詩小説『雨の日の猫は眠りたい』その1。
たま

 雨は詩歌。
 雨はメタファー。
 雨はわたし。

 一冊の詩。それがわたしの夢だった。


  散文の海へ1

 ひとはいつから塵みるのだろうか。とか。
 もうすでにわたしは塵みているのだろうか。とか。そしたら、わたしは、いつ、どこで、分別されたのだろうか。とか。たぶん、塵みるのはひとだけだとおもうから、わたしが犬や猫だったら塵みることはないのに。とか。
 そうして、今日拾いあつめた塵みをすべて投げ捨てて、夢の入口で分別しなければ今夜は眠れないような気がして、午前零時をすぎても分別の終わらない日は、瞼の裏とか、耳の奥とかに蓄積した、今日の疲れが燻りはじめて、やがて、火を吹くような気がして、もし、このわたしがすでに塵みていたら、ひとはまちがいなく燃える塵みなんだから、このまま灰になってもおかしくはないな。とか。
 いや、そんなかんたんな話しじゃなくて、塵みても燃えないひとがいるかもしれないし、そもそもが、まだ生きているわたしが分別されるなんておかしいではないか。とか。
それで、とか。とか。とか、とか。とか。して。して。とか、そのとか。とか。と、して。して。も、また、塵みの仲間にちがいないだろう。とか。その塵みが、また塵みを拾いあつめるものだから、一分一秒でもはやく夢のなかへ逃げ込んで、今日を終わらせたいと焦りながら、あ、土葬もあったんだ……と。ふいに気付くと、妙にまどろんで、ポンッとスイッチが入って。ようやく眠りにつくことができたりするから、夢の入口は、夜更けの公園のブランコのようにいつも揺れているのだとおもう。
 だれかさみしいのだろうか。
 ここにいないのはわたしだけなのに。

 それにしてもおかしな話しだ。塵みる、とか。老いる、とかは。ひとそれぞれであって、すこぶる観念的な話しだが、まだ生きている鶏に賞味期限なんてあり得ないという意見と。いや、卵は生きていても賞味期限はあるじゃないかいう意見があって。卵が先か。鶏が先か。という感じで、どっちでもいいじゃないかといいたくなるが、だったら、なぜわたしだけが忙しいおもいをするのだろうか。ということになって、灰になって一生を終えることに多少の不服はあったとしても、それがひとに与えられた平等なんだとおもえば、なんてことないけれど。他人の塵みまで分別しなければいけないなんてどう考えてもおかしい。だから、このわたしのどこかに差異が潜んではいないだろうかと、そればかりが気になるのだ。
 ところで、夢の入口に投げ捨てる塵みは見た目よりもわずかに重い。
 それは真夏のビーチの生ぬるい臭気を放つ汐と。一握の砂にまみれた塵みばかりだったからだ。ビーチの定番ともよべる大小さまざまな空き缶やペットボトル。風と波に運ばれた藻屑にからみついたビニール袋や、角のないプラスチック片。四季を奪われて居場所をなくした淫らな不織布の白いマスク。わがもの顔のシガレットの吸い殻。わすれものかもしれないビーチサンダルや、水中メガネ。なにを掴んだのかそれが気になる使い捨てのポリエチレン手袋。大人が捨てた花火の燃え殻一セット。口を固く閉ざして中身を語らない空き瓶。つい見逃してしまうお洒落なストローも例外なくりっぱな塵みになるし、赤や青のカラフルな輪ゴムもまたおなじだ。
 分別すればきりがないからとひとまとめにかき集めて。ちいさな山になったものを眠れないからといってまた分別しはじめると。まだ生きているかもしれない海月は燃える塵みなのだろうか。とか。藻屑からこぼれ落ちたゴキブリはどこから来たのだろうか。とか。つい手が止まってしまうから分別はいつまでも終わらない。

