作家 西村賢太
山人

 「苦役列車」は映画と文庫本で。「やまいだれの歌」は文庫本で。それぞれ読み、鑑賞した。
 西村賢太(以下西村氏)の略歴は中学校卒業であり、ずっと日雇い人夫などをし生計を立てていたようである。小説を読み、そして自分も書き、芥川賞を「苦役列車」で受賞している。
 西村氏と映画「苦役列車」の監督の間で、原作と違うということで一悶着あったと「やまいだれの歌」の解説に書かれていた。ただ、私的にはさほど違和感は感じられなかったし、主演の森山未來や、友人役の高良健吾など、良い演技をしていたと思う。
 西村氏の小説は私小説家である。自らの生い立ちや父親の犯罪など、飾らずに向き合い、ハナシにしている。普通は話したくないことを平然と描き、自らの恥部や性癖を惜しげもなくさらし続ける様は、見ていて吐き気を催す読者も多いと思う。しかし逆に、そこに人間の生を感じ、生き物が本来あるべき姿を抽出しているという部分も散見する。
 「苦役列車」は、もしかすると途中までしか読んでいなかった…ような記憶がある。理由は筆致が気持ち良くなかったのだ。芥川賞受賞という、なにか文学的なにおいをイメージしていたのだが、粗野な文体とリズムが無いといったような、どことなくガキボキした印象だったからである。年号を見ると「苦役列車」は二〇一〇年。最近読んだ「やまいだれの歌」は芥川賞受賞後の二〇一四年である。この「やまいだれの歌」においての表現は見事であった。粗野ではあるが、エネルギッシュで若さと馬鹿さが噴出し、しかしまたそれが意気消沈し、吐き出された汚物のような、名もない生命体になってしまう主人公の生きるという美しさを表現しているのである。そしてなによりも緻密だ。
 
 話は少し逸脱するが、赤字ローカル線の無人駅の除雪作業員常用となり、今年で三年目の冬であるが、過去二年は読書三昧だった。難しめの本や、娯楽性の物、多々読んだ。好きな小説家にどっぷりと嵌り、徹夜で読み耽るということも多々あったのだが、基本読書家ではなかった。本とともに埋もれたいという、我が友人のような生き方は無理だろう。
 今年は読書にあまりこだわらず、好きな本しか読まないこととしていた矢先の、西村氏の「やまいだれの歌」であった。
 
 作家、西村賢太は二年前病死した。心疾患による急死だったようだが、いかにも氏らしい死に様だったと思う。まさに太く短く生き、そして何よりも濃い生きざまだったのではないだろうか。
 ほぼ私のことをすべて語ってくれているような錯覚になり、彼に共感しているが、私は残念ながら気が小さいのだ。氏のような生き方は出来ないが、あらためて自分を知るいいきっかけになったと思う。
 もちろん、また別の作品も探してみたいと思っている。


散文(批評随筆小説等) 作家 西村賢太 Copyright 山人 2024-01-18 07:58:19
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