書かない人のはじめかた
飯沼ふるい

唐突に自分語りさせていただきますね。

むかしむかし、なぜだか知らないけれど文学極道っていうところで新人賞もらったんですよ。

それに初投稿から文学極道が終わるまでのあいだ、詩作から離れた期間もあったけど、まぁまぁの打率で優良とか佳作とかもらってたと思うんですよ。
選外の記憶を都合よく消し去っただけの誇大妄想かもしれないけど。

でもね、何がウケたのかいまだによく分からないんですよ。
はじめは分からないなりに一生懸命作ってたけど、ヘタに評価されるもんだし、
「こういう言葉を使えば受けるんかな」みたいな下心が作品の中心に居座るのに時間はそうかかりませんでした。

そして評価されました。すごいな俺と自画自賛ですよ。今となってはそこに費やした時間を他の趣味に充てておけばと心から悔やまれるのですが。
あと、「こんな簡単に評価されるなら賞金あったらいいのになー」って、新人賞もらってからずっと思ってました。生まれてこのかた、生粋の俗物なんです。

承認欲求と自己顕示欲のためだけに、なんか気難しい文言と構成を選んで、メタ的なこととかエログロ下ネタとかを、マジメ半分ふざけ半分で書いて。
それでもやっぱりまぁ、ある程度評価されたんですよ。ある程度ね。

そんなだから自分が詩を書いている人だと思ったことは一度もありません。詩っぽい雰囲気を取り繕っているだけだという自覚はちゃんとありましたよ。
「ある程度」の先にはいけないであろうことも、その原因もわかってましたよ。
私の投稿作品へのコメントに、「ただの下ネタじゃん」みたいなのがありまして。
それがかつて拝見してきた俺の作品への感想のなかで、最も正鵠を得ているなと思いました。
「ただの下ネタなんですけどね」みたいなことを返事しました。あの場所でのやり取りはそれぐらいしか覚えていません。それが全てだったからでしょう。

そんなこんなで、結婚もしたし子供もできたし、
なんかもういいかなって思い始めて、詩のようなものを書くのやめました。

ところが何がきっかけだったのか、文学極道が終わる少し前、ふと思い立って手当たり次第に人様の詩に対して小難しくコメントし始めたんです。
今まで最低限のコメントしかして来なかった自分が、人の作品にあーだこーだ言ってたら「詩のなんたるか」が分かるかもと思ったんだけど、分かったのは
「やっぱり俺、詩に向いてねぇな」
ってことだけでした。

深追いすると疲れるね。
俗物根性より他のモノを持ってなかったから、「詩とはなんぞや」と真面目に考えると気が滅入ってしょうがない。
詩に熱がないから、ほかの方たちとお話するのもめんどくさい。
自分が書こうとしても辛い、ただただ疲れた。

そしたら文学極道終わったね。
……あれ? 終わるって告知見たから、せっかくだと思ってなんか色々言い始めたんだっけ?
因果関係が思い出せんがその辺はどうでもいいか。

私にとって文学極道って「思っていたより俺という存在が評価される場」だったんです。
承認欲求と自己顕示欲の発露の場としてちょうどよかった。結局それだけの話。
詩そのものも、その程度になり果てた。ただの手段。目的ではなくなった。

最初の「一生懸命」だって、「文学極道という場で評価されそうな現代詩っぽい雰囲気」を「一生懸命」なぞっていただけです。
それが評価されて勘違いしたのが間違いよね。
「いや違うなこれ」って感じていたのに、評価されているのだから良いだろうと、言葉のつかいかたを自ら忘れていったんです。
若気の至りというヤツですね、まったく。

ちゃんと詩と向き合っている方と比べて、自分の詩に対するモチベーションはあまりにも下心寄りだったと思うんです。
そのモチベーションで生き生きしているだけならまだしも、下心から脱却しようとして「詩」と向き合い、疲れるのも、なんか違うなと。
俺は生ぬるいところにいたほうがいいんだなと。
詩作に丹精込めて(?)あくせくするくらいなら、散歩して昼寝しておやつ食べてこどもかまって寝て……そんな暮らしのほうが100万倍マシだなと。
そんな結論に至った次第です。

だから高尚ぶって小難しそうなこと並べたり、下ネタ書いたりして、それらを芸術っぽく見せるのはもうやめます。
その時間があれば皿洗いと部屋の掃除します。
承認欲求のために自家中毒を起こすような剣呑な真似はもうしません。
その時間があれば子どもたちと遊びます。

結婚は人生の墓場で大いに結構。
俗物としても、そこから抜け出そうという努力のうえでも、詩を続けて疲れるより、心身ともに健康な今のほうがいい。

だから今後もし、なにごとか書きたくなっても
「こどもが大きくなったな」とか、
「カントリーマアム、今となってはむしろこのサイズで良いな」とか、
「おしっこ泡立ってる気がするな」とか、
そういう身の丈にあったことについて、ふわっとしたことしか書かないと思います。
詩のための詩を書くことはもうないと思います。

初めからそういうただのポストみたいなノリでよかったんですよ私なんて。高校生だったあのころ、ツイッターがあればなぁ。いやすでにあったのか?
悔やんでも仕方がない。だからそう、今が"ポスト"モダンへ転回するときなんです。はい、これ言いたかっただけです。

最後に、詩とはなにか。詩を手段とせず、詩を考えず。そう決めた今、仮に答えるなら
「不詩の詩」
とでも言おうかしらん。禅だか鈴木大拙だかの安易な援用ですけど。それもまたよく分かりませんけど。
少なくとも私が詩を書ける人ではないってことだけは、もう十分に分かりました。





散文(批評随筆小説等) 書かない人のはじめかた Copyright 飯沼ふるい 2025-06-06 18:07:16
notebook Home