雨と散歩
番田 

久しぶりに僕は自転車に乗ると、景色を流れた。自転車はその時の季節を感じさせる乗り物。冬の日は、僕はあまり自転車に乗らないのだとしても。夕暮れに照らされた街。日の差す角度と、それから、風の涼しさがある。電車の駆け抜ける音がした。外はもう、雨が降り始めている。午前中は晴れていた街。自転車でどこかにいる誰かに会いに行くということはしなかった。書店で何気なく経済雑誌をめくると、僕は一人、不穏な記事に不安を掻き立てられた。でも、一切そういったことをしないことが、利口な人のすることなのだと僕は知っていた。自転車は書店の景色を過ぎ去っては走った。いつもの角を曲がると、焼肉屋の匂いが立ち込めている。今は、そうは思わないけれど、焼き肉を食べることが好きだったのは子供の頃のことだった。口にその時の味が広がる記憶が思い出される、雨の音の中で。大人になると、魚の方が好きだった。でも、魚種はだんだん減ってきている。特にイカは少なく、イカは魚と呼べるかどうかは知らないが、あまり食べてみても美味しいとは思わなかった。そんなイカの味のする理由がなぜなのかは、海水温の関係なのか、大気によるものなのかどうかはわからなかったのだが。雨は少しだけ風をはらんでいた。僕は体調が悪く、病人のようだった。テレビをつけても、最近はトーク番組は少ない。企画か料理かといったところ。純粋な人間の魅力を垣間見ることはできないのだ。テレビを消してみたところで、ネットを見ても、それが感じられるというわけでもないのだけれど。ただ自分以外の人が、テレビをどう思っているのかはわからなかった。外国に行ったところで、たぶん、テレビの内容は何も変わらない。僕自身だけがそこにいるだけだ。それに関する評論を振りかざしても、裏をとれるわけでもなかった。土産物を買い、帰って来ることだろう。でも、ホテルの備え付けのテレビをつけてみたりするのかもしれない。自転車には、そうではなく、カバーがかけられている。テーブルに差している光。雨の音がだんだん激しくなってきた。だけど、僕は家にいたところで、何を得るというのだろうか。



散文(批評随筆小説等) 雨と散歩 Copyright 番田  2024-06-10 01:42:34
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