第49回城戸賞二次選考通過作品シナリオ【銀木犀の樹の上で】改編稿②
平瀬たかのり
〇路上
走るマイクロバス。
〇マイクロバス・車内
山ヶ崎青原一座全員が乗っ
ている。並んで座っている
教平と美花。
美花「高野くん」
教平「はい」
美花「あんな、高野くんだけには
言うとこって思ってな」
教平「え、なにをですか」
美花「わたしな、つきあってる人
いてるんよ」
教平「――そうなんですか」
美花「うん、両親にも言うてへん。
おじいち
ゃんも知らへん。けど、なんかな、
なんか
高野くんには知っててほしかった
んよ。そやから、今、言うた」
教平「はぁ」
美花「ほら、なんて言うたって、
お蔦と茂兵衛やる仲やもん」
教平「はぁ」
美花「二人だけの秘密や」
微笑む美花を見つめる教
平。やがて頷く。
〇あさかパラダイス・駐車場
大型ヘルスセンター、あ
さかパラダイスの駐車場
に停まるマイクロバス。
敬造を先頭に降りてくる
一座の面々。
〇前同・大劇場
舞台では夢川春太郎一座
公演『森の石松・金毘羅
代参』が演じられている。
石松を演じる夢川恋太郎
こと篠崎雅之(18)。
三十石船の場面。
●石松(雅之)「――だから江戸っ
子さんよぉ。よっく思い出して
おくれよぉ。清水一家にゃもう
ひとり強ぇのはいませんかって
んだ」
江戸っ子役「思い出すもなにもね
えつ
ってんだ。いいかい耳の穴かっぽ
じってよく聞きな。清水一家で
強ぇのは大政、小政、大瀬の半
五郎、遠州森のい……」
はっと気づく江戸っ子役。
石松(雅之)「ん、なんだって?」
江戸っ子役「大政小政大瀬の半五郎――
遠州森の石松……あー、客人すま
ねえ、俺っちとしたことがいっと
う強ぇのを忘れてたぜ。清水一家
で飛びぬけ強ぇのは遠州森の石松
だぁ」
石松(雅之)「そうかいそうかい。
食いねえ、食いねえ。寿司食いねぇ。
でよ、その石松ってのはそんなに強ぇ
かい」
江戸っ子役「ああ、強ぇね。あんな強ぇ
のは見たことねぇやい。戦国の世に生
まれてたら侍大将間違いなしだったろ
うねぇ」
石松(雅之)「そうかい、そうかい。呑
みねぇ呑みねぇ。寿司食いねえ。よく
分かってるねえさすが江戸っ子、」
江戸っ子役「神田の生まれよ。ただなあ」
石松(雅之)「ただ、なんだい」
江戸っ子役「この石松ってのは人間が馬
鹿にできてる」
石松(雅之)「――馬鹿」
江戸っ子役「ああ。馬鹿も馬鹿、大馬鹿
よ。例え火の中水の中って云うけどよ、
こいつは次郎長親分に言われりゃ、本
当に火の中でも水の中でも『へい、親
分!』つって飛び込んじまうくれぇの
大馬鹿よ。あの馬鹿は死ななきゃ治ら
なねぇやなあ」
石松(雅之)「――返せ」
江戸っ子役「ん?」
石松「寿司も酒も返せつってんだこの
野郎!」
江戸っ子役につかみかかる石松役の雅
之。てんやわんやの舞台に爆笑がお
きる客席。
江戸っ子役「――あっ、客人、お前さん
もしかして!?」
石松(雅之)「もしかしてもねぇやい!
気づくのが遅いや! 泣く子も黙
る清水一家の森の石松たぁ俺のこ
とだい! おうとも、次郎長親分
に言われりゃ、ざんぶとここから
飛び込んで、駿河の海まで泳いで
いってやらぁな!」
見栄を切る石松役の雅之。大
きな拍手と歓声が起きる。
教平も拍手をしている。
●都鳥一家に惨殺される場面を鬼気
迫る様で演じる雅之。舞台に
ひとり立っている雅之。
石松(雅之)「――馬鹿は、俺の馬鹿は
死んだら治るかなあ……親分、すま
ねえ――」くずおれる雅之。
●石松の遺髪を手にして涙し、仇討ち
を誓う春太郎こと篠崎春雄(45)
が扮する清水次郎長。
●クライマックス、清水一家と都鳥一
家の決闘場面。座員たちの華麗か
つ迫力のある殺陣。
やがて次郎長役の篠崎と都鳥吉
兵衛役のサシの勝負へ。吉兵衛役
を討ち果たす次郎長。
次郎長役の篠崎、刀をかざし。
次郎長(篠崎)「石松、仇は、仇はこ
の次郎長がとってやったぞ!」
客席から万雷の拍手。教平も
夢中で拍手をする。
〇前同・研修室前廊下
春太郎一座が楽屋として使っ
てる研修室。その前で待って
いる教平、蘭子、美花、健介。
楽屋から出てくる雅之。続い
て篠崎も。
雅之「健ちゃん、久しぶり!」
健介「雅之くん」
二人、笑いあう。
健介「よかった。すごくよかったよ
雅之くんの森の石松」
雅之「ありがとう」
雅之、蘭子を見て。
雅之「この子が電話で言ってた彼女?」
健介、はにかみながら頷く。
蘭子「はい、桑田蘭子ですっ。お芝
居とっても感動しました!」
雅之「ありがとう。元気いいね。健
ちゃんのことよろしくね」
蘭子「はい、よろしくお願いされま
した!」
雅之「あははっ、面白いなあ、きみ」
篠崎「奥原君、決意は変わらないん
だね」
健介「はい」