 そんなふうにして、夢の入口でしょぼくれるわたしのすがたは、老いることを拒もうとする姑息なすがただといえるが、老いることを拒むのは、あくまでもこのわたしの意識からこぼれ落ちる塵みであって、見ることもさわることもできないが、仮に日常的な名を与えるとすれば、それは約束という名の塵みだろうか。
 たとえばあした死ぬかもしれないという約束は、けっして軽いものではないけれど、かといってまともに対峙することもできず。眠らなかったらあした死ぬこともないのに。とか。老いることもないのに。とか。ついそんなふうにはぐらかして朝までばかやろうな夜と格闘したあげく。なぜこんなことで疲れなければいけないのだろうか。と、目覚ましアラームが鳴るまえのスマホを手にして、笑えないのに笑ってみたくなるのも、やはり、このわたしがすでに塵みているからだろうか。
 でも、雨の日の朝はほんとうに笑ってしまう。

 猫みたいな暮らしぶりのわたしのしごとは雨天休業だったのだ。それで、というか。わたしのスマホは朝の目覚ましと、あしたと明後日の天気を知るための道具でしかなく。午前五時五〇分にセットした目覚ましは、なぜそんな半端な時間であったのかも忘れてしまったまま。週に三日。月水金に役立つだけで。ふだんはスマホを必要としない年金詩人だった。
 その年金詩人もひとの子だから、塵みてしまったら分別しなければいけないが。波打ち際に打ち上げられたヒトデみたいなもので、海星と書けば罪もなく可愛いが。めったに見ることのないオニヒトデみたいなものだったら、まず気持ち悪くてさわれないし。かといってビーチに穴をほって埋めるのも悪寒がして。結局は見なかったことにしてそのまま放置される。それが年金詩人の一生涯だと。特定健康診査予診票の欄外に記載されていたとしても、わたしはあえて否定しない。むしろよろこんで受け入れるだろう。
 分別不可能な塵みであることのよろこびというか。与えられた平等であるまえに。生まれ落ちたままの犬や猫みたいに生きることを許されたひとでありたいとおもうからだ。しかし、なにを担保にこのわたしが許されたひとであるのか。もし、そんな担保がわたしにあるとすれば、年金詩人として詩を書くことを許されたひとという、わたしの誇りというか奢りというか、そんな曖昧なものしか見当たらなくて、早い話しがわたしの妄想なのだが、ひとそれぞれに生きることの大義名分を掲げるとしたら、その大義名分とやらは、個々の妄想から生れ落ちたものにちがいないとわたしはおもう。

 パジャマのボタンを掛け違えたみたいな居心地の悪い夢のなかで、きのうの夢のつづきばかり見せられて。もうすっかり見飽きたからと、カーソルを持って、ここじゃないどこかにわたしの知らない夢のつづきがあるような気がして。チャンネルを切り替えてみるけれど、どこもおなじで。ああ、やっぱし夢の入口をまちがえたんだ。と、ため息を吐いてみても、朝はもうすぐそこにあって。目覚ましアラームも鳴るから、またあしたの話しになってしまうのだが。ひととしてもう十分生きてきたわたしの見る夢なんて、再生回数の侘しいユーチューブの動画みたいなものかもしれない。
 それで、わたしにとってはもうすっかり見飽きた動画のような詩を集めて、詩集を編むことになったが、ここに収めた詩作品は、四十代から五十代にかけて書き散らかした詩を寄せ集めたものだから、詩集としては主題のない自薦詩集のようなものになる。
詩集とは「一冊の詩」と呼べるものであって、文脈のつながらない寄せ集めでは詩集とは呼べない。それであってもなんとか「一冊の詩」にならないものかと思案した挙げ句、小説のなかに詩を埋め込んでみたらどうだろうかとおもい付いたのだが、たしかにそれが成功すれば「一冊の詩」と呼べるだろう。しかし、そんな器用貧乏みたいな小説が成功するわけもなく、ダメで元々、これは小説ではなく「一冊の詩」なのだと浅はかに主張するしかないとおもう。
 そんなわけでこの詩集には目次がない。目次がないと不便なこともあるから、詩作品はあいうえお順にならべることにして、なるべくその不便を緩和したが、多少の入れ違いがあっても気にしないでほしい。


  あの日のマリアへ   

ね、きれいでしょう……?

