文学が救うべきものは、命ではなく物語である
鏡文志

「長男への、弔辞文」

長男へ


欧米で七十人、日本で千人。
2023年の一日あたりの親の同意による本人の同意なき精神病院患者の入院数です。
一年で数えると、欧米が二万五千五百五十人。日本が三十六万五千人というところでしょうか?

その中でも、貴方と私は同じ家族に生まれ、親の同意により精神病院に入院した人間が同じ家族に二人もいるという他にあまり聞いたことのない二人です。子供を二人も病院に入院させる親がどういう人間か? ここにいる二人を見れば分かる通り、本人たち曰く立派な被害者です。

この親の被害者ぶりは壮絶です。自分たちが正しきと思うと、一ミリもそれを疑うことはない。
これだけ息子が二名も精神病院に入っている以上、その二名は途轍もない精神的病を抱えていなければならない。

「息子を二人も精神病患者として抱えた親の気持ちを、貴方は分かりますか?」
そう言うことが平然と、人前で言えてしまう。何故言えてしまうか? それはこの国が世界でも有数の精神医療大国であるからに他ありません。

テレビのコマーシャルを見れば、新聞のチラシを見れば、相当数の医薬品の広告が溢れ、それらがマスコミュニケーションを支えるスポンサーの中心になっていることが分かります。

なにか調子が悪くなれば、直ぐに薬に頼る日本人。それは、問題があると直ぐに発散と解消を求める子供の体を思わせます。
「りんごが赤くなれば、医者が青くなる」
と言う古(いにしえ)の言葉がありますが、そのリンゴも農薬だらけ。日本は農薬大国でもあります。
現代に医者を青くさせるものがなにかあるでしょうか? 一人抵抗しても二人医療に飛びつく。二人抵抗しても、五人医療に飛びつくとでもいうように、誰が抵抗しようが、飛びつく人間が多い限り医療ビジネスは膨れ上がり続け、薬は飛ぶように売れていきます。結局誰が抵抗しても、医者は困らない。製薬会社も困らない。

こんな小話を考えました。ある一人の国の重要な闇を知っている男がいて、その男はその事実を知っている自分をとても恐怖に感じる。男の家には、同じ内容の全く別の側面を見ている父親がいて、その父親は、この事実を喋ると部屋に盗聴器が仕掛けられていて、それが権力者に聞かれてしまうかも知れないから黙れと、息子に言う。

部屋に盗聴器が仕掛けられていることがあり得ないわけではない。しかしそれだったら全ての家庭に盗聴器が仕掛けられていても不思議ではない。それにネットの時代は全ての情報が個人個人でダダ漏れとも言える。

この父親が推進する神経質な生き方は不健康なのではないか? と男は内心疑っている。
そして驚くことにこの父親は、自分の政治的主張だけは決して捻じ曲げることなく、家庭内で余すことなく話し続ける。

男が気づいたのは、この父親がよく分からない頭の中のゲームを楽しんでやっているのではないか? と言うこと。人間がホモサピエンスである以上、頭の中の遊びは辞められない。楽しく笑っているならいいけれど、そしてその遊びが周りの人を勇気づけたり、活気づけるような明るいものならいいけれど、やけに病的な頭の中の遊びで、どうやらインターネットを通じて、同じ共通する遊びを共有する仲間がいるらしいぞ。

