STRAWBERRY HANDKERCHIEFS FOREVER。
田中宏輔
『英米故事伝説辞典』で、「handkerchief」の項目を読んでいると、こんな話が載っていた。「ハンカチの形はいろいろあったが、四角になったのは、気まぐれ者の Marie Antoinette 王妃がハンカチは「四角のがよい」といったので、 Louis XVI が1785年「朕が王国の全土を通じハンカチの長さはその幅と同一たるべきものとす」という珍しい法令を布告した」というのである。「四角」といえば、前川佐美雄の「なにゆゑに室は四角でならぬかときちがひのやうに室を見まはす」が思い起こされた。
置き忘れられた
(ボルヘス『伝奇集』第I部・八岐の園・円環の廃墟、篠田一士訳)
写真をとりあげると、
(ヴァン・ダイン『カナリヤ殺人事件』16、井上 勇訳)
海だった。
(パヴェーゼ『月とかがり火』3、米川良夫訳)
この項目には、もうひとつ、面白い話が載っていた。ハンカチが、フランスの宮廷内で流行したのは、Napoleon I の妃 Josephine (1763-1814)が「前歯が欠けていたので、微笑するときなど、これを隠すためにハンカチを用いた」からである、というのだ。ノブユキは、笑うとき、女の子がよくするように、手で口元を隠して笑った。歯茎がぐにっと見えるからだった。たしかに、見事な歯茎だった。with handkerchief in one hand sword in the other:片手にハンカチ、片手に剣という成句がある。
一度も、その海を見たことがなかったけれど、
(ユルスナール『夢の貨幣』若林 真訳、読点加筆)
長いあいだ、眺めていた。
(ズヴェーヴォ『ゼーノの苦悶』6・妻と恋人、清水三郎治訳、読点加筆)
なぜ、海の眺めは、かくも無限に、また、かくも永遠にこころよいのか。
(ボードレール『赤裸の心』三〇、阿部良雄訳、読点加筆)
不幸に際して悲しみを表わす一方、それに付け込んで儲けを企む、といった意味である。ハンカチが(1)悲しみの象徴として用いられている例に、芥川龍之介の「手巾」がある。ある婦人が、自分の息子が死んだことを告げに、主人公宅を訪れたときのことだ。件の話に触れる婦人の様子に悲しげなところが少しもないことを不審に思っていた主人公が、偶々、婦人が膝の上で手巾を両手で裂かんばかりにして握っているのを目にして、その婦人が実は全身で泣いていたということに気づくという話である。
忘れていたことを想い出そうとして、
(シェイクスピア『マクベス』第一幕・第三場、福田恆存訳)
ほどけかかった
(トーマス・マン『ヴェニスに死す』高橋義孝訳)
ハンカチの隅をつまみ上げてみた。
(ディクスン・カー『絞首台の謎』10、井上一夫訳)
ハンカチが悲しみの象徴となることは、涙をふくときに使われることから容易に連想される。「突然わたしは、自分の目に涙が溢れ出るのではないかと恐れた。わたしは人前を取り繕うために叫んだ。/「目にレモンのしぶきがはねたんです」/わたしはハンカチで目をふいた。」「あのときハンカチのかげで感じたあの憂鬱さをわたしはけっして忘れることができない。それはわたしの涙をかくしたばかりでなく、一瞬の狂気をもかくしたのだ。」「わたしはハンカチを顔から放して、涙ぐんだ目を
あの海が思い出される。
(プーシキン『エヴゲーニイ・オネーギン』第一章、金子幸彦訳)
すさみはてた心は
(レールモントフ『悪魔』第一篇・九、北垣信行訳)
あらゆることを、つぎつぎと忘れ去るのに、
(ナボコフ『ロリータ』第二部・18、大久保康雄訳)
他人の面前でさらけ出した。わたしはむりにつくり笑いをしてみんなを笑わせようと努力した。」(2)この滑稽かつ悲惨な場面は、ズヴェーヴォの「ゼーノの苦悶」の中で、もっとも印象的な箇所だった。コントなどで、男の子が女の子を呼びとめて、その娘が落としてもいないハンカチを(つまり、男の子自身の持ち物を)手渡そうとする場面を目にすることがあるが、その起源は、「愛の印として、男性が女性に贈ったり」、「女性が男性にさりげなく落として拾わせたりした」という、一六世紀頃の(3)(1)
ハンカチをプレゼントしたの
(トルーマン・カポーティ『誕生日の子供たち』楢崎 寛訳)
おぼえてるかい?
