古本屋の軒下で
室町 礼

遠い昔
有名作家が書いた小説全集の一冊が
場末の古本屋の店頭にバラ売りされていた

古本屋の軒下には
時間の残骸のように小さな位牌が
重なっている
わら半紙を糸で綴じただけの
茶色く変色した本は
戦前皇室で調理師のひとりだった
老人が書いた手記だった
──玉音放送はレコードに記録
されたものが流されたもので
人々が跪いて汗をたらしながら
放送を聴いているあいだ
皇后さまはケーキをつくるのに夢中でした
侍女の方々ときゃあきゃあ
笑いさざめきながらそれはもう楽しげに
調理場をいったり来たりされて
初めてみる西洋ケーキを夢中になって
つくっておられました─
とある

有名作家のものを手にとって
裸電球の下で
ふっと
息を吹きかけると
埃が舞った

  貧しい人の夢が雪となって降るとき、
  触る者は凍死し、資本主義は麻痺する
         『詩人の生涯』※
この小説家は詩人を誤解していた
ふてぶてしい虫は
ことばごときで凍死などしないし
麻痺もしない
詩人を
子どものように美化していた昔の小説家が
詩人にあこがれて夢中になって書いた
こんな言葉を今や
だれが知ろうか
詩なんて
捨てられた大根のヘタが咲かせる
小さな花の 薄もも色の弁のように
雪よりも
もっと小さな片々となって
かぜに散ってゆくだけのものだね
いっときだけ
人をほっとさせて
そして
だれからも
忘れ去られるように
溶けていく









※安部公房全集12『詩人の生涯』


散文(批評随筆小説等) 古本屋の軒下で Copyright 室町 礼 2025-04-17 14:35:23
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