半導体と生活
番田 

何かを思うことははっきりしないのだが、コンビニが近所にあるということだけは知っている。TSMCという台湾の半導体メーカーは工場を世界各地に作っていて、知らないうちに日本の九州にも工場を作っていた。しかし、段ボールの回収が週に一回だけというのは、昨今の世の中の状況と照らし合わせると厳しい回数のように思われた。管理人がいないような物件のゴミ捨て場の、でも、これは、宿命なのかもしれない。今年も未回収になったままの段ボールの山が、雨に降られ、踏み固められてゴミ捨て場に地層のようなものを作っていくのだろう。とはいえ、そういった半導体といった金になりそうな技術は地道に、もっと、続けられるべきだったのだ。顕微鏡で作るような、半導体の超ミクロ単位の生産技術は今ではその会社でしか作れないとのことで、TSMCの一人勝ち状態である。


昔のパソコンに入っていたメモリも、TSMCのものだった気がしたが、サムスンにしても、当時は価格競争が激化して、日本はそれらに太刀打ちできなくなり、撤退したのだった。ぼんやりと今日も、そして、そんなことを考えていた。今日もそこで何かを確かに存在するものとして撮るために。アパートのゴミ捨て場の周りには、段ボールが今年も散乱していた。それを、毎年年末にやっと回収されるというのが、このアパートの通例のようで。そんなことを考えながら、そこに、僕の倒れていた自転車を立て直した。しかし半導体の生産を中国や他国が真似できなかったというのは、やはり一筋縄ではいかないその会社の努力が確かにあったからなのかもしれないと思うのだ。


僕は今日も街に出かけた。目的地もなく、僕は歩いてきた。時々カメラを持って出かける。うまく写真を撮ることは難しいが、そういったシーンに出会えた偶然は、うれしいからだ。今日も、なぜだろう。また、どこかに行きたくなる。しかしやはり高速化した半導体やメモリの需要は行き詰まったかに見えても衰えないようで、それを断念した日本の政策を誰が決めたのかは知らないけれど、今では後悔していることだろうと思う。


散文(批評随筆小説等) 半導体と生活 Copyright 番田  2024-04-25 01:53:30
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