(コクトー『怖るべき子供たち』一、東郷青児訳)
そう言って
(シェイクスピア『リチャード三世』第四幕・第四場、福田恆存訳)
風習にまで遡る。この風習は、drop (throw) the handkerchief to:意中を仄めかす、気のあること(1)を示す、という成句の中に引き継がれている。しかし、また、ハンカチを(4)「恋人への贈り物にするのは、離別のもとになるとして避けられる」ともあり、「むやみに贈与してはいけない」ものともいう。(5)(1)シェイクスピアの「オセロウ」の初演は一六〇四年である。その頃には、ハンカチは一般に普及していた。「愛の印」であったハンカチが、オセロウをして嫉妬に狂わせ、彼の最愛の妻デズデモウナを
指を離すと、
(アイザック・アシモフ『銀河帝国の興亡1』第II部・7、厚木 淳訳)
ハンカチは床に落ちた。
(ソルジェニーツィン『煉獄のなかで』下巻・82、木村 浩・松永緑彌訳)
彼女はハンカチを拾いあげようとはしなかった。
(ボリス・ヴィアン『日々の泡』52、曾根元吉訳)
死なしめたのである。それは、苺の刺繍が施された一枚のハンカチだった。苺にハンカチ、といえば、(6)シュトルムの『みずうみ』にある「森にて」の場面が思い出される。苺は聖母マリアのエンブレムで(7)あり、ハンカチを聖骸布(キリストの遺骸を包んだ亜麻布)、或はヴェロニカの聖顔布に見立てると、ハンカチに包まれた苺の構図は、キリストに抱かれた聖母マリアの図像、すなわち、「逆ピエタ」となる。「包む」は、「みごもる」という語にも通じ、イヴを「みごもった」アダムの姿を髣髴させる。
どうしてあのときハンカチを床から拾わなかったのだろう?
(ソルジェニーツィン『煉獄のなかで』下巻・84、木村 浩・松永緑彌訳)
まだ百年はたっていなかったが、
(ボルヘス『伝奇集』第II部・工匠集・刀の形、篠田一士訳)
まだそこにあるだろうか?
(ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』1、菅野昭正訳)
tie a knot in a handkerchief:(何かを忘れないために)ハンカチに結び目をつくる、という成句(8)がある。かつての呪術的な風習の名残であろうか。『フランス故事ことわざ辞典』を繙くと、Nouer l'aiguillette.:飾り紐を結ぶ、といった成句もあった。解説に、「ある特定の文句をとなえながら、飾り紐に三つの結び目をつくる。この詛いの作法は憎い相手の縁談をぶちこわすために、嫉妬になやむ男や捨てられた女が行なった」とある。「人の結婚をさまたげるために詛いをかけた」というのだ。
海の上に
(アンリ・ミショー『氷山』小海永二訳)
コーヒーを
(ヴァン・ダイン『カナリヤ殺人事件』18、井上 勇訳)
注いだ。
(ロジャー・ゼラズニイ『砂のなかの扉』6、黒丸 尚訳)
処刑の際などに、流れ出た血をハンカチに染み込ませて、記念のために取っておくという風習がある。ルイ16世が処刑されたあと、断頭台の柳行李が首斬り人の馬車によって運ばれていたときのことである。それが、偶然、馬車の上から転げ落ちると、たちまち人々が群がって、自分たちの下着やハンカチなどを擦りつけていったという。そのため、そこらじゅう、何もかもが血まみれになったという。(9)シェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』第二幕・第二場、第三幕・第二場に、このような風習が
合い言葉は?
