「クレクレ星人の独り言 52」
ジム・プリマス
銀河騎士隆盛記 零 地の章(PE57QとYWC2+湯治編)を書き始めたが、登場人物たちが思ったよりも動いてくれない。霊感が上手く湧いてこない。
BGM代わりに「紅の豚」を観ながらパソコンのキーを打つ、宮崎先生の作品は良い。文句なしだ。宮崎先生の作品のなかでの僕のオススメは「未来少年コナン」だ。今、観ても古さをまるで感じさせない。
WOKE連中には精神の治療が不可欠だが、その治療の為に「未来少年コナン」全二十六話を見せて、一話ごとにレポートを書かせては、どうだろう。いかに左派思想にトチ狂っている連中だとしても、若ければ(と言うか子供心が残っていればだが。)症状が改善し、少しは正気に戻るのではないだろうか。今、僕は冗談でなく真剣にそう思っている。
ダイス船長やモンスリーが、自分の間違いに気づいて、善性を取り戻す。つまり魂が善転換するシーンが描かれている。そういう場面を描くことが出来る人間性の深いところに、先生の直向(ひたむ)きな善意を感じる。
ポリコレとかDEIに傾倒している連中の想いの底には、悪意と邪な欲望を感じる。そういう連中が作り出す作品には、そういう想いが籠る。そういうところは、観客たちには分からないようでありながら、自然に伝わるものなのだ。
ハリウッドの偉いさん達には、そういう、人間の持つ皮膚感覚が理解、出来ないのだろう。金を持て余していても、哀れで可哀そうな人たちだ。新しい世界が訪れたとき、かれらは何処にゆくつもりなのだろうか。
「侍タイムスリッパー」にもそういう作り手の、善意がこもっている。だからウケルのだ。