結局、血が騒ぐ
ホロウ・シカエルボク


鋭利な刃物が頸動脈に狙いをつけている、極彩色の夢を見た朝は、初めにそこが天国なのか現実なのか確かめることから始まる、天国ならラッキーって思うし現実ならウンザリする、でも未来があるのはいつだって現実の方さ、ステレオからグラハム・ボネットが叫んでいる、彼は見た目はすっかり爺さんになってしまったけれど、未だに昔と同じようにシャウト出来る、Since You Been Goneと叫んでいる爺、そいつはなかなかご機嫌な光景だぜ…歌えるヤツはずっと歌い続ける、それだけのことさ、あれこれと余計なものに手を染めてしまうのは、歌えないかもしれないという不安に苛まれてるヤツだけだ、そう、現実だった、今日がどんな一日になるかわからないけれど、まずは起き上がって洗面台に行くべきだ、洗面に水を溜めて顔を突っ込む、寝惚けた頭が一瞬で覚める、それから洗う、滅多に出ない酒の席か何かでふとそういう話になって、俺がそうして顔を洗うと言ったら、冷たい水で顔を洗うのは実は良くないんだよ、という注意を受けた、ぬるま湯で洗わないと肌を痛めるらしい、そういう俺より少し年上の男の顔はシミと汚れで見るも悍ましかった、知っていることが素晴らしいんじゃない、それをどれだけ自分の人生に反映させているかだ、俺はその男からそんなことを学んだ、まあ、彼が薄汚いのは酒と煙草が好きなせいでもあるだろう、だからというわけじゃないが俺は酒もほとんど飲まないし、煙草にも手を付けない、酒を飲めば本が読めなくなるし、煙草を吸えば持ち物が汚れる、砂鉄を被ったみたいな奇妙なザラザラした感触で生活圏内が染め上げられる、それが気に入らない、父親も二人の弟もヘビースモーカーだった、父親は死んだし弟二人は引きこもりと鍵の掛かる病棟の中、かろうじて社会に残っているのは俺だけというわけだ、まあ、あまり人に話すようなことでもないけれど…そう、つまり、それが酒と煙草のせいじゃないとは俺には思えない、そういうことさ、実家に居る時にはずっと白檀の香を焚いていた、ニコチンの臭いなんか纏いたくないからね、今は猫が居るからそれもしていないけれど―ついこの間までは夜の詩ばかり書いていたのに、近頃は朝の詩ばかり書いている気がする、あまり遅くまで起きていることがなくなったせいかもしれない、昔夜に感じていたものを、今は朝に感じているのかもしれない、まあ、そんなことどうだっていいけれど、バナナを食いながらインスタントコーヒーを入れ、ネットサーフィンをしながら今日の情報をある程度飲み込む、休日と言えどたいした予定があるわけじゃない、近頃はめっきり予定がある休日が嫌いになってしまった、なにをするわけでもないけれどどんな予定も入れたくない、そう思いながら毎日を生きている、もちろん誰かと遊ぶ約束ぐらいなら別に構わないけれど、雨が降れば家に籠っているし、天気がいいなら散歩に出かける、本屋を覗いて間食用の食いものを買って帰る、もう徒歩圏内にCDを売っている店はなくなってしまった、文化圏に音楽が無い街は死んだも同然だ、デッドマン・ウォーキングが聞こえる、あいつも本当の意味でのスターマンになってしまった、劇場でしか聞くことが出来なかったものが、板に刻み込まれ、デジタル信号に変換され、数十年の年月を経ても最新の技術でブラッシュアップされて再生され続ける、その意味を理解して居る者がどれだけ居るのだろうか、量産型の、本質とは無縁の音楽が製造ラインに乗って次々市場に送り出されるその一方で、本物の音楽が受け継がれ続けるその意味をどれだけの者が知っているだろうか、近頃じゃ良く出来た贋作だっていくらでも作れる、名作のプロセスが模倣されて再構築される、そんなもので涙を流す連中だって大勢居るんだ、境界線はどんどん曖昧になる、その内格闘技だって本人のDNAを移植したクローンたちで行われるかもしれない、命が偽りになった時俺たちは何を手に入れるのだろうか?その代わりに何を失うのか?始まりはいつだって自分自身の鼓動が奏でるリズムだった、それはごくごく個人的なものだ、時代の流れなんて言葉で逃げを打つのはよしなよ、フランク・シナトラのアルバムは今だってコンプリートすることが出来るんだ、ああ、ウンザリするくらいいい天気だ、流行の服ならどんなクソみたいなシルエットでも勇んで買い漁るやつらが居る、今年は寸胴みたいなジーンズが主流らしいね?俺はいつだってストレートかストレッチだよ―夏が来ようとしている、噎せ返るような熱気、時代は変わり続けている、いま目の前にあるものだけが真実だなんて口をきくのは愚かだ、俺は自分がなにをやるべきなのか知ってる、ただそれだけのことなのさ、今日はひとつ、伸ばし続けた髪に鋏を入れることにしよう、近頃あまりやってなかったベリーショートなんていいかもしれないな、印象だってガラッと変えることが出来るしね、そういえば何年か前、当時通ってた床屋でスキンヘッドを薦められたことあったな、頭の形が凄く綺麗なんだってさ、俺、まあ、きっと、額をつけるブリッジをやり続けているせいなんだろうね、血肉が反応するもの、そういうものだから良質なフィードバックを手に入れることが出来るのさ、もちろんこれは俺個人の感じ方だけどね、でも、そういうクラシックなやり方をしていないやつの中に、オッと驚かせてくれるようなものを作ってくれる人間なんて俺はまだ見たことが無いんだよ。



自由詩 結局、血が騒ぐ Copyright ホロウ・シカエルボク 2025-05-25 21:40:09
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