『春と修羅』における喪失のドラマについて
岡部淳太郎

 宮沢賢治の『春と修羅』について、多少語りたい。もっとも、宮沢賢治についても『春と修羅』についても語り尽くされた感があるので、いまさら僕ごときが何か新たなことを語れるかは非常に心許ないのだが。
 『春と修羅』はいくつかのパートに分かれており、その中でも今回与えられたテーマは「無声慟哭」「オホーツク挽歌」の五篇ずつ、計十篇である。『春と修羅』の中でも妹としの病死を扱った「無声慟哭」は非常に有名であり、それゆえいまさら新しいことを語れるのかという不安があるが、とりあえずやってみよう。
 その前に一つ確認しておきたいのは、この一冊は詩集ではなくあくまでも「心象スケッチ」であるということだ。つまり、詩であるのならば持ちうる限りのあらゆる技巧を凝らして読者のために読めるものを作ろうとするのだが、心象スケッチであるならばその点は初めから考慮されていないと見るべきだ。読者のことなど考えず、あくまでも自分の語りたいことである「心象」を好きなように語る。そのようにして作品が成り立っていると見るべきだ。特に「無声慟哭」の五篇は妹としの死を扱うという極めて私的な動機から発想されているため、その傾向はなおのこと強いだろう。逆に言えば、そんな技巧を意識しない好きなように書くという書き方だったからこそ、当時の人々にかえって新鮮な衝撃をもって受け入れられたのだと言えるだろう。
 まず冒頭の「永訣の朝」であるが、これはよく知られているように死に行く妹としが兄の賢治に向かって「あめゆじゆとてちてけんじや(あめゆきとってきてください賢治や)」と頼み、それに応じて賢治が「おまへがたべるあめゆきをとらうとして」「このくらいみぞれのなかに飛びだし」てゆく。賢治の中ではそのあめゆきはとしが食べる最後の食べ物であるのだが、それはある種の聖餐であるかに見える。仏教の法華経を初め様々な宗教に関心を持っていたとされる賢治だが、ここでのあめゆきはかなりキリスト教的であると言えないだろうか。キリスト教においてはキリストの肉をパンに例え、血をワインに例えているが、ここでの「あめゆき」は「銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの/そらからおちた︶」ものである。つまり、賢治にとって「銀河や太陽 気圏などとよぱれたせかい」とは、それだけで聖なるものなのである。ここではキリスト教的な宗教観よりも、より日本らしい万物に神が宿るアニミズム的な宗教観が現れている。そうした聖なる「せかいの/そらからおちた雪のさいごのひとわん」を食べるということは、すなわち死に行く妹としをそうした聖なる「せかい」につなげる行為と見て良いだろう。更に言うならぱ、としが賢治にその「あめゆき」を取ってくるよう頼むのを「わたくしをいつしようあかるくするために」と言ってるのもポイントだろう。妹としの死が「わたくしをいつしようあかるくするため」と言うのは妙だが、おそらくとし自身にも自らの死が兄に与える影響を知っており、その喪失の中でもそうした「あめゆき」を取ってくるという兄の行為によって自らが兄の中で聖化してゆくことに、としは気づいていたのだ。少なくとも書き手である賢治はそう思っている。かくして、宮沢賢治という死に行く妹としの兄でありこの作品の書き手である賢治の中で、妹としは聖化されるのだ。
 もう一つこの作品の中で言うならば、「あんなおそろしいみだれたそらから/このうつくしい雪がきたのだ」という箇所だ。「おそろしいみだれたそら」とは妹としを襲う死の病と繋がっているだろう。「このうつくしい雪」とは死に行く妹としそのものとも読める。つまりここでは、としの聖化を更に念押しするような書き方がなされているのだ。
 つづく作品「松の針」では兄の妹に対する罪の意識のようなものが語られている。「さつきのみぞれ(あめゆき)をとつてきた/あのきれいな松のえだ」を妹の前に差し出すと、「おまへはまるでとびつくやうに/そのみどりの葉にあつい頬をあてる」のだが、それを見た賢治は「そんなにまでもおまへは林へ行きたかつたのだ」と気づき「おまへがあんなにねつに燃され/あせやいたみでもだえてゐるとき/わたくしは日のてるとこでたのしくはたらいたり/ほかのひとのことをかんがへながら森をあるいてゐた」のだ。そして、「鳥のやうに栗鼠りすのやうに/おまへは林をしたつてゐた/どんなにわたくしがうらやましかつたらう」という気づきに至るのだ。更に「ああけふのうちにとほくへさらうとするいもうとよ/ほんたうにおまへはひとりでいかうとするか/わたくしにいつしよに行けとたのんでくれ/泣いてわたくしにさう言つてくれ」と言うのだが、ここでの賢治は死に行く妹が自らを「うらやましかつたらう」という思いから、妹に対して赦しを乞うているように見える。そこに妹への罪の意識があるだろうことは見やすい。
 また、作品「無声慟哭」では括弧書きで「(わたくしは修羅をあるいてゐるのだから)」とあり、それがこの作品集のタイトル『春と修羅』と通底している。そんなところから見ても、この「無声慟哭」のパートは『春と修羅』における中心的な部分を占めると言っても良いだろう。
 「無声慟哭」パートでは最初の「永訣の朝」が傑出しているが、つづいて「オホーツク挽歌」のパートについて見てみよう。
 「青森挽歌」ではやや幻想めいた風景の中で、死んだ妹としの面影が出て来る。このやや幻想めいたというのがミソで、この長い言葉の連なりの中に登場する妹はそうした幻想へと連なっている。つまりは、賢治の中での妹としは、聖化を通じて幻想の中の住人のようなものに変化してしまっているのだ。「無声慟哭」でのとしは死につつある場面から死んだ直後への時間の流れがあったのだが、「青森挽歌」でのとしは死んでからある程度の時間が経過している。その時間が賢治の中でのとしを幻想化させるのに役立ったと言って良いかもしれない。
 「オホーツク挽歌」五篇の中でなお注目すべきは「噴火湾(ノクターン)」と名づけられた一篇だろう。ここでの賢治はとしの死からかなりの時間が経ったこともあってか、その死を聖化や幻想化ということではなしに素直に受け止めている印象だ。悲しみはまだ去らないものの、聖化や幻想化といった作業をすることなしに妹の死そのものが身内に迫っている。北海道室蘭の噴火湾(内浦湾)沿いを列車で旅しながら妹のことを思い出しているのだが、「とし子がしづかにわらはうと/わたくしのかなしみにいぢけた感情は/どうしてもどこかにかくされたとし子をおもふ」のだ。これは身近な者を喪った人間の感情としては実に素直なものだ。筆者も実の妹を(病死ではなく自死だが)喪った経験があるので、自分のことのようによくわかる。身近な者を喪った人の感情はある種のドラマティックな響きを持つが、それはある一点を越えると、ごくありきたりのところに落ち着くものだ。逆に言えば、そうした当たり前のところに落ち着かないと、人は喪失に耐えられないとも言える。『春と修羅』における「無声慟哭」「オホーツク挽歌」のパートはこの一巻の中心を成すと言っても過言ではないものであり、むしろ『春と修羅』とはこの二つのパート、すなわち妹としの死を中心に編まれたものであると言えるのかもしれない。その中で、「無声慟哭」「オホーツク挽歌」での賢治の喪失のドラマはいっそう苦しく、また感動的なものだ。それが『春と修羅』という一巻を特別なものにしている。


(2025年6月)


散文(批評随筆小説等) 『春と修羅』における喪失のドラマについて Copyright 岡部淳太郎 2025-06-06 12:52:20
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