篠崎「そうか。一からの修行になる。
旅役者とはいえ、わたしたちはお
客様からお金を頂戴するプロだ。
厳しく仕込むよ。その上で下働き
もやってもらう。いいね」
健介「はい、分かっています」
篠崎「うん。じゃあ卒業前にご両
親といっしょに挨拶にきなさい。
そのときに正式に入座を認めて
あげるから」
健介「はい、ありがとうございま
す」
頭を下げる健介。
雅之「よかったね健ちゃん。でも
彼女とはめったに会えなくなる
よ」
蘭子「承知の上です!」
雅之「『承知の上』かぁ」
場が笑いに包まれる。
美花を見る篠崎。
篠崎「黒沢さんも久しぶり。一年
見ないうちに、女っぷりに磨き
がかかったんじゃないかい」
美花「素直に受け取っておきます」
篠崎「卒業後はどうするんだい」
美花「大学に進む予定です」
篠崎「そうか。花の女子大生って
やつだね。いいかい、学生の本
分は勉強だ。そこを忘れちゃい
けないよ」
美花「はい」
篠崎、教平を見て。
篠崎「お、新顔だね」
蘭子「ほら、教平ちゃん、ちゃん
と挨拶して」
教平「――初めまして。高野教平
といいます。あの、舞台とても
素晴らしかったです」
篠崎「ありがとう。それにしても
いい体してるなあ、きみ」
美花「そりゃあうちの駒形茂兵衛
ですから」
篠崎「え、じゃあ『一本刀土俵入』
やるのかい?」
美花「はい、今年の市民文化祭で。
お蔦はわたしがやります」
篠崎「そうかぁ。いいなあ。いや
俺もいつかはいつかはって思っ
てるんだけど、 俺もせがれも
ご覧のとおり細身だしね。似合
いの座員もいなくてねぇ。でき
ないでいるんだよね。いっその
こと腹にアンコ入れてやってや
ろうか、って思ったこともある
んだけどね。それじゃあお客様
の心に響くいいものはできない
からねえ――高野くん」
教平「はい」
篠崎「駒形茂兵衛にうってつけの
いい体をしている。それになに
より目がいいよ、きみは」
教平「目?」
篠崎「ああ。憂いのあるいい
目だ。役者はつまるところ
目なんだよ。きみならいい
駒形茂兵衛を演じることが
できるはずだ。頑張ってみ
なさい」
微笑んでいる篠崎をじっ
と見る教平。
教平「はい」
強く頷く。
〇青原地区公民館・大広間
『一本刀土俵入』の稽古
をしている一座。敬造か
ら格闘場面の指導を受け
ている教平。何度もダメ
出しを食らうが、真剣な
眼つきで稽古をくり返す。
〇農業振興道路(早朝)
上下スウェット姿で歩道
を走っている教平。苦し
そうに。途中で立ち止まっ
てしまう。
膝に両手をつき荒い息を吐く。
教平「こんなんやったら、あかん……」
顔を上げる。走り出す。
〇山ヶ崎高校・小運動場・土俵
四股を踏んでいる教平と直人。
× × ×
すり足で土俵を回る二人。教平、
ぎこちない動きだが、真剣なそ
の眼つき。
× × ×
ぶつかり稽古をする教平と直人。
直人、ぶつかっては教平を投げ
る。それでもすぐさま立ち上が
り、直人に向かっていく教平。
その様子を土俵下から見ている
蘭子と内橋。
内橋「目の色変わったみたいに稽古
するようになったわ、高野」
蘭子「目ぇ褒められましたから」
内橋「目ぇ?」
蘭子「単純なんやから。でも長い
つきあいやけど、教平ちゃんの
あんな目ぇは見たことない――
先生」
内橋「なんや」
蘭子「勝ちたい人がいるんです
よね、神田先輩」
内橋「ああ、北中から峰栄学園
に行った田中いう生徒や」
蘭子「峰栄の相撲部ですか」
内橋「うん。ほんまは神田も行
くのが夢やったそうなんやけ
どな。ここの相撲部はその昔
なかなかのもんでな。近畿大
会の常連校やった」
蘭子「あの、先生ってもしか
して」
内橋「ああ、ここのOBや。
近畿の決勝では峰栄に軽う
にひねられたけどな」
蘭子「そうやったんですか」
内橋「けど部員が入らへんよ
うになって、十年ほど前に
休部や。土俵とテッポウ柱
残してな。知ってるか、体
育倉庫の裏に丸太ん棒突っ
立ってるの」
蘭子「あ、はい。なんやろっ
て思ってました」
内橋「その休部してた相撲部
を神田が復活させた。田中
に勝ちたい一念でな」
蘭子「そっかー。神田先輩かっ
こええなあ」
内橋「高野もかっこようなり
かけとる」
蘭子「えー、そうかなあ」
教平と直人のぶつかり稽
古を見続ける蘭子と内橋。
〇体育倉庫・裏
立っているテッポウ柱に
向かって、汗まみれにな
り、何度も両手を打ち込
み続けるまわし姿の教平。
〇山ヶ崎高校・旧宿直室
窓辺にたたずみ外を見て
いる美花。
部屋に入って来る教平。
振り返り教平を見る美
花。会釈する教平。
美花「高野くん、こっち来てみ」
教平「はい」
靴を脱ぎ、六畳間に上が
る教平。美花と少し離れ
て窓辺に立つ。
美花「稽古ない日はやっぱり
ここに来てしまうよね、な
んか」
