去るもの追わず
鏡文志

言葉を追う人は何故、言葉を追ってしまうのだろう。
言葉は手に入れた後、待つことで自分のものにしていくことが出来るというのに。


サッカーボールをいじり遊ぶ。
いじって遊ぶ間、上手くものにしている人は、体の重心をどっしりと逸らし
ボールに対し受け身のポーズをとっていることが、分かる。


上手い人は決して追わない。
追ってしまうと、遅れてしまうから。

僕は流行を、追わない。
僕は女を、追わない。
僕は言葉を、追わない。
全て受け身で構え、どっしりと腰を据えて待つ。

言葉はプールの中にある水と一緒で、一度中に貯めてしまうとその水で泳ぎ疲れるまで泳ぎ、その充実を味わえるものだ。

出てこないから、追う。これを、痴呆という。

じっくり観察し、自分の頭で見た地に足のついた言葉。これは、追っているうちは出てこない。

追うように喋る人もいるし、目と頭で追っている人もいる。
人の話を聞く人は聡明で、決してなにかを追うことに無我夢中になったりはしない。
これを、理性という。


自由詩 去るもの追わず Copyright 鏡文志 2024-11-17 04:32:33
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