落選詩とその理由の分析
鏡文志

才能というのは、なんでしょう。一度才能のあると思う人と話し合ってみたいテーマであります。
僕が一つ思うのは才能のある人は記憶や、記録というものにとても敏感で、大切にしますね。
つまり表現者という意味ではですが。言葉というのは空気に消えてしまう。身振り手振りもそうです。
つまり動き、アクションであれ我々の言動全ては風の中に一瞬で消えてしまう。その一瞬で消え、記録されることもなく去っていくすべてを良しとすることなく、記録であり記憶であり、そう言った世界を大切にする。それが才能のあると僕が感じる人の特徴です。

落選した詩は、誰の記録にも記憶にも残りはしない。投稿した人間は、何故落選したかを一生懸命勉強しようとします。別に気に入らないと怒るわけでもなく、それには理由があると思い、その理由について考えることは中々興味深いことでもある。


「老い」

風のように喋る。それがとても勇ましい
直ぐに嵐起こす。台風のような日々
俊敏さを失くす。そのことが悲しい

石のように硬く。それがとても懐かしい
漫画本とテレビ。コタツあれば眠る
鋭利さをしまう。それがとても寂しい

揺れるものなきもの。なにかに守られていた日々
不機嫌を支えていた、駄々っ子のお世話

光の中生きる。そのことが、待ち遠しい
闇の中の蛹。貧として機会、授からずや
我一人嘆く。時はただ過ぎる

闇雲に走る。その空走り、どこか虚しく
愛を乞うて歌う。古をなぞりし、悪あがきかお慰めか
国を問うて闘う。時代の波に破れ

鳥のように高く。その羽が愛おしい
虫のように小刻みに、その胸は震え
森のように深く、迷いの中抜ければ
水のように緩やかに、優しくなっていくばかり



ココア共和国に投稿した詩です。
才能とか表現の世界で光輝くものというのは、他人を打ち負かすような陰湿なものでなく、自分に勝つかどうかが大切です。その面でこの作品は大勝ちではない。その自分に勝つという感覚は、どこに求めるかは微妙なところですが、作品の中には正直に現れるもので、それはこのテキストを読み直していると興味深いです。全編にわたって私らしい音楽的なリズムは相変わらず健在では、ある。しかし


>闇の中の蛹。貧として機会、授からずや
我一人嘆く。時はただ過ぎる

闇雲に走る。その空走り、どこか虚しく
愛を乞うて歌う。古をなぞりし、悪あがきかお慰めか
国を問うて闘う。時代の波に破れ


ここら辺の私を知る人なら分かる強制入院の実態であるとか、そう言った作品の背景にあるものは、直ぐに読者が察知出来るかというと難しいところです。なんか全体を見て薄ぼんやりしてパッと見て、明るくない。綺麗さ、鮮やかさがないのです。墨で塗ったような印象です。


>風のように喋る。それがとても勇ましい
直ぐに嵐起こす。台風のような日々
俊敏さを失くす。そのことが悲しい


一連目は、子供時代の自分に対する印象と、それが懐かしいなあなんて言う振り返りですかね。
『老い』をテーマにしてるので。三十八の男が老いをテーマにするのも、年上の審査員からすれば鼻につくのかも知れません。それに私はいまだに風のように喋るのです。しかし風のように早く喋るではないか? そこの迷いも少しありました。リズムを揃えたかったし、そこは、これで通ると考えることにしました。直ぐに嵐起こす。これは幾分虚勢ですかね? 私は普段はとてもおとなしい男です。三行目では、そんな自分でなくなるのが悲しいと詠んでいる。


>石のように硬く。それがとても懐かしい
漫画本とテレビ。コタツあれば眠る
鋭利さをしまう。それがとても寂しい


石のように硬い? なにが? と疑問が湧く。それは意思が堅いとか、だとしたら説明不足の感は否めない。それで伝わると思ったわけですが。二行目はややほのぼの感を出す。三行目の鋭利さをしまうは、そこまで鋭利だったことあったっけ? という疑問も湧く。


>揺れるものなきもの。なにかに守られていた日々
不機嫌を支えていた、駄々っ子のお世話


そしてここで妙に正直感を出して、俺は大したことなかった。誰かに守られていたから、鋭利で入れたんだと投げやり気味に語り出し始めます。


>光の中生きる。そのことが、待ち遠しい
闇の中の蛹。貧として機会、授からずや
我一人嘆く。時はただ過ぎる


全体的にリズムを揃えて、文体の格好良さだけは保ちながら言っていることは相当情けない。
俺が恵まれない境遇だったのは、全部貧乏が悪かった。貧として機械授からずやと格好よく表したところで、貧乏のせいだ! と言っているに過ぎない。しかし、それは事実かも知れないため、読み手は少したじろぐ。


>闇雲に走る。その空走り、どこか虚しく
愛を乞うて歌う。古をなぞりし、悪あがきかお慰めか
国を問うて闘う。時代の波に破れ


六連目は更に女々しく、国が悪い俺を強制入院させやがってと文章は怒りの唸りをあげる。


>鳥のように高く。その羽が愛おしい
虫のように小刻みに、その胸は震え
森のように深く、迷いの中抜ければ
水のように緩やかに、優しくなっていくばかり


最後に私が手に入れたものは優しさだったと結んではいるけれど、内容の刺々しさを読めばそれは嘘だとわかる。老いも嘘、優しさも嘘、鋭利さを仕舞い込むも嘘。多分僕が欲しかったものは、優しくない自分。そんな苦い思いに溢れた詩でした。


正直が表現者の肝です。下手か上手いか出来が悪いかどうかは、二の次です。僕はまだ大人になってない。それが僕のいいところだと思ってます。つまり読む人がきちんと読めば、僕は正直な人だと分かると思うのですが……次回は、きっと一年ぶりに採用されると思っている自分に勝ったと思っている詩を今月は投稿しました。採用された詩は紙面の方に掲載されるため、ここでは著作権上紹介しづらいのが残念です。

ビーレビの削除申請については、利用者として私は考えがまだ追いつかないところが多く、情報進行状況を追って、また記すかも知れません。連絡をして頂いた方、名前は挙げませんが、ありがとうございました。


緊急ビーレビについてーみうらかじつ ツイキャス
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自由詩 落選詩とその理由の分析 Copyright 鏡文志 2025-03-22 08:06:57
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