教平「あ、です」
美花「落ち着くっていうか」
教平「はい」
美花「ええ匂いするやろ」
教平「はい」
美花、視線を落とし眼
下に茂り、花をつけて
いる銀木犀の樹を見る。
美花「銀木犀。わたしこの匂
い大好きや」
教平「写真撮ってもらいまし
た。入学式の時。この樹の
下で」
美花「そうなんや」
教平「はい。先輩からコサー
ジュ付けてもらった後で」
美花「そうかぁ。なんか縁
があったんかな、わたし
らって――高野くん」
教平「はい」
美花「セックスはまだやで、
わたし」
教平「え」
美花「卒業するまで待ってっ
て、言うてある。浩一く
んも、それでええって言
うてくれてるし――あ、
キスはしたで」
教平を見る美花。美
花を見つめる教平。
やがてその視線を外
して窓外を見やり。
教平「お蔦と茂兵衛の仲で
すもんね」
美花「うん――高野くん」
教平「はい」
美花「なんか、ここでうず
くまって泣いてたのが嘘
みたいやね」
教平「あのときは、ほんま
にすみませんでした。な
んか、自分が情けないで
す」
美花「今やったら?」
教平「ぶちかまします。あ
んないきがってるだけの
ヤンキーらなんか、神田
先輩に比べたら鼻くそ以
下です」
美花「ははっ。『鼻くそ以
下』かぁ。なあ、八幡さ
んのお祭りのお相撲、高
野くんも出るん?」
教平「はい」
美花「そっか、応援するわ」
教平「神田先輩、今、カミ
ソリみたいです」
美花「ラストチャンスやも
んね、田中くんに勝つ」
教平「はい。そのためだけ
に先輩、ひとりで相撲続
けてきたんやから。絶対
勝ってほしいです。今、
必殺技の練習台になってる
んです、ぼく」
美花「必殺技。どんなん?」
教平「当日の楽しみにしとっ
てください。あれが決まっ
たら、神田先輩絶対勝てます
――黒沢先輩」
美花「なに」
教平「芝居の稽古、ちゃんと
やります。けど、今日から
祭りまでの二週間は、毎日
神田先輩と稽古したいんで
す。それ言いにきたんです」
美花「うん」
教平「八幡さんの相撲が終わっ
たら芝居の稽古に専念しま
す。敬造さんにそう伝えて
おいてもらえますか」
美花「分かった。早よ行き。
神田くんまわしつけて待っ
てるで」
教平「ありがとうございます」
頭を下げ畳から降り、
部屋を出る教平。
一人になる美花。また窓
外を見やる。微笑みを浮
かべ、大きく鼻から息を
吸い込む美花。うっとり
するその顔。
〇山ヶ崎高校・廊下
放課後、歩いている教平
の後ろから声をかける末
永。
末永「高野」
振り返り末永を見る教平。
末永「ちょっと顔貸せや」
末永、教平を睨む。その
視線を逸らさない教平。
〇前同・校舎裏
対峙している教平と末永。
末永の後ろには同級生の
ヤンキーたちが四人。
末永「顔貸してくれたついでに
金も貸してほしいんやけどな」
教平「なんでぼくが末永くんに
お金貸さなあかんのや」
末永「――これや。高野、おま
えいつから俺によ、そんなえ
らそうな口きけるようになっ
たんや、オラ。最近のおまえ
見てたらな、マジでムカつく
んじゃ。なにを調子こいとる
んじゃ。いっぺんシメたらな
あかん思ってよ」
末永をじっと見る教平。
末永「なにメンチ切っとるんじゃ、
おぉ!」
教平「ぼくは末永くんにお金貸
す理由もないし、その気もな
い。帰るわ。相撲の稽古せな
あかんのや」
末永に背を向け、歩み出
そうとする教平。
末永「待たんかい、こら!」
末永、拳を振り上げ殴り
かかろうとする。
振り返り、その手首を左
手で掴む教平。
末永「ぐっ……おまえ、なにやっ
とるんじゃ」
教平、末永の手首を握っ
た左手に力を込める。
末永「離せ……離さんかい、こら」
右手で末永の額をがっちり
掴む教平。
末永「ぐわっ」
教平「毎日握力鍛えてる。神田先
輩のまわし掴むのたいへんやか
ら」
ぎりぎりと力を込める教平。
末永「痛っ、痛いっ……」
末永の額を掴んだ右手にいっ
そう力を込める教平。
末永「痛いっ、痛いってぇ!」
唖然となりその様を見ている
後ろの四人。
末永「やめろ、やめんかい!」
教平「人にもの頼むときには、言い
方があるんとちがう、末永くん」
末永「あぁぁっ、やめて、やめてぇ!」
教平「やめてください、やろ」
末永「やめて、やめてくださいぃっ!」
教平「もう二度とぼくに絡んできぃ
ひんって約束してくれる?」
末永「うえぇっ、するっ、しますっ、
そやから、やめてぇ!」
教平「お母さん助けてって、言うて」
末永「な、なにを……」
教平「きみらの親分みたいに」
末永「うあぁっ!」
教平「言わへんの?」
末永「言うっ、言いますっ、お、お
母さん、助けてぇっ!」
あまりの痛みに泣き出す末永。
末永「痛い、痛いよぉ……ママ、助け
てぇ……高野くんがいじめるんやぁ……」
