リハビリ②
OMEGA

何かを書きたくなった。
自分でもわからないけれど、何かを書きたくなった。

生きることへの諦めというか、死を死として受け入れつつあることの悲しみなのか、喜びなのか。
よくわからない心の動き。

書くことで、それは自分の中でより鮮明にはなっていくことも少なくはない。

母は苦しかっただろうか。
私にはそうは見えなかったけれど、腹の中で凶暴な獣が暴れてる痛みとかあったのだろうか?

死に行く母を、確かに私は抱きしめて、何度も何度も感謝の言葉を伝えた。
伝えたいことは沢山あったはずなのに、同じ言葉を繰り返すので精一杯だったのだ。

母もその言葉に、同じ言葉で返してくれた。
何度も何度も、繰り返し、繰り返し。



まだ生きてて欲しかった。



というのは生きてる者の身勝手な欲望だろうとも思う。
あるいはエゴか。
歳を重ねたその先に、幸せがあっただろうか?
こんな世の中で、紛争地帯の映像が流れる度に涙してた母が、幸せを感じられただろうか?

長く生きることが「人の幸福」だとは私は思わない。
生きることは、苦しみの連続で、自身に不条理なことが起きていなくても、世の中は不条理な悲しみに満ち溢れている。

長く生きることによって、かえってその苦しむ期間が延ばされるだけだし、ましてやこんな世の中であるからね。

だから、母は大きな苦しみもなく、早目に永眠できたことがかえって母の心のためには良かったのではないかとも思う。

しかし、それは言い訳だ。
私はまだ、私が満足するだけの孝行を果たしてないのだ。

まだ生きてて欲しかった。
私のエゴのために生きてて欲しかった。
母が行きたいと言っていた場所に連れて行きたかった。

言葉ではなく、行動で伝えたかった。

別れの際に、何度も何度も、繰り返し、繰り返した言葉が、その出口を見失って、私の中で暴れている。



自由詩 リハビリ② Copyright OMEGA 2023-12-05 21:16:29
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