踊り子は楽屋のソファに胡坐をかくように両膝をたてて
物憂い女陰をひろげて見せた
ラッパの福ちゃんは太鼓腹をきゅうくつそうに折りたたんで
ひたいに汗を滲ませて真正面から覗きこんでいた
はたちのころの、ぼくの視力は二・〇
一秒でも見つめたらすべてがひとみの奥にやきついた

まだ熟しきらない淡いピンクの無花果を
両手の親指でひき裂いたようなかたちして
そこは
出口なんだろうか、それとも
入り口なんだろうか
ひくい天井の蒼い息をはく蛍光灯のしたで
だるそうな、踊り子の体温さえ感じたけれど
ふしぎとセックスの匂いはしなかった

その日も
いつもの終電に乗って真夜中のアパートに帰った
駅前の商店街のくらい路地には数人の娼婦がたっていて
通りすがりの男たちに声をかけていた

やせた娼婦に声をかけられたが
初めての女とはセックスができなかったぼくは
娼婦の顔も見ないで足早にまっすぐ歩いた
もちろん、そんなお金はなかったし
そのころは、年上の恋人がいて十分に満ち足りていた

せまいアパートには年中ふとんがしいてあった
いつものようにすこし酔っぱらった恋人が
ショーツ一枚のつめたいからだにふとんをからめて
筒井康隆の文庫本を読んでいた
ぼくもブリーフ一枚になってその横にもぐりこんだ
煙草に火をつけて仰向けに寝ころんで
いしいひさいちの漫画を読んだ
しばらくは、ふたりがめくる頁のかすれた音だけが聴こえた

ねぇ、だれかとしたでしょう……?

触れてもいない踊り子の匂いを嗅ぎつけたのだろうか
恋人はぼくの腹に顔をうずめてブリーフをひきずりおろすと
半立ちの根っこを口いっぱいにほおばって舌をからめた
いつも見飽きることのないその横顔は
たしかにきれいだったけれど

ひとみの奥にやきついた
あれは
もっと、きれいだった気がした

いくつもの夜をわたって
ひとひとりいない朝の盛り場を
昼下がりの月のような顔ですり抜けて
踊り子はどこまで旅しただろうか
たとえ切なくても
痛みのない明日を祈り
スプーンいっぱいの希望を呑み干して
陽のあたる部屋に
たどり着いただろうか

このぼくに似た
キリストを産みおとすために


  散文の海へ2

 今日も雨は降らないという。
 目覚めた朝はゆうべ投げ捨てた塵みを拾いあつめて上着のボタンをとめる。まだうす暗い階下のリビングの灯りを点けて。雨戸をあけて。湯を沸かして。熱い紅茶を煎れて。富有柿と、アロエのヨーグルトと、イチゴジャムをうすくのせた五枚切りのトーストを一枚いただいてから。漢方の常備薬を二錠かじって。パイプの火皿にピーターソンのワイルドアトランチックをつめて。火を点けて。一服して。用を足して。坐薬を詰めて。歯磨きして。洗顔して。肩までのびた髪を結って。瞼と目尻にマンダムのフェイスクリームを入念に塗って。それで朝の支度はたっぷり一時間半かかるから、すこし急いで。買い物用のマイバッグにタオルや、スマホや、財布代わりの小物入れや、メロンパンやら投げ込んで。今日の約束をかぞえながら職場にたどり着くわずかな時間にも、今夜かならず投げ捨てなければいけない塵みはまぎれこんでくる。たとえば、今朝の気温は摂氏七度だという。
 もう十一月だった。
 日の出まえに目覚ましが鳴る季節まではたらくなんておもいもしなかったから、朝の通勤路はアルペンクライマーが高所順応のために、ベースキャンプと稜線をなんども往復するようなもので。週三日とはいえ、いつまでも朝焼けの街に順応しないのは、わたしの体質なのか、それともただの怠け者なのかよくわからないが。いちおう年金暮らしができる程度はひと並みにはたらいたのだから、ほかにも理由があるはずで、順応できない理由のひとつに、老化現象を加えてみれば、なんとなく納得できるが。そうなると、このわたしはたしかに老いることには順応しているということになるだろうか。
 職場まではマイカー通勤だった。渋滞する長い橋を渉って中心市街地を抜けて。ものしずかな干潟が見える松並木の道を行くと、区画整理された広々とした職場の駐車場にたどり着くが。水平線の見える風景は空ばかりがたかくて視界はひくく、貨物船や漁船が行き交うにぎやかな海峡は、色褪せたあおい絨毯のように見えた。
 比較的温暖な地方だといっても、十一月の海水浴場は真夏からはとおくて、風も海も砂も、見知らぬ他人みたいに冷め切っているのは仕方ないが。もう五ヶ月も海ばかり見てはたらいているのに、いまだに風景に溶け込めないでいる自分がいちばんの他人みたいで、うそでもいいから防波堤に群れる白いカモメみたいに、おもいっきりたかい空から海を俯瞰してみたいとおもう日があった。
 そんな日は、詰め所のまえでこっそりハトをあつめてメロンパンをやるのだが、ひょっとして、だれか隠れてはいないだろうかとそればかりが気になるのだ。
 あの水平線に。


