LAUGHING CHICKENS IN THE TAXI CAB。
田中宏輔

学校の帰りに、駅のホームで電車が来るのを待っていると、女子学生が二人、しゃべりながら階段を下りてきた。ぼくが腰かけてたベンチに、一つ空けて並んで坐った。「こんど、太宰治が立命に講演しに来るねんて」「そやねんてなあ。あたし、むかしの人やと思てたわ」「どんな感じやろ」「写真どおりやろか」。ぼくは、太宰のことを訊こうとしたが、思い直してやめた。声をかけるのもためらわれるぐらい、二人とも美人だったのだ。間もなく電車が来た。ぼくは、違う入り口から乗り込んだ。


彼女はどこに埋められたの?
            (ナボコフ『ロリータ』第二部・32、大久保康雄訳)
ぼくのハンカチの中だ。
        (エーリッヒ=ケストナー『飛ぶ教室』第四章、山口四郎訳)
迷わないように
             (ホセ・ドノソ『夜のみだらな鳥』8、鼓 直訳)

去年の夏休みは、アキちゃんと、賀茂川の河川敷で、毎日のように日光浴してた。ぼくたち、二人とも、短髪ヒゲの、どこから見ても立派なゲイなのだけど、アキちゃんは、さらにオイル塗りまくりのフンドシ姿で、川原の視線を一身に集めてた。ぼくだって、カバのように太ったデブで、トランクス一つだったから、かなり目立ってたと思うけど、アキちゃんには、完全に負けてた。自転車に乗った子供たちが、アキちゃんのプルルンと丸出しになったお尻を指差して、笑いながら通り過ぎて行った。


妹と
            (ロビン・ヘムリー『ホイップに乗る』小川高義訳)
いっしょに
                    (ノサック『弟』1、中野孝次訳)
古い歌を
          (ナディン・ゴーディマ『釈放』ヤンソン柳沢由実子訳)

タクちゃんの部屋に遊びに行くと、テーブルの上に道具をひろげて、お習字の練習をしていた。つい最近、はじめたらしい。タクちゃんは、ぼくのことをうっちゃっておいて、熱心に字を書きつづけた。ぼくはベッドの端に腰かけて、「飛」という字を、メモ用紙にボールペンで書いてみた。一番苦手な字だった。そう言って、ぼくが、ふたたび書いて見せると、書道の本を手渡された。見ると、ぼくの書き順が間違っていたことがわかった。正しい書き順で書くと、見違えるほどに、きれいに書けた。


織り
(スティーヴンソン『ジーキル博士とハイド氏』手紙の出来事、田中西二郎訳)
込んで
              (モーパッサン『女の一生』十三、宮原 信訳)
おいたのだ。
             (ポオ『盗まれた手紙』富士川義之訳、句点加筆)

夜中の一時過ぎに電話が鳴った。ノブユキからだった。一週間ほど前に帰国したという。親知らずを抜くのに、アメリカでは千ドルかかると言われ、八百ドルで日本に帰れるのにバカらしいやと思って、日本に帰って抜くことにしたのだという。保険に入ってなかったからだろう。それにしても、驚いた。ぼくの方も、二日後に親知らずを抜くことになってたから。ぼくの場合は、虫歯じゃなくて、いずれ隣の歯を悪くするだろうからってのが理由だったけれど。ノブユキの声を聞くのは、二年ぶりだった。


だが、それはもう
                 (サルトル『壁』伊吹武彦訳、読点加筆)
ここには
             (マリー・ノエル『哀れな女のうた』田口啓子訳)
ないのだ。
         (T・S・エリオット『寺院の殺人』第一部、福田恆存訳)

本って、やっぱり出合いなんだよね。先に、「ライ麦畑でつかまえて」を読まなくってよかったと思う。サリンジャーの中で、一番つまらなかった。たぶん二度と読まないだろう。まあ、文学作品の主人公というと、たいてい自意識過剰なものだけど、「ライ麦」の主人公に鼻持ちならにものを感じたのは、その自意識の過剰さもさることながら、自分だけが無垢な魂の持ち主だという、とんでもない錯覚を、主人公がしてたからだ。かつてのぼくも、そうだった。だからこそ、いっそう不愉快なのだ。


ずっと以前のことだ。
           (ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』上、河島英昭訳)
ある晩、
        (ズヴェーヴォ『ゼーノの苦悶』4・父の死、清水三郎治訳)
海がそれを運び去った。
                  (『ギルガメシュ叙事詩』矢島文夫訳)

