それは静かにゆっくりと燃え上がり、また、しばらくは燃え尽きることが無い
ホロウ・シカエルボク
遠い夜が囁いている、朽ち果てた自我の向こうから、悲しみは樹氷の様に凍てついては煌めき、気の早い遺物となってぐずぐずと生き残る、それは叫びだったはず、それは叫びだったはずなんだ、夜のようだったが薄明るかった、時間などどこにもない世界なのかもしれない、俺自身の感情はあまりきちんとは理解出来なかった、しいて言うならすべての要素が混然と存在していて、そのせいで朦朧としていた、戦場で生き残ったものがこんな気分になるのかもしれない、とはいえ、それを確かめる方法などなかった、それはほんの一瞬脳裏を過った妄想に過ぎなかった、どこにあるんだ、何かを探していた、でもそれが何かはわからなかった、すべてに霧がかかっているみたいだった、真実に繋がるセクションのすべてに…こんな状況は馬鹿げている、俺は自分が夢を見ているのではないかと考えていた、夢だと片付けておく方が気が楽だった、そう思わせるなにかがその世界にはあった、何かを探していた、それは考えてもわからない気がした、でも、なのか、だからこそなのか、俺はそのことがとても気になった、人なのかものなのか、それとももっと何か、漠然とした真理とか真実とか言うものなのか、まるでわからなかった、俺は囚われていた、それは間違いない、その何かが夢だろうとなんだろうとこれを探し続けなければならないという気持ちにさせていた、俺は血眼になってあたりを歩き回った、同じような景色が続いた、頭の狂った人間が書いた絵画の様な色使いだった、探すことに夢中になっていなければその色味の中で俺自身の木が狂っていたかもしれない、空の色はまるで変わらなかった、それが余計に絵画的な印象を強くしていた、こんな絵を飾っている美術館がもしあったら、俺は絶対に立ち寄らないだろうな、そう思うと無性に可笑しくなって少しの間ひとりで笑っていた、徹底された世界はどこか滑稽な感じがするものなのかもしれない、でもそういうのを芸術と呼んで、小難しい顔で眺めている人間だってたくさん居るのだ、つまらない考えを早々に止めて、何か探しの続きに入った、といっても、どれだけ経っても世界は変わらなかったし、手掛かりのようなものが見つかる気配もなかった、それでも不思議なことに、もうやめようという気持ちにはならないのだった、何も見つからなかった、でもそこには確かになにかがあるはずだという確信があった、自分の人生において、間違いなくこれが正しいと思うものが間違っていたことなんか幾らでもある、確信が必ずしも正解でないことは俺だってわかっていた、でも俺はまだこのなんの動きもないゲームを降りることが出来なかった、これはまるで抽象的な人生のようだ、と、彷徨い歩く間に思い始めていた、人の一生というものに意味は在るのか、それともデフォルトで何も設定されて無いから躍起になって求めるのか、意味なんかどうでもいいんだ、と最近は思うようになっていた、なにかしら自分の気を引くものはあちこちにあったし、そういうものをひとつずつ自分のものにしていけばいいのだと思って生きて来た、そういう気持ちになってからは確かに得るものが多かったような気がする、多分、そう考えることによって気負いというものが取れたのだろう、普通に目に見えるものを見つめておけばいい、いちいち拡大鏡を取り出す必要は無いのだと思えば、目を凝らすことはなくなる、躍起になって見つめたところで、結局すべてを見つめることは出来ないのだから、そうか、と俺はそこで気が付いた、探してはいけないのだ、どっかりとそこに座り込み、目を閉じた、必要なものは勝手にやって来る、思いもしない場所で、思いもしないタイミングで…探しても見つからないのなら探さなければいい、目を閉じて初めて気が付いたのだが、この世界には音が無かった、自分が立てる呼吸音や鼓動、動いたときの微かな衣類の音、そんな音以外には何も聞こえてこなかった、風が無いのだ、今だけなのかもしれない、ずっとそうなのかもしれない、とにかく風が吹いていなかった、空気はあった、少なくとも自分が普段存在している場所と大きくかけ離れた場所ではない、生きて動いていられる場所だ、そして、目を閉じるといろいろなことがわかるものだな、と思った、ここに腰を下ろすまではなにがなんだかわからないままに動いていたのに、こうしてじっと目を閉じているといろいろな情報を少しずつ掴むことが出来た、視覚に囚われ続けていたのだ…俺はさらに呼吸を深くして、全身に空気を循環させた、もっと知ることが出来る、この世界のことを、そして、ここで目を閉じている自分自身のことを、次第にそれは記憶に変わった、ああ、遠い夜が囁いている、それはこれだった、叫びは、感情はすべてここにあった、感情のすべては、感覚のすべては、過去であり今である、今この瞬間の感情は、感覚は過去に歩いてきた道の蓄積の上にある、人間は過去を燃料にして今を生き続ける、だから、見知らぬものも見知ったものも、すべて過去の中にある、何が起こったのか、出来事の中でどういうものが生きていたのか、それは正しかったか、それとも間違っていたのか、心地良かったか、それとも不快だったか?真実も真理も無数に在りそのすべてが正解であり不正解でもあった、連続する瞬間に判断基準など存在しなかったのだ、ゾクゾクと、知的快感とでもいうような妙な感覚が身体をくすぐった、この場所での学びは終わったのだ、俺はそのことがわかった、ひとつ片付いた、という感触が体内に溢れていた、目を開くときが来たのだ。