鏡像(16)「寮母さん」
リリー

 「な、見て。またやってはるわ…『松の廊下』。」
 「ほんまやなぁ。」
 午前の館内清掃へ向かう若手職員らが足を止めて
 視線を投げる主任と副主任の姿
 朝礼を終えた会議室から
 旧館へ戻る副主任を追いかけて来た主任、
 中庭に面した外廊下では引き続き論争がなされていた

 この頃、新館の主任は若手職員へも愚痴をこぼした
 「嫌われ役になれへんかったら主任なんか務まらへんのやで…。」

 深刻化する職員らの業務負担を軽減しようとする主任と、
 多少なり時間と手間はかかっても
 柔軟性のあるケースバイケースな対応を試みようとする
 旧館の長、副主任との対立は深まっていった

 私達下っぱ連中は、大食堂ホールの大窓の硝子に映り込む
 中庭の碧い芝生を松に例え
 ここを『松の廊下』と呼んでいたのだ

 お便所掃除を済ませ担当の病室へ出向くと
 先輩がニシさんの水分補給に
 介護用ベットで上半身を起こしていた
 
 月に一度の通院以外は病室で眠っているニシさん
 食事も流動食なのだが 少しでも離床出来るように
 車椅子で食堂へ移動してもらっている
 痩せこけて言葉も無く無表情
 ただ一言、小声で「ありがとう」だけは
 いつも言ってくれる人だった

 「この間、娘さん来た時のニシさんの顔、あんな顔、
  私らに見せてくれた事無いよなぁ…。」
 寮母室でそれとなく先輩二人が話し始める
 「そうそう。私らは、毎日を共に過ごしてても越えることはない、
  『寮母』なんよ。一年に二回も面会に来ない娘さんでも、
  私らよりニシさんにとっては…。そういう事やなぁ。」

 この娘さんとニシさんの親子関係の経歴までは分からない
 
 娘さんはニシさんが亡くなると預かり金七十万円を受け取り
 葬儀も納骨も全て施設側へ丸投げして涙も見せず
 老人ホームを後にした
 
 集会室で葬儀の祭壇へ参列する職員達の
 言葉にならない やるせなさ
 「寮母」とは何なのか?
 考えながらもこの時、答えを求めようとはしなかった


自由詩 鏡像(16)「寮母さん」 Copyright リリー 2024-03-11 12:12:51
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