大阪文学学校の思ひ出 ─続・大阪文学学校体験記─
室町 礼
新入生歓迎会の後、新しい生徒のクラス編成が発表さ
れ、わたしは小説部門の初等クラスに入ることになっ
た。
初等クラスのメンバーは30人ほどだったのではない
かと記憶している。もちろん全員初対面。社会人がほ
とんどで学生は数人しかいなかった。
自己紹介のあとみんなで隣のビルにあるレストランに
いってコーヒーを飲みながら雑談をした。
このような出会いは面白いものだと思う。
ふつうに生活していれば決して深く知り合うことのな
い階層の人たちと顔を合わせることができるからだ。
わたしは下層のさえない一庶民だったが、関西に本社
を置く世界的な電機メーカーの取締役を夫にもつ婦人
がクラスにいた。なぜかわたしは、初対面の日からそ
の中年女性と親しく口をきくようになった。
深窓育ちらしく、いい歳になって自転車も乗れない世
間知らずの奥さんだった。
ただし、運転は出来るらしく旦那さんのものだという
スポーツカーに一度乗せてもらったことがある。冷や
汗の連続だった。本人も免許をとって数度しかハンド
ルを握ってないという通り、スーパーまで行くわずか
十数キロのあいだに何度も車とぶつかりそうになった。
それきり彼女と車の話はしないことにした。
彼女の旦那さんは東南アジアの某国に支社長として赴
任することになり彼女も同伴するはずだったが、夫の
母親のボケが進んで不安なため日本に残って義母の世
話をすることになったのだという。しかし義母は別宅
に住んでおり、よほどのことがないと電話してこない。
そこで暇つぶしに文学でもやろうとして文学学校に入
ったのだ。
もう一人、アニメから抜け出してきた主人公のように
天真爛漫な可愛いい女の子がいた。わたしは彼女とも
親しくなり授業が終わるといつも深窓育ちの「姫」と
その娘のような年頃の彼女と三人で隣のレストランへ
繰り込み歓談するようになった。
しかしこのことが文学学校の講師のあいだで「怪しか
らん」と話題になっていたことをわたしは知らなかっ
た。
あらゆる点からみてわたしは、わたしも講師たちやク
ラスメイトの意見と同感なのだが──イケメンとは正
反対のぶさいくな顔である。態度も性格も知性も学歴
も、誰が見ても標準以下で、貧乏人である。それがゆ
えに文学学校の女生徒たちからは相手にされていなか
ったし邪険にもされていた。
そのわたしが当時の文学学校でもっとも上品で知性的
な女性(上智大学を出てベルギー、英国などの留学経
験があり同時通訳の一番上の資格も持っていた)奥さ
んと、さらには、当時の文学学校ではもっともおおら
かに自由奔放に育った可愛い女の子(横浜の富裕層が
多いエリアで有名な横浜市中区山手町出身だった)S
嬢、その三人がいつも喫茶店で密談し、ときになごや
かに、ときに大笑いしている。文学学校の事務局一同
にとってこれほど異様で不思議な光景はなかっただろ
う。
あるとき中クラスの小説部門の講師が件のレストラン
の遠くにあるテーブルから身を乗り出して信じられな
いものを見るような顔つきでわたしたちを見ていたこ
とがある。それに気がついたS嬢が目配せするとお姫
さまは「いや~ね」といって笑い転げた。
小説の講師をしながらどうしてこのシチュエイション
が理解できないのか。そんなことだから売れない小説
を書いて無名のままこのようなところで講師をするこ
とになるのだとわたしは内心いきどおった。
S嬢は可愛いけど二十歳前後から一人で東南アジア全域
を旅行してきた娘だ。人を見る目は持っている。わた
しが「ナンパ」の気持ちなど毛ほどもないことをすぐ
さま直感で見抜いており、安心してこの正体不明の男
に関わっているのだ。「室町さんは人間が好きなのね」
といった。そう、人間に関心があるだけなのだ。それ
はお姫様のように世間知らずな奥方もそうで学生時代
から俳句をやるだけにわたしごとき見抜かれていた。
わたしはあまりにも己を卑下してるがゆえに、自ら恋
愛だのナンパだのといったことを頭から否定して、た
だ、きれいな女の子や知性&品のある奥方と話をした
いだけなのだということをわかってくれていた。
それにわたしの考えではおそらく彼女らはかつて出会
ったこともない異次元の世界から来たわたしの発想や
モノの見方に興味と関心をもっただけなのだ。お館に
閉じ込められていた令嬢が館を抜けだしてフランス料
理ではなくお好み焼きやかき氷を食べたときの新鮮な
驚き。それがわたしにあったのかもしれない。そうで
なければ彼女らが文学学校に来た意味がないではない
か。
そういうことは小説の講師ならすぐに見抜ける人心の
初歩の初歩であるはずなのに、まるで興行場の珍奇な
動物を見るような目で人を見るなど、ここの講師は下
の下だと思った。
三年目になってわたしは上級の詩のクラスを選んだ。
講師は日高てるだった。
日高てるは歴程の重鎮で野村喜和夫なども日高てるに
は深くお辞儀して敬意を表していた。当時はもう70
に近かったかもしれないが、ふくよかな方で女性のも
つ華やかさはもっておられ老年者の影のようなものは
微塵もなかった。
このクラスでもやはり授業のあとで必ずみなが酒屋な
どに繰り込みお酒を酌み交わすのが常だった。
初見の団らんの席でわたしは日高てるからこんなこと
をいわれた。
「その顔でずいぶん女の子を泣かせて来たのだね」
内心「は?」だった。
日高てるは人を見る眼がないのか? それとも何か含
むものがあるとか?
あるとき居酒屋の座敷でたまたまわたしは日高てるの
隣に座ることになった。70近いとはいえ日高テルの
ふくよかな太ももがわたしの膝にふれんばかりの距離
にあった。わたしは何を思ったか日高てるの太ももに
そっと掌をそえた。まったく自動的に、そうしなけれ
ばいけないみたいに何も考えずにそうしてしまったの
だ。するとさすがに日高てるだった。そっとわたしの
手を握り返してきたのである。わたしは四十半ばだっ
た。光源氏みたいに70近い老女を相手にするのがホ
ンモノのプレイボーイ(古いが)なのだろうが、ふと
詩壇の重鎮、長谷川龍生校長の顔が浮かんだ。二人は
いい仲なのである。いつもいっしょに連れ添い、酒席
でも肩を寄せ合っている。
わたしはそっと手を引いた。日高てるもまったく微塵
も表情を変えずに笑って飲んでいる。いや、危ないと
ころだった。
大阪文学学校を激震させるおいらくの三角関係を未然
に防ぐことができて、今、わたしはほっとしている。