(シュニッツラー『夢小説』IV、池内 紀・武村知子訳)
波だ
(ピーター・ディッキンソン『エヴァが目ざめるとき』第二部、唐沢則幸訳)
涙?
(マルグリット・デュラス『モデラート・カンタービレ』8、田中倫郎訳)
あったことを示唆するセリフが出てくる。貴族の血をハンカチに浸して、記念にとっておいたらしい。『ヘンリー六世』の第三部・第一幕・第四場には、一四六〇年十二月三〇日のウェイクフィールドの戦いの際に、ヨーク公が敵方のマーガレット王妃に、自分の息子のラトランドの血に浸されたハンカチを突きつけられ、それで涙をふくように迫られる場面がある。血に染まったその布切れの経緯については、『リチャード三世』の第一幕・第三場や第四幕・第四場のセリフの中でも触れられている。
涙が頬を伝った。
(サルトル『一指導者の幼年時代』中村真一郎訳)
去って行った者は美しい思い出になる。
(トム・レオポルド『君がそこにいるように』水曜日、岸本佐知子訳)
電話をかけようか、やめようか?
(ソルジェニーツィン『煉獄のなかで』上巻・1、木村 浩・松永緑彌訳)
シェイクスピアの『冬の夜語り』第五幕・第二場に、ハンカチが、形見の一つとして挙げられている。形見の品というものが、呪術的な事物になり得ることは言うまでもない。それに持ち主の血がついていたりすると、なおいっそうのこと、呪術性が増すであろう。竹下節子の『ヨーロッパの死者の書』第四章に、キリスト教初期殉教者たちの「殉教で流した血に浸した布」が聖遺物となって、「人々の病の治癒などに効験」があるとされたり、「信仰の中心に据えられるようになった」という件がある。
留守番電話の声は
(ダイアン・アッカーマン『「感覚」の博物誌』第四章、岩崎 徹訳)
祈りの言葉を繰り返した。
(グエン・クワン・テュウ『チュア村の二人の老女』加藤 栄訳)
よく記憶しているのだ。
(ターハル・ベン=ジェルーン『砂の子ども』17、菊地有子訳)
この起源は、ハンカチではなく、血でもって、さらに遡ることができよう。フレイザーの『金枝篇』第二十一章・四に、霊魂が宿るという血に対する畏怖の念から、血のついたものがタブー視されたり、神聖視されたりしたとある。出エジプト記にある過越の祭りなど、聖書の様々な記述が思い出される。東條英機が、逮捕直前にピストル自殺を図ったときにも、CIC(防諜部隊)の逮捕隊とともに部屋に駆け込んだ外人記者のなかに、ハンカチをその血糊に浸して土産として持ち帰った者がいたという。(10)
次に生まれ変わるときには
(トム・レオポルド『誰かが歌っている』18、岸本佐知子訳)
波となって
(フォークナー『サンクチュアリ』25、加島祥造訳)
生まれでるのだよ。
(ホーフマンスタール『詩についての対話』富士川英郎訳)
(1)学習研究社『カラー・アンカー英語大事典』(2)第五章、清水三郎治訳(3)平凡社『大百科事典』(4)角川書店『スコットフォーズマン英和辞典』(5)三省堂『カレッジクラウン英和辞典』、以上、ここまで、辞書の類は、handkerchief、或はハンカチーフの項を参照(6)第三幕・第三場、菅 泰男訳(7)大修館書店『イメージ・シンボル事典』(8)研究社『新英和大辞典』knotの項(9)ルノートル/カストロ『物語フランス革命二・血に渇く神々』二、山本有幸編訳(10)ロバート・ビュートー『東條英機(下)』木下秀夫訳。