精神の解剖としての批評──堀辰雄『芥川龍之介論』を読む
大町綾音
堀辰雄の『芥川龍之介論』は、単なる文芸評論ではない。それは、芥川を通して自身の魂を透かし見る鏡であり、批評行為そのものが自己探求の営為であることを告げる、文学的内省の書である。堀は冒頭で「批評することは、自分自身を表現することである」と語るが、まさに本書はその声明の体現である。芥川龍之介という“近しい魂”を論ずることの困難と必然が交錯し、その矛盾を乗り越えようとする堀の格闘が、全篇にわたって痛切な響きを伴っている。
堀の視点は、一貫して芥川の“晩年”に集中している。世評において「痩せた」とも評される晩年の作品群を、むしろ堀はそこにこそ芥川の“苛烈なるもの”を見出す。自己否定すれすれの極限でなお作品を生み出し続けた芥川の姿が、堀の眼には「精神の燃焼」として映る。そのまなざしは、共感を超えて、同質の精神的闘争を生きた者による真の理解の証明である。堀自身がそうであるように、芥川もまた「魂の分裂」を抱えた人物だった──そしてその分裂は、単なる個人的な不幸ではなく、近代知識人の宿命そのものだった。
堀の筆致が優れているのは、芥川の人生をロマンチックに美化することなく、その美学の二面性──「冷たい理性」と「柔らかな心臓」との葛藤、そして「雜駁さ」の内なる不調和──を冷静に解き明かしている点にある。「鼻」や「芋粥」に代表される初期のテエマ小説を起点に、次第に「六の宮の姫君」へと向かう美意識の変容を丁寧に追い、さらには「秋」「玄鶴山房」「河童」「齒車」へ至る自伝的作品群において、自己解体的なまでの厭世の深化を指摘する。芥川はもはや「世界を描く者」ではなく、「描きながら崩れていく者」として現れるのだ。
とりわけ堀が繰り返し強調するのは、芥川の芸術観が「人生を知るために街頭を眺める」のではなく、「街頭を見るために本を読む」という逆転した構図のうちにあったことだ。彼にとって芸術とは現実の模写ではなく、すでに芸術となった過去の亡霊に対する応答だった。そこから導かれる「藝術に依って藝術を作り出す」という姿勢──それは単なる模倣ではなく、既存の芸術的形式の中に自らの精神を嵌め込む、ある種の苦行である。ポオ、ボードレール、フランス、ゲーテ……彼はそれらすべてを“摂取しすぎた”がゆえに「雜駁」になり、かつて調和を保っていたそれらの諸相が崩壊しはじめたとき、彼の精神もまた崩れていった。
堀の芥川論の核心は、この「分裂」にある。初期の機知に富んだ歴史小説では、外部の素材に自我を埋め込み、美とアイロニーの距離を保っていたが、後期には自己の破綻そのものが主題となる。『點鬼簿』における母の狂気の影、『大導寺信輔の半生』に見える不穏な自己再構築、『玄鶴山房』の言語不全、『齒車』の死の接近……それらは、もはや技巧やテエマではなく、剥き出しの“魂の器”そのものだ。堀は、そこにこそ「苛烈なるもの」を見出し、「新しい価値」を与えるのが自らの批評の目的であると述べる。
また堀は、芥川をして“近代の文壇”における新たな気運──「眞・善・美」の統合を志す第三世代の一員と位置づける。自然主義と唯美主義と人道主義という三方向の思想的葛藤の中に生きた芥川は、意識的であれ無意識的であれ、それらをすべて内面化した存在であった。だが、それこそが彼を内側から引き裂く結果を招いたのだ。彼は、すべてを理解し、愛し、同時に斜に構えて軽蔑した。堀のことばを借りれば、「彼は人々を理解しても、その人々から理解されることはなかった」のである。
この批評が他の芥川論と一線を画するのは、批評家としての自負ではなく、共苦者としての眼差しにある。堀は最後に述べる。「芥川は『私小説』を書かず、それが彼の性格に根ざしていた」と。そして、彼自身を描くことの痛みこそが、彼の文学の核だったと。堀もまた、自らの批評の中で“チョッキを脱がず”に語る者である。だが、その内側から滲み出すようにして、芥川の孤独と、美と、破滅が、静かに、しかし確実に読み手の胸に届いてくる。
この批評は、文学史の一考察ではなく、魂の記録である。美に憑かれ、精神に裂かれながら、それでも書くしかなかった者たちへの、深い理解と愛惜の言葉である。堀の言うように、芥川は死によって「眼を開けさせた」。堀はそれに応えて、この批評で“見ること”を選んだのだ。読む者もまた、そこに自らの眼を差し入れ、魂の光を確かめるべきである。