エイジくんは、ぼくの横にうつぶせになって、背中に字を書いて欲しいと言った。Tシャツの上からだ。直に触れられるより気持ちがいいらしい。書くたびに、エイジくんは、何て書かれたか、あてていった。ぼくが易しい字ばかり書くものだから、途中から、エイジくんが言う字を、ぼくが書くことになった。「薔薇」という字が書けなかった。一年ほど前のことだ。西脇順三郎の「旅人かへらず」にある、「ばらといふ字はどうしても/覚えられない書くたびに/字引をひく」を読んで思い出した。


そうなんだ。
       (シェイクスピア『ハムレット』第一幕・第四場、大山俊一訳)
ああ、海が見たい。
              (リルケ『マルテの手記』第一部、大山定一訳)
バスに乗ろうかな。
           (セリーヌ『なしくずしの死』滝田文彦訳、句点加筆)

lead apes in hell:女が一生独身で暮らすという句がある。猿を引き回すことが老嬢の来世での仕事であるという古い言い伝えに由来し、エリザベス朝時代の劇作家がしばしば用いた、と英米故事伝説辞典にある。イメージ・シンボル事典によると、老嬢は地獄で猿を引く、という諺が知れ渡っていたらしい。シェイクスピアの『空騒ぎ』第二幕・第一場に、「地獄へ猿をひいて行かなくてはならないのだ」(福田恆存訳)とある。「陽の埋葬」で、ぼくは、それを逆にした。猿が、ぼくを引くのだ。


そうすれば、
                (ジュネ『ブレストの乱暴者』澁澤龍彦訳)
ぼくのハンカチが
       (ギュンター・グラス『ブリキの太鼓』第III部、高木研一訳)
出て来るかと思って。
      (シュペルヴィエル『ロートレアモンに』堀口大學訳、句点加筆)

タカヒロがポインセチアを買ってきてくれた。昨年のクリスマスの晩のことだ。別れてから、八年になる。タカヒロが大学一年のときに、ふた月ほど付き合っただけだが、ここ一年くらい、電話で話すようになった。いま付き合ってる相手が、京都だというのだ。卒業すると、タカヒロは東京の会社に就職した。ぼくのところに寄ったのは、ついでだった。コーヒーを淹れたあと、養分になると思って、その豆の滓を鉢の中に捨てた。二日もすると、白い黴が生えた。何度捨てても、同じ白い黴が生えた。


このバスでいいのだろうか?
        (ナボコフ『キング、クィーンそしてジャック』出淵 博訳)
あゝ、いゝとも。
          (モリエール『人間嫌い』第一幕・第一場、内藤 濯訳)
お前も来るかい?
                    (ジュネ『泥棒日記』朝吹三吉訳)

毎日のように葵書房という本屋に行く。すぐ近所なので、日に三回行くこともめずらしくない。この間、ジミーと行った。彼はオーストラリアから来た留学生で、大学院で日本文学を専攻している。二階の文芸書コーナーで、彼が新潮日本文学辞典を開いて見せた。コノ人、田中サンノ先生デショウ?そう言って、彼は指先をページの右上にすべらせた。そこには見出し語の最初の五文字が、平仮名で書いてあった。田中サンノ先生だから、おおおかまナノデスカ? それを聞いて、ぼくは絶句した。


ハンカチを
               (モーパッサン『テリエ館』2、青柳瑞穂訳)
浮べて、
             (ラディゲ『肉体の悪魔』新庄嘉章訳、読点加筆)
海はまた別の物語を語る。
         (J・シンガー『男女両性具有』I・第七章、藤瀬恭子訳)

温泉の番組で、レポーターが、卵が腐ったような臭いがするって言ってた。彼女は、卵が腐った臭いを嗅いだことがあるのだろうか。この間も、ニュース番組で、アナウンサーが、あるものが雨後の筍のように生えてきましたって言ってたけど、彼が実際に雨後の筍を観察したことがあって言ったとは思えない。卵が腐ったような臭いも同じで、現実に嗅いだことがあって言ったとは思えない。ゆで卵の殻を剥くと、すごく臭いことがある。卵が腐ったような臭いと聞くと、ぼくは、これを思い出す。


海はもう
             (トーマス・マン『ヴェニスに死す』高橋義孝訳)
ハンカチを
          (サングィネーティ『イタリア綺想曲』99、河島英昭訳)
少しずつほどきはじめていた。
      (トランボ『ジョニーは戦場へ行った』第一章・3、信太英男訳)



自由詩 LAUGHING CHICKENS IN THE TAXI CAB。 Copyright 田中宏輔 2025-05-26 14:22:17
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