冬が終わり現実の春が来る
山人

 二月については多くを語ることはできないくらい煩雑で混沌とした月であった。豪雪であり、闘いでもあり、不毛な労働と出費が続いたという形跡がある。だがしかし、本当に雪が多かったが、過去にさかのぼって記憶をたどると、こんな年はいくらでもあったし、今年だけのことではないのである。皆、ここのところの暖冬に慣れすぎて、昔当たり前だったことを忘れてしまっているのだ。ちなみに私の住む地区では最高積雪が四メートル九十セントを超えた。あと少しで五メートルになったがその記録以上の冬は何回もあった。
 もう勘弁してほしい、そう思うことはいくらかあった。だが、意外に時間の猶予がある身ゆえ、小まめに自宅屋根に上り雪下ろしをした。その回数、十四回であった。
 一般的には危険回避のため、命綱をつけること。複数で実施すること。など、雪下ろし中の事故が増発する昨今では常に言われ続けている事項である。それを十分承知の上で、命綱なし、一人作業という選択をしていた。
 二月某日、建設業者の下請け業者社長自らが、橋の除雪中に川に転落し命を落とした。詳しい経緯はわからないが、相当な重量の雪庇が川方向へせり出した結果、その重量と落下引力に引っ張られ雪塊とともに落下してしまったのであろうと推察する。私より一つ上の年齢であった。そんな事故の後の屋根の雪下ろしはさすがに怖かった。自宅は小さいが、一階部分は 車庫や物入となっていて、二階が居間で三階が寝室などとなっている。よって一番高い所はかなり怖い。落下したら命を落とすこともあるだろう。一応ザイルを用意し、怖いときには使うようにした。
 毎日深夜に近い時間帯から除雪作業を行い、無人駅のホーム除雪に精を出し、帰って再び自宅前と家業宅後方の機械除雪に明け暮れて一日が終わるという日々が続いた。
 駅除雪について、今冬、JRは一切を下請け業者に委託し、我々は少ない人員で過酷な手作業の除雪を強いられた。その結果として無理をしすぎ脛骨筋の腱鞘炎になってしまった。無理をすると体が壊れるという危機的自覚症状が未だ発生しない年齢なのであろう。それとも肉体が老化し、普通なら腱鞘炎にならずに済むところが済まなくなってきたのかもしれない。

 今冬の駅除雪勤務も昨日で終わった。骨身に堪えたが、終わってしまえばなるほどそういうことか、と意味の分からない納得が生まれる。
 今は冬の気配すらなく、おびただしい残雪の量と、道路雪壁のくたびれた雪庇群、時折降りしきるなごり雪、春を急かせる土が見えるひび割れ、このように今となっては何があったんだろうと立ち止まるしかない。
 冬の弾丸が私たちの体に一斉に掃射された。旗を掲げ、馬に乗り、鎧で覆いながら合戦に挑み、知らず知らずのうちに闘いなど初めからなかったのだよ、と春に諭されている。春はあざとい。


散文(批評随筆小説等) 冬が終わり現実の春が来る Copyright 山人 2025-03-20 05:12:18
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