詩で人生を語らず
洗貝新
午前四時のまだ薄暗い横断歩道で手をふった。
いつもすれ違う同じ配達仲間のお兄さんがバイクでやって来たからだ。
お兄さんとは言っても一廻りくらい年下のおじさんだ。
信号で、鉢合わせに止まったので
大きく手をふって挨拶したよ
すると、~頑張ってね~
珍しく大きな声を掛けてくれた。
電動自転車で配達する辛さをわかってくれているのだ。
思わず胸が熱くなり涙が出そうになるけれど、
これくらいでは泣かないよ。
昔たいして好きでもない娘と付き合っていて
電話口で泣いたことがあった。
職場でかなり辛い出来事があった。
でも明らかに彼女にたいしてオーバーに演技していたはず
そのことで彼女をずいぶんとふりまわしてしまった
憎しみに満ちた目線が離れず
しばらく後悔したことがある
そう、泣くときはひとりで充分だ。
誰にも懇願しなかった悩み
ひとりで生きることの辛さ
愚痴はこぼすまい、そんなこと
、はじめからわかりきっていることなんだ。
あと何年月夜を見るのだろう
ひとり身動きが取れなくなってしまう自分
そのときには懇願するのだろう
誰とも知らないあなたに
これまでお世話になりありがとう
でもどうぞ死なせてください、と
薬を手にして口に運ぶのだろう
そのときには、これまでの人生を愚痴にこぼすのかも知れない
傍らに立つ、あなたに
生きていてよかった …と
書きながらもこの改行ではこれは明らかに詩になりました。※これは愚痴ではありません。 ミスの連続で泣くに泣けないだけなのです。 詩は健全なときに書くものだ。泣きたくなるほど崩れたときじゃない。