瞬篇3
佐々宝砂

1 草

抜いても抜いても草がある。祖母が亡くなるまでは祖母が抜いていた。いまは私とこどもが抜く。春まだ浅いので、たくさん草があるといってもみな背が低い。ヒメオドリコソウ、クローバー、ムラサキツメクサ、カタバミ、ハハコグサ、こどもに草の種類を教えながら、やたらにひっつかんで根こそぎ抜く。もう少し大きければ食べられないこともないが、それほどの大きさではない。それにしても草取りをすると腰が痛む。立ち上がって伸びをして、空を仰ぐ。なんだあれは。目を見張る。巨大な手がおりてくる。私ではなくこどもをひっつかんで、まるで根こそぎに、そして天から声が降り注ぐ、ああ、全く、抜いても抜いても草がある。


2 パン

水仙の花は鏡の前に活けることにしている。黄水仙でもラッパ水仙でも、水仙の花を鏡の前に活けると、たちまち生き生きとする。しかしそれもせいぜい三日間だ。萎れ始めたら目も当てられない。水仙は気の毒な花だ。甘く香る小さな白い水仙を鏡の前に活けて、私は二月の北窓をあける。言伝を持ってくるのは羽根のある繊細な生き物。うすみどりの羽根は触れるだけでもろく破れる。蟻の足音よりちょっとだけ力強い声でその生き物は言う、「パンはきません」「それは知ってる」「パンはいなくなりました」「それも知ってる」「あなたがパンです」いやちょっと待って、それは知らない。


3 いち

軌道は計算されている。座標は正しい。おそらくは。時間移動は常に危険を伴うが、これまでこの機で失敗したことはない。それでもいつも不安が消えない。眼鏡についた微細な傷みたいに、私が私であるかぎり消えないんだと思う。頭を振って、いーち、にーい、さーん、と心の中で数える。正面のディスプレイに映る風景が歪む。いや違う、歪んでいるのはディスプレイ自体だ。何が起きた。衝撃はない。身体に違和感があるわけでも、不快な感触があるわけでもない。しかしそれでも、これは異常事態だ。ゆがんでゆく。ディスプレイが。機体が。わたしが。何が起きているのか。少しずつ思考能力を失ってゆく脳でかんがえる。むかし、おかあさんが、夜ねむる前にはなしてくれたっけ。あれは、たしか、ハエのはなし。ハエといりまじってしまったひとのはなし。わたしはきっと、いまなにかといりまじってゆく。きっと、いちがずれたから。いち。いちってなんだっけ。いーち。にーい。さーん。


散文(批評随筆小説等) 瞬篇3 Copyright 佐々宝砂 2024-06-16 20:32:32
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