  このわたしを超えていくもの

短歌を超える詩が、あってもいい
詩を超える短歌が、あってもいい
詩人も、歌人も夜はおなじ寝床で肌をよせあって
眠るのだとおもう

今日はもうなにも書けなくて
はやくお風呂にはいってあしたにしよう、なんて
のんきにかまえているけど
あいにく、このわたしに詩心はなくて
あるのはあさましい恋心だけなんだとおもう

歌が先なのか、恋が先なのか
それさえわからなくなるほど恋をしては
詩を編んで
歌をうたってきたけれど
なぜか、恋はいつも他人でしかなくて
体温をなくした歌だけがのこってしまった
とおざかる女たちはいつまでも美しいというのに

詩人は歩くように詩を編み
歌人は息をはくように歌を詠む
それはまるで
日々、やすむことなく
遺書を書きつづけているようなものだから
いつ、いのちを閉じても悔いはないと
言いきることができるだろう
一年の半分は詩を編んでくらしているけど
それはもう日常に癒着しているから
多いとも少ないともおもわない
ただひたすら
一字一句すくいとっては編むことに没頭している
でも、詩を読むことも
たいせつなしごとなんだとおもう
ふしぎなことに
詩を編む力と、詩を読む力はひとしいから
読む力をおろそかにはできない

もうひとつ、読まなければいけない理由は
このわたしを超えていくものに
出逢いたいからだとおもう
詩歌に物差しはない
このわたしを超えていったものとの
距離をはかる物差しは
わたし自身なんだとおもう
なんとも心細いはなしだけどしかたがない
おのれを信じるしかない
だから、詩人も、歌人もがんこ者ばかりなんだ

とおい昔、赤毛の仔犬をもらってきた
わが家に詩人はふたりいらないから
おまえは歌人になれといいつけて
も吉と名づけた
もちろん、犬が歌を詠むわけではないけれど
も吉とふたりして編んだ十五年分の詩歌は
いまも、おまえの体温をたもちつづけて
裸のままでしか生きられないわたしを
温めていてくれる

詩人と、歌人の関係は
たがいに物いわぬひとなのだとおもう
それは
ひとと、犬であったり
猫と、ひとであったりしながら
夜になればおなじ寝床に帰りついて
においを嗅ぎあい、肌をすりあわせて
たがいの体温をわけあって眠るかもしれない
そうして
朝をむかえることができたら
詩心なんてどこにもなくて
肌をよせて眠るあなたがいるだけなんだと
気づくはず

短歌であっても
詩であっても
ときには、おさな子のいたずらがきであったり
萌え尽きたおち葉の葉脈であっても
このわたしを超えていくものがなければ
たとえ、明日がこようとも
まあたらしい詩を編むことはできないだろう
それがなんであっても
どんなに離されたとしても
その距離をはかる物差しは
わたし自身、なのだから
[孤独]なんていう、都合のいい尺度はすてて
ちょっぴりくやしい想いをあじわったら
あとはもう
お風呂にはいって寝てしまえばいい
いつかきっと、追いつける日がくるから

