文志 2025-06-07 18:05:54
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