教平、動けないままの四人組
を見て。
教平「ママって呼んでるんやって」
手を離す教平。うずくまりこめ
かみを押さえ嗚咽する末永を見
下ろして。
教平「ほんまはこんなんしたくなかっ
た。けど、こんなんせんと末永く
ん分かってくれへんやろ。なあ、
もうほんまに絡んでこんといてな。
お金貸せとか言うてこんといてな。
分かった?」
泣きながら何度も頷く末永。去っ
ていく教平。末永、うずくまっ
てベソベソ泣き続けている。四
人組、去っていく。
〇八幡神社・参道
祭りの幟が何本も立てられ、屋
台が数多く出ている。境内へと
向かって歩いて行く人たち。
〇前同・境内
能舞台があり、その壁の前に立っ
ている直人。壁に貼ってある奉
納相撲のトーナメント表をじっ
と見ている。
やってくる教平、美花、蘭子、
健介。
健介「いよいよやな、神田」
直人振り向き、健介を見て小
さく頷く。
蘭子「教平ちゃんの名前もあるわ」
教平「そら出るんやからあるわいな」
健介「田中とは別の山か。決勝まで
当たらんのやな」
美花「そしたら田中くんが途中で負
けたらやで、神田くんがなんぼ勝
ち続けても対戦できひんやんか」
健介「それはないやろ。あいつは決
勝まで絶対に勝ちあがってくる。
なあ」
頷く直人。
蘭子「けど、なんかイヤな感じやわ、
その田中っていうの。自慢たらし
気に相撲のときにこっち戻ってき
て」
健介「まあ、優勝したら花代十万貰
えるしな」
蘭子「十万! マジ! 神田先輩、
頑張らな!」
健介「アホ。神田はそんなんどうで
もええんや」
美花「前に高野くんが言うたとおり
やわ」
教平「え」
美花「ほんまにカミソリみたいや神
田くん」
トーナメント表をじっと見て
いる直人。
〇前同・土俵(及びその周囲)
奉納相撲が始まる。まわし
をつけた教平が土俵に上が
る。土俵下に敷かれたゴザ
に座っている蘭子、美花、
健介。内橋も。
蘭子「がんばれ、教平ちゃん!」
四股を踏む教平。
美花の隣に敬造と玄次がやっ
て来て、座る。
美花「来たんや」
敬造「来ぃでか。ええ体になった
やないか、あいつ」
美花「やろ」
敬造「あれでこそ駒形茂兵衛のリ
アリティーが出るってもんやで」
仕切り線の前で手を突く教平。
行司の軍配が返る。
行司「はっけよい――のこった!」
相手にぶつかっていく教平。
× × ×
蘭子たちのところへ来る教平。
美花「お疲れ様、高野くん」
教平「すみません、応援してもらっ
たのに」
内橋「ええ勝負やったな」
敬造「水入りの大熱戦。ええも
ん見させてもろうたわ」
玄次「見直したで」
教平「ありがとうございます」
敬造「さすがうちの駒形茂兵衛
や。明日からの稽古も性根入
れて頼んだで」
教平「はい」
強く頷く教平。
蘭子「あっ、神田先輩出てき
たで!」
土俵に上がる直人。高々
と足が伸びる四股に、観
客からどよめきと拍手が
おきる。
× × ×
豪快に上手投げを決める直人。
× × ×
田中が土俵に上がる。でっぷ
りした巨躯にどよめきが起き
る。
観客A「さあ大本命の登場や」
観客B「さすがの体やなあ。団体全
国優勝、個人戦ベスト4は伊達や
ないで」
観客C「大相撲には行かへんのか」
観客A「進学するらしいで。四年
後には幕下付け出しでデビュー
ろな」
観客B「我が山ヶ崎町からも関取
が生まれるかぁ」
観客C「楽しみなこっちゃなあ」
鋭い目つきで田中を見つめ
る直人。
× × ×
対戦相手を子供扱いする田
中。まわしを掴み、相手を
高々と吊り上げ、土俵際を
一周してから、そっと外へ
置くようにして勝負を決め
る田中。笑いとどよめきが
おきる。田中、余裕綽々の
笑みで勝ち名乗りを受ける。
蘭子「なにあれ。ほんま気にいら
んわ、あいつ」
頷く教平。
× × ×
決勝戦。土俵に上がる直人
と田中。歓声が沸きおこる。
幾度かの仕切り直しの後、
土俵中央で向かい合う二人。
田中「久しぶりやな、どチビ」
無言で田中を見る直人。
田中「去年の二回戦といっしょや。
五秒で叩きつけたる。障碍残っ
ても知らんで。まあ十万貰て帰
るわ」
二人、そのまま仕切り線の
後ろへ。歓声の中、仕切る。
行司の軍配が返る。
行司「はっけよい――のこった!」
立会い。スッと背伸びする
ように立ち上がる直人。虚
をつかれる田中。すかさず
懐に飛び込み両まわしを掴
む直人。
教平「よっしゃ!」
そのまま押し込む直人。だ
が田中は動かない。笑みを
浮かべて手を伸ばし直人の
まわしを掴もうとする。
教平「先輩、腰、腰! 腰振って!」
直人、腰を何度も振って田
中の手を嫌う。
田中、力ずくで前に出る。
その圧力に押され土俵際ま
で下がる直人。だがそこで
踏ん張る。まわしを離さず
必死で踏ん張る。
教平「怺えてっ、先輩怺えて!」
