のらねこ物語 其の十四「金魚玉」(三)
リリー

 その日 近江屋の縁側で鳴っていた
 庭師の枝切り鋏は申の刻に止んだ

 お使いの出先から六ツ半にかえった清吉は
 一人遅い夕食を済ませると 土間へ降りてきて
 大きな身体を二つに折り おりんのそばに
 しゃがみ込む

 おりんは流しの たらい桶で茶碗を洗っていた

 「おりんちゃん、これ、あげるよ。」
 指先に 紐をつまんで持っていた金魚玉
 眺める清吉は言った
 振り向くおりんの目が金魚玉を捉えると
 「えっ、あたしの金魚!?」
 
 「そうだよ。帰りに辰巳芸者の蔦吉姉さんから
  もらったんだ。君に、あげよう!」
  いつも、お嬢様の部屋の金魚鉢
  うらやましそうに見てたろう。
 目を輝かせる おりんへ
 手渡す清吉は沈んだ口調の小声で話し始めた

  君は、どことなく妹に似てるんだよ…。
  妹は十歳で上州の旅籠屋へ奉公に出されてしまってね。
  三年経った去年から便り途絶えて、もう消息すら
  分からなくなってしまったんだよ。不憫でね…。

 清吉は農家の出で、丁稚奉公に出た先の商家で気に入られ
 近江屋が手代として引き取った幸運な男だった

 黙って聞いていた おりんは自分と一つしか歳の違わない
 清吉の妹を思い 目頭が熱くなった
 ビイドロの鉢に泳ぐ小さな赤が、ぼやけて見えるのだった

 そこへ 勝手口から
 残飯入ったアワビ皿持つ おきぬが戻って来た
 「おかしいね…。今晩もイワシの姿見えないわぁ…。」

 去年、霜月に飼い主の茂六さんが亡くなっていたのだ



 注1)申の刻=十六時のこと。六ツ半=十九時のこと。

 注2)上州(群馬県)の旅籠屋=草津の湯の温泉宿のこと。
    江戸時代、温泉番付でも東の大関と言われた。
 


自由詩 のらねこ物語 其の十四「金魚玉」(三) Copyright リリー 2024-02-17 19:15:39
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