金魚すくい
たもつ



 部屋の明かりが消えた。キッチンも、廊下も、
トイレも。カーテン越しに差し込む街灯や近所の
明かり。わたしの家だけが何事もなかったかのよ
うに、暗闇の中、どこまでも透きとおって見えた。

 山下さんに誘われてお通夜に行った。「あなた
もお世話になったじゃない。」山下さんはそう言
うのだけれど、遺影を見ても、声や口癖さえ思い
出せない。ご焼香を済ませると、山下さんは他の
グループの人たちと談笑しながら車に乗ってどこ
かに行ってしまった。あの笑顔に憧れていたのだ、
初めて会った時から、ずっと。

 わたしは帰り道、一人喫茶店に寄って簡単な食
事をとった。ブラックフォーマルの服装を気にす
る人がいるかもしれないと心配したけれど、斜向
かいの席に座っている人たちの会話がふと耳に入
り、夜店ですくった金魚がまだ生きているのだと
初めて知った。お店を出てしばらく歩いているう
ちに、お葬式の帰りのような雨が降り始めた。小
雨なのに衣服がよく濡れる雨だった。

 皮膚が暗闇に少しずつ馴染んでいく。すくわれ
た金魚は生きて、今ごろどのあたりを泳いでいる
のだろう。わたしは何をすくったのだろう。何に
すくわれたのだろう。
 
 お通夜の日、本当はわたし、そこにはいなかっ
たのかもしれない。あの時、既に部屋の明かりは
消えていて、一匹の金魚が口をパクパクさせなが
透きとおった中をただ泳いでいる。そんな夜が続
いていただけなのかもしれない。

 明日、冷蔵庫の中身を処分したら業者の人に明
かりのことなどを相談しようと思った。その後、
菜の花畑を走る列車とバスを乗り継いで、山下さ
んのお墓参りをしようと思った。





(初出 R6.3.12 日本WEB詩人会)


自由詩 金魚すくい Copyright たもつ 2024-03-13 00:29:02
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