田中、強引にまわしを取り
に来る。
教平「先輩、今やっ、足!」
その声に呼応するように、
田中の左足を外掛けにす
る直人。驚く田中。少し
押される。だが踏みとど
まる。
教平「掬って!」
直人、左手をまわしから
離し、すかさず田中の右膝
裏に手をやり掬う。たたら
を踏む田中。
教平「頭っ、頭やっ、押せえっ!」
直人、田中の胸に頭を押し
当て、そのまま一気に押し
て行く。
田中「うわわわわっ!」
直人、そのまま田中を土俵
下に押し倒す。
教平「よっしゃあ!」
両拳を突き上げる教平。
美花「なあ、今のんが必殺技!?」
教平「はいっ、三所攻めです!」
大歓声と拍手が沸き起こる。
荒い呼吸で立ち上がる直人。
横になったまま動けないで
いる田中。田中に手を差し
伸べる直人。その手をはら
う田中。
田中「まぐれじゃ、どチビが。え
え気になるな」
直人、しばらく田中を見つ
めているが、やがてゆっく
り土俵に戻る。立ち上がる
と、そのまま歩き出す田中。
田中「どかんかいっ、こんな田舎
相撲になんの意味があるんじゃ、
ボケ!」
騒めきの中去ってしまう田
中。
歓声と拍手の中、行司から
勝ち名乗りを受ける直人。
蹲踞の姿勢で手刀を切り、
花代の十万を手にする。
土俵を降り、教平の前に
立つ直人。
直人「高野のおかげや。声、聞
こえてたで」
教平、泣いている。
直人「なんでおまえが泣いとる
んや」
教平「そやかて、そやかて……」
蘭子「教平ちゃん、ほら!」
頷く教平。直人を肩車する。
直人「高野、こら、おまえ」
そのまま土俵に上がる教平。
直人を肩車したまま土俵を
周る。
直人「やめろ、やめんかいや」
泣きながら土俵を周り続
ける教平。
直人「やめろ、おい。やめろっ
て高野……」
やがて直人も泣きだす。
担ぐ教平、担がれる直人。
二人泣きながら、大歓声
と拍手の中、土俵を周り
続ける。
〇市民会館
市民文化祭当日。一座の
『一本刀土俵入』が上演
されている。大詰三場<軒
の山桜>、最後の場面。
美花(お蔦)「『お名残りが惜
しいけれど』」
教平(茂兵衛)「『お行きなさ
んせ早いところで。仲良く丈
夫でおくらしなさんせ。ああ
お蔦さん、棒ッ切れを振り廻
してする茂兵衛のこれが、十
年前に、櫛、簪、巾着ぐるみ、
意見を貰った姐さんに、せめ
て、見てもらう駒形の、しが
ねえ姿の土俵入りでござんす』」
ひとり、桜の樹の下で佇
む茂兵衛演じる教平に、
万雷の拍手が降り注ぐ。
〇山ヶ崎高校・校門前
〈昭和六十ニ年度 山ヶ
崎高校卒業証書授与式〉
の看板が立っている。
〇前同・校舎入り口前・長机
の前
校舎入り口前に並べて
ある長机。その前に並
んで一年生から胸にコ
サージュをつけてもらっ
ている三年生たち。
教平と蘭子、三年十組
の生徒たちにコサージュ
をつけている。蘭子の
前に立つ美花。
蘭子「先輩、ご卒業おめでと
うございます」
美花「ありがとう――蘭子ちゃ
ん、ちょっとだけこないし
て後ろ向いてて」
耳に両手を当てる美花。
蘭子「え」
美花「お願い」
蘭子「――はい」
両耳に手を当て、後ろ
を向く蘭子。
美花、教平を見て。
美花「高野くん、あのとき痛かっ
た?」
教平「え」
美花「あさかパラダイス行くと
きのバスの中」
微笑んでいる美花を見つ
める教平。
教平「――はい」
美花「うん」
教平「でも」
美花「でも?」
教平「お蔦と茂兵衛の仲やない
ですか」
美花「――うん、そうやんね――
蘭子ちゃん、もうこっち見て
もええよ」
両耳から手を離し、向き
直る蘭子。
美花「卒業式終わったら、みん
なで〈くじゃく〉や。神田く
んも誘ってや」
教平「はい」
美花「そしたら、後でな」
去っていく美花。
蘭子「『お蔦と茂兵衛の仲やな
いですか』」
ギョッとして蘭子を見る
教平。ニヤニヤしている
蘭子。
教平「聞いてたんやな」
蘭子「バスの中も。後ろの席
やったしな」
ため息をつく教平。その
背中を強く叩く蘭子。
(F・O)
〇市民会館・大ホール・入口
【平成元年度・市民文化祭】
の看板が立っている。
〇前同・大ホール
満員の客席。ステージ上で
は山ヶ崎青原一座の公演が
行われている。オリジナル
の演目、そのクライマックス。
凛々しい女武芸者姿の蘭子、
武者姿の健介と雅之が、抜刀
して立ち向かってくる敵たち
を斬りまくる。
やがて刀をぶら下げて出てく
る親分役の教平。対峙する教
平と蘭子。
蘭子「健右衛門、雅之助、手を出
すな!」
健介「しかしお蘭殿!」
蘭子「手出し無用っ、わたし一人
でこの民を苦しめる悪鬼を、そ
して父の仇を討ち果たしてみせ
るっ、わたしが斃れた時は―
―そのときは頼む!」
雅之「お蘭殿!」
教平「ぬは、ぬはは。威勢のい
いことよの。だがしょせん女
