どうせすべては塵になるから
ホロウ・シカエルボク
人生の中でもしも、人が人でなくなる瞬間があるとすれば、俺が腰を下ろすのはそこに決まっている、型枠を取っ払った場所、余計な思考、余計な動作をまったく必要としない場所―人間という生命体にもしも正解なんてものがあるとしたら、その場所を自らの意志で求めることだと俺は思う、冷え切ったキッチンでインスタントコーヒーを入れるための湯を沸かしながら蠅のように周辺をうろつく思考の断片をキャッチして遊んでいた、形を成す前に飲み込まなければならない、大体の輪郭だけとらえておけばあとは精神と肉体が理解を進めてくれる、なんでもかんでも言葉で完璧に表そうとするのは、人間というアイデンティティで身動きが取れなくなったやつが犯す愚行だ、小さなケトルが蒸気を吹き上げる、マグカップを取って底にコーヒーの粉を落とし、湯を注ぐ、液状化した蒸気が茶色になって渦を巻いている、ブコウスキーの余った作品が一冊の本になるまでぶち込まれたハードカバーを捲りながらそれをゆっくりと飲み干すと、その日やるつもりだったほとんどが済んだ、たまには何も無い世界で頭を溶かさないと、時々本当に脳天が煙を噴き上げているかもしれないと感じるほど動き続けている時間がある、意気込みと作品にはなんの関係も無い、どんなに思いを込めた書いたものでも駄作は駄作だし、バラエティー番組を観ながら三行ずつ書いたものが絶賛されることだってある、こんなことを言うと傲慢に聞こえるかもしれないけれど、俺は駄作を書いたことはない、俺が書くべきことなんて書き始めた時からずっと一緒だからだ、つまり俺はなんの為に自分がそれをやっているのかきちんと理解してたってことさ―言語化しようと思ったことは一度もないけれどね、もしかしたら、最初の一行がある程度の説明にはなっているかもしれないね、コーヒーの苦みは気分を穏やかにさせた、今から書き始めても良かったがもう少し置くことにした、ある程度焦らした方が回転力は上がる、無理矢理に上げるよりも、それが生まれやすい状況を作る方がはるかに簡単だ、ソファーに身体を沈めて本の続きを読んだ、じわじわと粘度の高い溶岩のようにその日産まれたがっているものがせり上がってくる―俺は書きたくなったときに書くというやり方をしない、思いつこうが思いつかなかろうが週に一度必ずまとまった分量を書くと決めている、書く気が無い時でも書けるようにならなければ意味が無い、気まぐれで書いたり書かなかったりすることは俺の人生に何をもたらすこともない、いついつに書く、と設定しておけば身体は自然にそこに合わせて調整し始める、そろそろなにかを書くときだ、と、勝手にそれについて考え続けているという状態になる、それを書き残したりはせずに、生まれては落ちていくままに任せる、そうしておくとしかるべき時に勝手に這い上がって来て指先にしがみつくのだ、それは昨日思いついたことであることもあるし、何年も前に思いついてずっと忘れていたことでもある、俺の周辺にはいつでもそういう、思考の亡霊とでもいうものがうろうろと舞っている、大昔に見た夢を思い出すみたいにそれは唐突に目の前に現れる、その日書こうとしているテーマによって相応しいものたちが勝手にやって来る、詩作というのは自然的な行為だ、当り前にそこに在る日常の具現化だ、もちろんそれは、どこに何が置いてあるというような現実の描写ではない、そこに染み込んだ記憶や、感情や、閃きの記録なのだ、なぜ書くのか?人生に理由の無い連中なんかは俺が誰も知らない存在であることを茶化している、でも俺が書き続けるのは別に、有名になりたいからじゃない、ずいぶんとさもしい考え方だね、と笑って返すだけだ、なにか革新的なやり方を発明したいわけでもない、それは、書きたいものを持っていなくても出来ることだからだ、なぜ書くのか、それはつまり、鏡に自分の姿を映すように、自分の心を映すものが欲しいというだけのことなんだよ―だから俺は、出来事や感情のすべてに付箋をつけて、そいつらを事細かく解きほぐしていくんだ、それは絶対に必要なことなのさ、遊んでいる暇なんてないよ、頭の中では常に、目に映るものが分解されて並べられている、部品は組み方次第で調子が良くなったり悪くなったりする、ミリ単位での調整が必要になる、どこにどんな力をかけるのか、どことどこでボルトを締めればいいのか、そういった判断を正確に行わなければすべてが駄目になってしまう、しかもそれは、速ければ速いほどいいというものではないし、時間をかければいいというものでもない、すべてが適切な速度、適切な感度で行われなければいけない、しかもその基準は、一度たりとも同じであったことがない、熱に浮かされるみたいに書いたのなんてもう大昔の話だ、でも、今にして思えばあの頃にはまぐれ当たりみたいなものも沢山あったよ、あの頃本当に書きたいと思っていたものを今書いていると思うことがある、感情や感覚の連鎖、自然現象のように常に繰り返されているそれを、出来得る限りそのまま文字に落とし込みたい、そうすればそれはきっと、俺という人間のひとつの記録としてここに残り続ける。