 さよならを育てるように恋をして
      それでもいいと言いきるいのち

ほら、またひとつ
このわたしを超えていく恋がある


  散文の海へ3

 猫又木浜海水浴場の駐車場は午前八時に開門する。
 南北に延びるビーチ沿いの駐車場に車を止めると海が見えた。わたしにはすっかり見慣れた瀬戸内式気候のふるさとの海だ。駐車場とビーチの間にはテラスのようなひろい遊歩道があって、軒のひくいビーチハウスが数軒並んでいる。だれが見たって海水浴場の風景だった。
 駐車場の南はしには鉄骨でできたそれとわかるトイレがあった。トイレには棟続きの倉庫が二棟あって、倉庫には海水浴場にひつような用具や備品が置いてあったが、その大半は使途不明というか、まるで埃をかぶったまま放置されたエジプトの王家の遺品みたいだった。それで、向かって右はしの倉庫にはわたしたちの詰め所があった。しごとまえのわたしは、倉庫の入口に置いたパイプ椅子に腰かけて、アイスティを片手にメロンパンをかじりながら、海水浴場のほぼ中央にある料金所で一日千円の駐車料金を支払って、とろとろと、遠慮がちに入場する大小さまざまな車を眺めていた。
 七月初旬だった。しごとを得たいというたしかな意思はあったが、身支度も調わないままに、こんなところに投げ出されたのだという気がして、ついこの時間帯は手持ち無沙汰になってしまうのだが。それはわたしの不服にちがいなく。じゃあ、なにが足らないのかと問われてもなにもおもい当らず。ここにあるものは、燃えたぎる太陽のひかりを攪拌しつづける蒼い海と、風と、しろい砂浜だけだとしかいえなかった。
 もちろん、海水浴場なのだからそれですべては足りるとしても、ここではたらくとなると話しはべつだ。足らないものはたぶん、職場として機能するための備品や道具なんだけれど、詰め所にはタイムカードはおろか壁時計ひとつなかったし、わたしが手にする道具といえばゴム手袋と火バサミと熊手だけ。トイレ掃除やビーチのゴミ拾いなんて、それで足りるしごとなんだといってしまえば、たしかにそうだけれど。火バサミとゴミ袋を持って、炎天下のビーチに立ってみると、ふしぎなことに足らないものはなにひとつなく、ただひたすら、砂にまみれた塵みと鬼ごっこして、午後の日差しが傾きかけるころには一日の作業を終えるのだった。
 足らないものはすべて真夏の太陽が補ってくれるのだと知るのは、もうすこし先の話しで、七、八月のたったふた月とはいえ、老いを忘れてはたらくことができるのは、観念的な時を刻む太陽に支配されたわたしたちが、等しく平等であるからだという気がした。それはたぶんわたしだけではなく、ここではたらくすべてのひとがそうであるはずだ。なぜかというと、猫又木浜海水浴場ではたらくひとのほとんどが後期高齢者だったからだ。社会の第一線を退いたひとびとにとって、ここは定年のない職場にちがいなく、肩書きも持たず年功序列もなく、雇い主さえ定かではなかったが、からだひとつ動きさえすればそれでしごとが成り立つというふしぎな感覚は、わたしの半生にはなかったもので、太陽の下ではたらくことの恩恵をこの歳になってはじめて知るのだった。

