のらねこ物語 其の二十七「朧月」
リリー

 「梅もさ、もう終わりよね。…。」
 裏庭で物干し竿から洗濯物を取り込みながら
 隣の表長屋の庭を眺める おゆう
 
 居室の畳の拭き上げを済ませたおりんが
 雑巾を干す手を休め
 梅の木を見ると まだ咲いている白い花の
 蜜を吸っては枝から落とすメジロが一羽

 その晩 湯屋から帰った二人が勝手口の扉を開けると
 厨の入り口の側で おきぬがしゃがみ
 猫に残飯をやっている
 数日前、おりんの後を付いて来た
 あの茶トラであった

 「また…来るかもしれないと思ってね。この子の皿も
  用意しといたんだよ。そしたらさ、来たんだよ。」
 おきぬの ほころぶ口元

 「あらぁ、この猫、食いしん坊なのかしらね?」
 汁かけご飯の無くなった皿なのに、舐め回しているトラに
 おゆうは不思議がる

 かつて、川越宿の茶屋で捨て値でも三百両という
 柿右衛門の逸品の鉢で食べていたトラである
 しかし、トラからすれば おきぬが自分の為に
 用意しておいてくれたアワビ皿は
 どんな名品より、いとしく思えたのであろう

 皿から顔を上げたトラは元気の無いおりんへ
 「ミャー。ミャア。」
 と鳴く
 「ごちそうさまって云ってるのかしらね?」
 「そうかもねぇ。また、おいでね。」
 笑って話すおゆう
 おきぬの右手で頭撫でられるトラは
 川越宿から旗師に貰われて以来、おりん達に出逢う迄
 人にすり寄った事も頭を撫でさせた事も
 無かったのである

 冴えない表情するおりんへ顔を向け また
 「ミャー。」と鳴くトラ
 「ちょっとぉ、この猫さ、あんたんこと好きなんじゃないの?」
 肘でおりんを突つく おゆう

 おりんは ふと空を仰ぎみる
 ぼんやりと霞む月が、
 心うつす鏡のように思えたのであった
 


自由詩 のらねこ物語 其の二十七「朧月」 Copyright リリー 2024-02-23 11:13:44
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