縁側のセト神
ゆめ

 ひぐらしが喚きトンボが舞う町にも、無体な感じで朝が来た。早くも夏休みに飽きている勤め人達の溜息が聞こえる。信号は信号自身が考えて人を動かしたりしない。鳥達は自分が歌いたくて歌っていたから歌が上手い。鳥達の声で信号が変わり車は目的地に到着する。

 言え、そして誓え。満月に恋い焦がれた幾千の孤独な夜があると。信号になりたいか?鳥達になりたいか?或いは空を飛ぶ椅子に、雪に変わる雲に?私は今雨を待つ干乾びた砂、西洋の竜は火を起こし東洋の竜は水に棲む、世界は破壊を望んでいる私を産んだ。

 どれだけ言葉を尽くしたとしても憎み合った時間と平和は釣り合わない。人は人を決して許さないだろう。一生苦しむことが分かっていても許せないのだ。人であるから。だがここはあえて信号の話に戻ろう。信号は信じ続ける。鳥達は詠い続ける。事故は今日も起きる。

 鳥達は信号を作ったかもしれない、信号は鳥達の心を理解しているかもしれない。しかし、車は目的地まで走りたいだけだ。美しい恋人に星を見せたいから、小さな子供を寝かしつけるため、老いた人をベッドに運び、溜まった郵便を配り続ける。私が思うに、それは人が皆孤独だからだ。

 もう二度と目覚めたくないと本気で思った時、彼は事故を起こす。目覚めたいと思いながら決して目を覚まさないこともある。病気が治るという言い方もおかしなものだと思う。鳥は歌う。信号は光る。戦争が起きる。まるで、彼も、生きるべきだから病気に赦されただけの人のように。


自由詩 縁側のセト神 Copyright ゆめ 2024-08-12 12:51:53
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