「ほな、ぼちぼちやろか。アンタ、カギかけといてや。」
 そういって立ち上がった中川さんから、重い南京錠をうけとるのはわたしだったりしても、スチール製のパイプ椅子から腰をあげた中川さんの腰は曲がったままで、歩くすがたもパイプ椅子に腰かけた状態とほぼおなじだった。
 朝のトイレ掃除はいつも三人だった。
 詰め所のとなりのトイレというか。トイレのとなりにある詰め所の倉庫の入口みたいな観音開きの扉といっても、倉庫のなかに詰め所があるから倉庫そのものなんだけれど。その重い鉄の扉をロックしてトイレ掃除を終えると、もうひとつ北のはしにトイレがあって。ひと休みしたあと、ふたたび詰め所の扉をロックして、中川さんとふたり、自転車を漕いで、北のトイレまで行くことになるが。延長一二〇〇メートルはある海水浴場の南から北のはしまで、おそらく一〇〇〇メートルは自転車を漕ぐことになる。
 それで、もうひとりの上田さんは通勤用のスクーターだった。
 スクーターの前かごに事業所用の黄色いゴミ袋と、トイレットペーパーを詰め込んで、上田さんはヘルメットもかぶらず、八五〇台は入るというビーチに沿ってきれいに区画された駐車場を爽快に走り抜けるけれど、中川さんとわたしは軽自動車で通っていたから、駐車場を移動する際は詰め所に保管してある自転車を漕ぐことになる。それがおそろしくペダルの重いママチャリだった。
 すでに半分近く埋まった駐車場を、中川さんのまるい背中を追いかけて走るわたしは、いつになく長い梅雨が明けたことも知らずに、いきなり七月の炎天下に投げ出されたような気分だった。ことしの夏はおもわぬ方向からやって来たのだ。

 シルバー人材センターは全国各地にあって、六〇才以上のはたらく意欲のあるひとであればだれでも入会することができる。
 定年後も退職せずに六五才まではたらいたわたしは、第二の職場を求めてパートやアルバイトの面接をいくつか受けたがすべて落とされた。たとえ見た目はわかくても六五才を超えるとそんなものかと納得するしかなかった。それでわたしの日課は日に三度の犬の散歩だけになったわけだが、昨年の暮れにそのしろい雌犬を亡くすと毎日が休日のような暮らしのなかで、日付も曜日もぐちゃぐちゃになって、身が持たなくなって、じゃあ、もういちど犬を飼うしかないかなとおもったけれど。先代の赤い雄犬は一五年生きて、二代目が一六年だったから、つぎの犬がもし一五年生きたら、わたしは何才になるのかなって計算したら、なんと八四才だった。
 ちょっと無理かもしれない。
 趣味はいくつかあったけれど犬の散歩のような強制力がない。すべてがその日の気分次第なのだ。そうなるとやっぱしはたらくしかなかったが、また面接を受けて落とされるのはおもしろくなかったし、面接を受けないで就職する方法はないものかと、三宅島の次郎さんに電話して話しのついでに相談してみたら、
「だったらさ、シルバー人材センターがいいよ。あるだろ? あんたの街にも。会費はさ、二百円だよ。」と、勧めてくれた。
ふーん、二百円か……安い。
 あくる日のこと、わたしの街のシルバー人材センターを訪ねてみた。いつもの年であれば、入会希望者をあつめた説明会が毎月あるらしいが、コロナ禍のため、その日のうちにわたしひとりが面接をうけることになった。入会申込書の入会理由には「余暇を活用したい」と記入したが、会費は二千四百円で六月中に納付しなければいけなかった。次郎さんがいう二百円はひと月分だったのだ。
 それが三月のことで、年度末であったことと、コロナ禍の影響もあってか、入会したもののなんの音沙汰もなく、どうやら年金詩人を自称するわたしのなまくらな正体を見破られたみたいで。じゃあもういいや、会費は払わずに、シルバー人材センターもなかったことにして気ままに暮らすしかないなって、ふてくされていたら六月も下旬になって、それらしき電話があった。
 若い女だった。
「いつもお世話になります。」
……はい?
「猫又木浜海水浴場のゴミ拾いと、トイレ掃除なんですけど……いかがですか?」
……はあ?
 間が抜けていた。そんなしごとが回ってくるなんておもいもしなかったのだ。シルバー人材センターといえば遊休地の草刈りとか、庭木の剪定とか、わたしにはその程度のイメージしかなかった。 
 朝は八時から、午後は昼休みをはさんで三時まで。契約期間が七、八月の二ヶ月間だという。シルバー人材センターから、猫又木浜海水浴場には毎年六名派遣されていて、三名ずつ二チームに別れて、曜日には関係なく隔日で出勤することになるというが、その六名にことしは欠員が生じて、このわたしに声がかかったのだと知るのは、ずっとあとの話しで、べつにわるい話しでもなさそうだけれど、なんだかわたしにはハードルがたかいような気もした。
 それでひと月の稼働日数は一五日になるが、原則雨天休業だから、一五日フルにはたらけるという保証はなくて、実際のとこ、七月は初日の二日と四日目の八日とあと一日雨で流れて、実働一二日ということになった。でも、そんなことはどうでもよくて、月に一〇日もはたらければ十分だったし、一日はたらけば翌日は休めるという隔日のしごとだったから、なんとかやれそうだし、これを断ったらもうしごとは回ってこないような気もして、おもい切って引きうけたのだが、そんなわたしを迎え入れてくれたのが上田さんのチームだった。
 上田さんは八二才だというのに、腰はけっこうまっすぐ伸びていたし、開けっぴろげの気のいいひとだったけれど。七四才の中川さんはすこし気むずかしくてはしかいひとだったから、トイレ掃除はもっぱら中川さんに指示を仰いで、うまく機嫌をとって、シルバー人材センターには、もう十数年在籍しているというおばさんふたりのあとについてはたらくわたしは六九才。ちょっと耳のとおい初心な新入りだった。
「ぼちぼちでええから、辞めやんときてや。」
……はい。
 上田さんがそういうからわたしもそのつもりで、なんとかついて行けばなんとかなるような気がした。


