のらねこ物語 其の七「裏長屋」(一)
リリー

 下弦の月が冴え
 よく冷える晩のこと

 「おい、炬燵とは豪勢じゃないか!」

 浪人が、長屋の玄関の戸を開けて
 迎え入れた友だちは羨ましそうに言う
 煮炊きする へっついの傍
 熾の入った火消し壺に身を寄せて
 うずくまり眠っている イワシ

 台所の土間に立つ二人
 酒持って訪ねて来た浪人の友だちへ
 笑いながら手をふりふり

 「いやいや、あわてるな。犬に布団を被せ犬の腹へ足を
  おっつけていたんだ。これがなかなか温かでな、
  こたえられん。おまえもどうだ、ひとつあたらんか?」

 「ほほう、そいつは名案。ちとあたらせてもらおう。」

 四畳半の間に置かれる布団へ二人が足を入れた途端

 「おお、あっちっちっちぃ!ちくしょうっ、炬燵に食いつかれたあ!」

 飛び上がる浪人の友だち、
 土間へ降りると
 酒の肴になりそうな沢庵でも無いのか と
 棚をのぞく
 すると足元に
 「何だ、この鉢は?」
 ろくに葉も繁っていない つまらなそうな植木鉢

 「ああ、それか。」
  この間、通りを馬に乗り慣れん若造が、馬にしがみついていて
  「おい、危ないじゃないか!何処行くんだっ?」と聞いたら、
  「馬にきいてくれえっ!」とだけ叫んで消えて行ったんだ。

  避けた拍子に転んだ花売りの爺さんを介抱したら、お礼にくれた。

 「お礼に…なるのか?コレ。」
 「ああ、爺さんが言うには何でも珍しい忘れ草という花らしいんだ。」

  これを普段見ていますとね、
  苦労を忘れ
  夏には暑さを忘れ
  冬には寒さを忘れ
  年をとっても年を忘れます。

 「それは、ふしぎな。花咲くのが楽しみだなぁ。」

 浪人の友だちは、その話に笑いながら
 さっきから目を覚まし頭おこして辺り見廻すイワシを 
 そっと 両手伸ばし抱き寄せた。
   
  
 
 注)「へっつい」とは薪で煮炊きをする、かまどの事。
  
   熾(おき)とは、薪の燃え残りが炭状になったもの。
   これを「火消し壺」に入れ、蓋をして消化、保存する。
   この熾があると次もすぐ火をおこす事が出来て合理的。

   忘れ草とは、萱草の一種でヤブカンゾウに当たるユリ科の野草。
   七月から八月頃、花を咲かせる。
   「一名、忘憂」とあり、憂いを忘れるという俗信があった。


 第五連目から第八連目と第十二連目と第十三連目は『小さなわらいばなし』
 上巻 題目「浪人のこたつ」と「忘れ草」から引用連想表記しました。





自由詩 のらねこ物語 其の七「裏長屋」(一) Copyright リリー 2024-02-14 12:22:11
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