は女。そっ首跳ね飛ばしてく
れるわ。来い!」
蘭子「覚悟!」
教平扮する悪党の親分に
斬りかかっていく蘭子。
二人の剣戟場面。その見
事な太刀捌きに観客から
拍手が起きる。ギリギリ
と刀を合わせる二人。パッ
と離れる。同時に向かっ
ていく。
蘭子「とりゃあぁぁっ!」
教平の胴を払い、袈裟懸
けに斬る蘭子。
教平「ぐあぁぁっ!」
断末魔の叫びをあげ、ド
ウと倒れる教平。会場か
ら万雷の拍手。
〇前同・大ホール前
舞台衣装そのままの姿で、
観客たちを見送っている
一座の面々。
教平「奥原先輩、雅之さん、こ
の度は本当にありがとうござ
いました。おかげさまでいい
舞台になりました。殺陣の指
導までしていただいて」
健介「蘭子に頼まれたら断られ
へんよ。巡業も一段落したと
ころやったしな」
教平「でもお二人ともさすが
です。短い稽古期間やった
のに」
雅之「親父が教平くんの台本
褒めてたよ。『よく書けて
る、うちの座付き作家にほ
しい』って」
健介「来年座員になるか、蘭
子みたいに」
教平「ははは」
雅之「教平くんは、文学勉強
しに大学行くんだもんな」
教平「はい、そのつもりです」
雅之「うん。でもいつかうち
の一座にも台本書いてほし
いな。ぼくも今度の台本とっ
てもいいって思ったからさ」
教平「はい、ありがとうござ
います。けど先輩、ほんま
に入るんですか蘭子」
教平、観客の同級生た
ちに囲まれ、ポーズを
決めたり、写真を撮っ
てもらったりして悦に
いってはしゃいでいる
蘭子を見る。苦笑いし
て頷く健介。
健介「止めてもきかん女やか
らな。よう知ってるやろ」
教平「はぁ」
雅之「健ちゃんの傍にいたいっ
ていう一途な気持ちじゃん。
でも蘭子ちゃん入ったら、
お姫様役に困らなくなるな、
うちの一座も」
健介「いやぁ、とてもお姫様
いうガラやないで、あれは」
笑う三人。
雅之「そうだねぇ。どっちかっ
ていうとほら、
お蔦やったあの子」
教平「黒沢先輩ですか」
雅之「そうそう、黒沢さん。
あの子の方がお姫様タイ
プだよね。進学したんで
しょ。帰ってきて観にこ
なかったの?」
教平「はい。去年は観にき
てくれたんですけど――
敬造さんに訊いたんです
けど、なんかおかしいん
ですよね」
健介「なにが?」
教平「なんというか、反応
がおかしいんですよね」
健介「そうやなあ、稽古の
ときもなんか前より元気
なかったもんなあ」
喧騒を離れ、腕を組
んで一人佇んでいる
敬造。
〇山ヶ崎高校・図書室(昼休み)
大机を前にして座り本を
読んでいる教平。そこに
近づいてくる女子生徒。
真希「あの、すみません」
秋本真希(16)を見る
教平。
真希「高野先輩ですよね」
教平「そうやけど」
真希「わたし、一年六組の秋本
真希って言います。この前の
市民文化祭におばあちゃんと
いっしょに行ったんです。あ
のお芝居も観ました」
教平「そう」
真希「すごく面白かったです。
あの台本、先輩が書いたん
ですよね」
教平「え、なんで知ってるの
ん?」
真希「パンフレットに書いて
ありましたから。でも先輩
すごいですよね、台本なんて
書けるんやから。憧れます」
教平「見よう見まねっていうや
つや」
真希「あの、笑わんといてく
ださいね。わたしの将来の
夢、小説家なんです」
教平「うん。いや、べつに笑っ
たりせえへんよ」
真希「あの、先輩それなに読
んでるんですか」
教平、一旦本を閉じタ
イトルを真希に見せる。
真希「山田、かぜたろう全集」
教平「風太郎」
真希「あ、そうなんや。おもし
ろいですか」
教平「とびきりや。今いろん
な忍法使いが脳ミソの中飛
び回ってるわ」
真希「忍法使い、へえ」
教平「好きな作家とかいてる
の?」
真希「赤川次郎さん、好きです。
あと、氷室冴子さんも」
教平「そっか。ぼくも中学校の
ときよう読んだで赤川次郎。
『セーラー服と機関銃』も
好きやけど『プロメテウス
の乙女』、あれがいちばん
好きやな」
真希「えっ、わたしもすごく
好きなんです、あの作品!」
微笑んで真希を見る教平。
〇山ヶ崎高校・旧宿直室
少し距離を開けて窓辺に
立って外を見ている教平
と蘭子。
蘭子「部屋にずーっとこもって
出てこんらしいわ。黒沢先輩
アホや――避妊する節度もあ
らへんやなんて、正直幻滅し
たわ」
教平「そんなん、言ぃなや」
蘭子「相手知ってるか。つきあっ
てた彼氏とちがうんよ」
教平「え」
蘭子「すごい大きなお寺の息子
なんやて」
教平「――そうか」
窓外を見る教平。
ドアが開く。真希が立っ
ている。
真希「買ってきましたぁ!」
カップ麺の入った袋をか
ざす真希。
〇〈ちぐさ〉店内(夜)
のれんのしまわれた店内。
カウンター席に座ってい
る教平と敬造。洗い物を
している淑乃。