  火の山峠

次郎さんの家は、火の山峠へとつづく坂道の途中に
あって、そのちいさな車は、登るときも下るときも
まるで不機嫌な家畜のように、激しく四肢を踏み鳴
らすのだった。
直径八キロ余りの島の真ん中に、レコード盤の穴の
ような火口があって、アップダウンの勾配と、ゆる
いカーブのつづく海辺の道は、この島の輪郭をほぼ
正確に描いていた。
次郎さんの案内で、半日かけて右回りに島を一周し
たあと、翌日は左回りに半周して、そこから先は、
右も左も同じであることに気づく。さらにこの島に
は、海のある方向と、山のある方向しかなくて、夕
日が海に沈むまで、旅人は、西も東も定められない
不安を抱くことになる。

東京から一八〇キロ。
竹芝桟橋から「かめりあ丸」に乗船して、三宅島の
次郎さんを訪ねた。
団塊世代の次郎さんが、たったひとりで三宅島に移
住したのは五年前のこと。
「山と海しかないとこだからね」たしかに、山も海
もひとつずつしかなくて、雄山と呼ばれるその山は
二十年に一度噴火するという。
三日目の朝、火の山峠へとつづく林道を次郎さんと
歩く。平成十二年の噴火で白い骨と化したシダジイ
の原生林が皐月の空に蒼く蘇る。幾多の罪人がこの
峠を越えただろうか。右も左も、西も東もなくて、
さらに、今日という日も、明日も見つからないとし
たら、その昔、この島にひとが流された理由もわか
る気がする。

「流されたんだよね、俺はさ」そんな冗談がよく似
合う次郎さんだったけれど、ほんとうに次郎さんが
流されたとしたら、次郎さんはどんな罪を犯したの
だろうか。戦争を知らない時代に生きて、償うすべ
のないささやかな罪を重ねて、次郎さんが流された
のだとしたら、次郎さんたちに一歩遅れて定年を迎
えたこのわたしもおなじ罪を犯したはずだ。
「あした帰るの? たぶん、飛行機は飛ばないよ」
明日も西の風が吹くという。
次郎さんはもうすっかり島のひとだ。わたしという
ささやかな流罪人は、たった三日、流されただけで
罪を補おうとしているのだろうか。

火の山峠の展望台を過ぎて林道を下る。人恋しげな
カーブ・ミラーの前に立って、ふたりの記念写真は
カーブ・ミラーの瞳の中に。
「次郎さん、ありがとう」あした帰るわたしの、残
された日々と希望を、この島の峠で拾い集めること
ができたかもしれない。そんな気がした。
あくる日、三池港の桟橋に向うそのちいさな車は、
物静かな牛のように坂道を下るのだった。







      その2へつづく。



自由詩 詩小説『雨の日の猫は眠りたい』その1。 Copyright たま 2024-06-04 09:11:10
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