父親はある時目を真っ赤にして、男の前に現れる。長時間のSNSの活用は目を赤らめる原因になる。それを指摘すると父親はこう語る。
「放射能のせいである」
と。放射能は3.11で地震により原発から海へと漏れ、魚も食べづらくなり、今も空気中に漂っていて、日本人の身体に見えないところで影響し、蝕んでいると言われています。
しかしもし父親の主張が正しければ、周りの多くの人間も、目が赤らめていなければおかしい。この父親は他のあらゆることでも視野狭窄を起こしているのではないか?
家庭内の洗濯物は、放射能が着くから外に干すなという。洗濯から乾燥まで洗濯機でやるため、一日十時間程度、家族四人分の洗濯を洗い続ける。朝は六時から、十時程度まで。夜は五時から深夜近くまで。男が二階で寝ていると、一階ではずっとこの洗濯機の音が響いている。部屋は木で出来ているため、音は行き渡り易い。男が父親にある日苦情を言うと、父親はまるで、自分が気分良くやっていることに文句をつけられることが気に入らないとでも言うような顔で男を見る。その拗ねた顔。まるで自分の我儘を通し切ることが最良で、それを邪魔されることに不満があるとでも言うかのように。父親は二階で寝ていても洗濯機からは遠い場所で寝ている。洗濯機の音はどんなに煩くても、二階にいる自分の部屋にはほとんど聞こえない造りになっている。それは他のことでもそうだ。男の兄が部屋で、大きないびきをかいて寝ている。兄は毎日男に暴力を振るい、その鼻息は荒く、生理的に嫌悪する言動を見せ、日中その言動にうんざりしている男にとって、夜中までその兄の汚いいびきの音を聞かせ続けられることは、苦痛なことである。長男は隣の部屋で寝ている。或いは、真下の部屋で。家を変えても引っ越す度にそう言う作りになっている。両親は、息子の部屋の音が聞こえづらい作りの部屋に住むようになっている。

男が兄のいびきの音が辛いと父親に言うと、それはお前が暇だからだと語る。父親は忙しいといつも言うけれど、やっていることはテレビ鑑賞とネット鑑賞をたっぷりの年金生活。男が幼い時でさえ、ロクに働いている姿を見せたことはない。そもそもこの家がおかしくなったのは、父親が東京で働くことがイヤになって茨城に越し、その後父親がまともに働くことをやめて、家の家賃が払えなくなり、次々と引っ越しを繰り返して、その家でも父親が我と我が身の不満欲求の発散とでも言わんばかりに、自分の息子たちに当たり続けて家庭内不和が生まれたからだ。腐り切った縁は断ち切ったほうがいい。しかし、長男には家を出る勇気がなかった。何故か? 彼が本物の依存心が強い親依存者だったからだ。

彼は発狂して放火事件を起こし逮捕前でさえ、母親に対し
「ぶっ殺してやるぞ!」
と言葉を浴びせたが、実際に暴力行為を働くことはなかった。男の水筒に、男が無理矢理強引に飲まされている医薬品を大量に入れ、飲ませようとしたこともある。彼が発狂し、逮捕直前までこだわり本当に殺し、命を狙いたかったのは幼い頃からいつまで経っても同じ変わらぬまま、男だった、自分の弟だったのだ。

そして彼が自分の母親父親に対し望んでいたことは、殺すことではなく発狂した時でさえ、優しくしてくれることだった。

(徐に長男の遺影を見ると)それが、貴方の物語です!

お兄ちゃん。僕はお父さんお母さんに愛されたい依存したいと言う貴方の思いが最後まで分からなかった。貴方は私に対し、吐口として依存していたし、それは恋人から友人に至るまでそうしようとしたのでしょう。それが貴方がいじめられた原因かどうかは分からない。しかし、父親は吐口としての貴方や私に依存していたし、今も次男から母親に至るまで今も汚いやり方を使ってまで依存しています。

貴方の物語はきっと私が拾わなければ誰も救うことなく、意味なき無駄なき命として誰の目にも止まることなく葬り去られたことでしょう。貴方が私に依存しなにを求め、救われようとしたのかは分からない。

しかし、貴方はこうやって不幸な形で命を落とし、私たち家族のところへ帰ってきた。母親父親へ。この遺骨を大切にしてください、自らの深き反省と、怨恨へのお祓いのために。


三男 ○○


散文(批評随筆小説等) 文学が救うべきものは、命ではなく物語である Copyright 鏡文志 2025-03-27 04:26:17
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