敬造「ひいじいさんになるんや
で」
教平「あ、そうですよね」
敬造「子供が二十歳になるま
で養育費出すって念書もらっ
たからな。後腐れなしや」
教平「結婚、するとかは」
敬造「ごっつい寺の御曹司や
からな。檀家へのメンツい
うもんがあるんやろ。ハナ
から銭の相談から入ってき
たわ。しょうもない」
グラスのビールを呷る敬
造。
教平「先輩、お元気ですか」
敬造「ああ。大きな腹して、
飯食うときだけ部屋から
出てきよるわ」
教平「そうですか。よろし
くお伝えください」
敬造「ああ――ボクよ」
教平「はい?」
敬造「ただの肥えた子、な
んか言うて悪かったな」
教平「いえ。ただの肥えた
子でしたから」
微笑みながら洗い物
を続ける淑乃。
〇八幡神社・境内
祭りの日、奉納相撲の
最中。土俵上、教平と
直人の一番。
がっぷり四つの両者。
土俵中央で動かない二
人に拍手が湧く。やが
て土俵際まで直人を押
込む教平。懸命にがぶ
り寄る。身を仰け反ら
せ怺える直人。
しばらくの後、豪快に
うっちゃりを決める直
人。勝負あり。
土俵下に倒れこんだ二
人。先に立ち上がる教
平。直人に手を差し出
す。
教平「やっぱり勝てませんで
した」
直人「百万年早いわ」
教平「花代貰ったら、くじゃ
くのお好み、おごってくだ
さいよ」
直人「おう、任せとけ――共
通一次がんばれよ、高野」
教平「はい」
拍手の中、教平の手を
り、立ち上がる直人。
〇山ヶ崎高校・校門前
〈平成二年度 山ヶ崎
高校卒業証書授与式〉
の看板が立っている。
〇前同・校舎入り口前・長机の前
校舎入り口前に並べてあ
る長机。その前に並んで
一年生から胸にコサージュ
つけてもらっている三年生
たち。
その列の中に教平もいる。
並んで蘭子も。
三年生女子にコサージュを
つけているのは真希。真希
の前に立つ蘭子。
真希「先輩、ご卒業おめでとうご
ざいます」
蘭子「うん、ありがとう。あと頼
んだで」
真希「はい。新入生めちゃくちゃ
勧誘します。心配せんといてく
ださい。先輩も頑張ってくださいね」
頷く蘭子。
蘭子「これよりは、愛しの君との旅
がらす、なんの不足があるものか~」
声をあげて笑う二人。
真希、教平にコサージュをつけ
ようとしていた男子生徒から、
それを奪い取り、教平の胸に
付け始める。
真希「あとで第二ボタン、ください
ね」
教平「え」
教平を潤んだ目で見る真希。
蘭子「ういぃ~~。ひゅーひゅー」
教平の頬を拳でグリグリする
蘭子。されるがままになって
いる教平。
〇前同・校庭
銀木犀の樹の下に並んで立
ち、桑田に写真をとっても
らっている教平と蘭子。
その様子を見守っている淑
乃と信代。
〇高野家・居間兼台所(早朝)
寝間着に腹巻姿の教平が現
れる。朝食を作っている淑
乃。
淑乃「おはよう」
教平「――おはよう」
淑乃「早よ歯ぁ磨いてきいや」
教平「うん」
部屋を出ていく教平。
× × ×
淑乃の心づくしの朝食を食
べている教平。向かい合っ
て座る淑乃、嬉しそうにそ
の様子を見ている。
淑乃「お父ちゃんにチンチンして
から行きや」
教平「分かってる」
淑乃「山梨か、遠いなあ」
教平「うん」
淑乃「腹巻、忘れんともって行き
や」
教平「分かってる」
淑乃「おかわりは?」
教平「うん」
教平の差し出した茶碗を
受け取る淑乃。
〇前同・仏間(早朝)
仏壇前に正座して鈴を鳴ら
し、静かに手を合わせる
教平。
立ち上がり、部屋を出る。
〇前同・玄関先
信代の車がアイドリング
状態で止まっている。立っ
ている信代。
玄関からボストンバッグ
を持って出てくる教平。
続いて淑乃も。
淑乃「そしたら信代さん、よろ
しくお願いします」
信代「了解。ほら教平ちゃん、
お母ちゃんにちゃんと挨拶
せな」
向かい合う親子。
教平「夏休みや正月は帰って
くるから」
淑乃「うん」
信代「それだけかいな。まあ
蘭子も遠足行くみたいにし
て出てったけどなあ。うちの
人ボロボロ泣いてるのに――
よっしゃ、そしたら行こか」
教平「はい、お願いします」
信代の助手席に乗り込
む教平。信代も運転席
へ。
発車。遠ざかる車をじっ
と見ている淑乃。車、
やがて視界から消え去り。
信代「ただの肥えた子産んだ覚
えはないんやで」
淑乃、少し涙ぐむ。
〇バスターミナル・外
信代の車が停車する。助
手席から降りる教平。信
代に深く頭を下げる。ク
ラクションを鳴らし、去っ
ていく信代の車。教平、
ターミナル舎内へと入っ
て行く。
〇前同・舎内
いくつか並べられたベン
チに座っている教平。舎
内のドアが開く。見る教
平。
教平「黒沢先輩……」
美花、微笑み立っている。
× × ×
ベンチに並んで座ってい
る二人。
美花「お家に電話かけたんよ。今
日発つって蘭子ちゃんから電話
もらったん」
教平「蘭子が」
美花「うん。声、聞きたぁなって。
そしたらお母さんが電話に出て、
さっき出たって言われて。お父
さんが仕事行くついでに乗せて
きてもらったんよ。間に合って
よかった」
教平「先輩」
美花「子供な、先月産まれた。女
の子なんよ」
教平「はい、敬造さんから聞いて
ます」
美花「うん。幸恵って名前。わた
しがつけた。幸せに恵まれるよ
うにって」
教平「そうですか」
美花「ふられてんよ、わたし」
教平「え」
美花「大学入ってから一年間は
つきあってたんやけどな、他
に好きな女が出来た、なんて
言われて。そんでから、しば
らくして友達に誘われた合コ
ン行ってな。そこで出会った
男とそのままラブホ。で、今
に至る。ははは、アホやろ」
笑う美花の横顔をじっと
見る教平。
美花「高野くん憧れの黒沢先輩
は、思っている以上にアホな
んよ」
教平「先輩」
美花「自棄になってたんやなあ。
もうどうにでもなれって。
『俺、つけんとしたことない
ねん、ええか』って訊かれて
『大丈夫な日やからええよ』っ
て。全然大丈夫な日やなかっ
たんやけどな――ごめんな、
こんな話しして。ハレの日や
のにな」
教平「いえ」
美花「けどな、幸恵産んだこと
は後悔してへんのや」
教平「はい」
美花「高野くん、文学勉強する
んやろ」
教平「はい」
美花「頑張ってな。学生の本分
は勉強やで――っておまえに
言われたないわなあ」
笑う美花。
駐車場の停車エリアにバ
スが入ってくる。
美花「あ、バス来たわ。行かな、
高野くん」
立ち上がる美花。教平も。
〇前同・駐車場
停まっているバスへと歩
いて行く二人。
美花「たまには帰ってくるんやろ」
教平「はい」
美花「そのときはまた会いたいな――
会ってくれる?」
停車中のバス、開いている
後部扉の前に立つ二人。教
平、美花をまっすぐ見て。
教平「当たり前やないですか。そ
のときは三人で会いたいです。
幸恵ちゃんも連れてきてくだ
さい」
美花「高野くん、あんたはほん
まに――」
教平「お蔦と茂兵衛の仲やない
ですか」
美花「うん、そうやんね」
教平「はい」
美花「けど、四人かもなあ」
教平「え」
美花「かわいい彼女連れて帰っ
てきてたりして。蘭子ちゃん
から聞いたで。後輩の女の子
に第二ボタンせがまれたんや
ろ。モテモテやん」
教平「あのしゃべり……」
微笑んで教平を見つめる
美花。
美花「『何だか少し心細いねえ』」
教平「え?」
美花「『何だか少し心細いねえ』」
美花、くり返す。お蔦の台
詞だと気づく教平。
教平「『いやあ大丈夫です、わし
は、石に咬りついても横綱に出
世しなけりゃ』」
二人『一本刀土俵入』の台
詞を交わし始める。
美花「『その料簡でみッちりおや
り。名は何ていうのだい』」
教平「『わしは、駒形と名を付け
て貰っています。駒形というの
は故郷の名だ。名は駒形茂兵
衛といいます』」
美花「『駒形茂兵衛だね』」
教平「『あい。姐さん、わし
出世して三段目になっても、
二段目になっても、幕へはい
ろうが、三役になろうが、横
綱を張るまでは……」
教平の目から涙が零れる。
教平「『いかな、いかなことが
あっても駒形茂兵衛で押通し
ます』」
教平、涙を拭う。
美花「それだとあたし直ぐわかっ
ていいねえ。じゃあ、お行き、
左様なら』」
教平「『はい。左様なら姐さん』」
美花「『出世を待ってるよ』」
教平「『はいッ』」
ステップに足を掛け、バ
スに乗り込む教平。そこ
で向き直る。美花に頭を
深く下げる。その様をじっ
と見ている美花も涙ぐん
でいる。
美花「『――あれ、まだこっち向
いてお辞儀してる。そんなに嬉
しかったのかねえ。駒形――』」
発車ブザーが鳴る。意を決
するように美花に背を向け
る教平。
〇バス・車内
最後部の座席に腰を降ろす
教平。
〇バスターミナル・駐車場
バスが発車する。道路へと
出る。その様を泣きながら
見ている美花。
美花「『お名残りが惜しいけれ
ど』」
美花、つぶやくように言っ
て。やがて見えなくなるバ
ス。
〇バス・車内
うつむいてる教平。泣いて
いる。泣きながら――。
教平「『おいきなさんせ早いと
ころで。仲良く丈夫でおくら
しなさんせ』――」
バスのフロアに零れ落ちて
いく教平の涙。『一本刀土
俵入』、茂兵衛最後の台詞
を続ける教平。
教平「『ああお蔦さん、棒ッ切れ
を振り回してする茂兵衛のこれ
が、十年前に、櫛、簪、巾着ぐ
るみ、意見をもらった姐さんに、
せめて見て貰う駒形の、しがね
え姿の、土俵入りでござんす』――」
言い終えた教平、ゴシゴシ
と拳で涙を拭う。そしてキッ
と顔を上げる。
走り続けるバスの中、まっ
すぐ前を見ている教平。
(了)