love sick 1
ルルカ new



love sick ...そう。ここは、恋の病を扱う病院。
私は、ここの受付をしている。

「あの!私、失恋してからというもの、涙が止まらなくて、家にいる時はもちろん、仕事中も・・・。」


今日も患者がやって来た。その行動から、すぐに新患とわかる。

「はい。保険証出してください。診察券作りますので、この用紙
のチェックがついている箇所に記入してくださいね。」


私が、そう言うと、彼女は、右手でボールペンを握り、左手で持ったミニタオルで、目頭をおさえた。

左手薬指にはリングが光っている。
私の視線に気づいて、記入が終わると、そそくさとタオルで隠しながら、リングをはずした。サファイアが眩しく光っていた。

「こちら、診察券です。順番が来ましたら、お呼びしますので、それまでそちらのソファーにかけてお待ちください。」
「ありがとうございます。」

私に指輪を見られたのが、きまり悪かったのだろう。
私の顔を見て、急いで診察券をとると、ドスンと音をたててソファーに座った。

「ドクター、新患です。カルテ、こちらにおいておきます。」
「ああ。深沢君、ありがとう。」
「いえ。それにしても、最近、失恋患者が多いですね。やはり六月だからでしょうか。」
私は外を見た。雨がぱらぱらと降っている。
窓にはりつくように、紫陽花の花が咲いている。鮮やかに。そして淑やかに。
「そうだな。プロポーズされる女と、そのために切られる男、女・・・。
 男女関係にしろ、友人関係にしろ、結婚を境に縁を切る場合というのは多いからな。」
「喜びの涙と悲しみの涙・・・。だから雨。六月・・・ですか。」
「少し前は、秋の方が失恋患者が多かったがな。六月に戻った。
 やはり結婚式くらいはロマンチックに・・・。という所かな。」
ドクターはクスリと笑った。そして、すぐまた表情を固めた。

「ドクター、今、9時から予約されていた患者様、キャンセル入りましたので、
新患から先に診察お願いいたします。」

「ああ。じゃあ、通してくれ。」
ドクターは、新患のリサーチを終えたようだった。

「はい。『小泉様、小泉香奈絵様、診察室へお入りください』

診察室の扉をゆっくりと開けて、小泉香奈絵は入ってきた。
さっきまでの興奮した様子とは打って変わって落ち着いていた。
だが、彼女がうったえたように、涙はとめどなく流れていて、
さっきとは違うミニタオルを瞳にあてていた。

いすを見て、一瞬躊躇した香奈絵に、すかさずドクターは言った。

「何か、いすに対して恐怖心でも?」
それを聞いた彼女は、ふふっと笑って、すぐさまいすをひき、腰掛けた。

ドクターは、カルテを開いて言った。
「今日は、いかがなさいました?」
下を向いたままの彼女に、ドクターはさらに続けた。
「受付からは、失恋により、涙が止まらなくなったと聞きましたが・・・。」
ようやく、顔をあげて、香奈絵は話し出した。

「はい。そうです。止血とはよく言いますが、止涙するという事は、
出来ないのでしょうか?」

それを言うと、足を組んだり、伸ばしたり、また落ち着かなくなった。
「止涙ですか・・・。出来ない事はありませんが、あなたにはもっと良い治療方法がありますよ。」
カルテにペンを走らせながら、ドクターは言った。

「もっとよい治療方法ですか?」
香奈絵は目を見開いた。

「単刀直入に何かと言いますと、まず、その婚約指輪を返す事ですね。」
一瞬、沈黙が流れた。
「返す?婚約指輪を?」
香奈絵は口を開けてポカンとした。
「そうです。婚約指輪を返すのです。あなたが婚約するはずだった彼にです。」
「で・・・でも・・・。」
香奈絵は、うろたえた。持っているミニタオルをいじりだした。
「あなは、まだ大分その彼に心残りがあるのだと思いますよ。
病院にまで別れた彼から贈られた婚約指輪を持ってくるくらいですからね。」
ドクターは、ハッキリと指摘した。

「それは・・・」
「いいですか。婚約指輪を返すというのは口実です。
 目的は、彼に、もう一度会うという事ですよ。
 なにがなんだかわからないうちに別れる事になってしまった。
 それが、あなたの心を辛くさせているのです。
 彼に会い、よく納得し上でふられる事で、あなたの心も納得する、
 楽になれるのです。
 ですから・・・。」
ドクターが、さらさらと文章を読むかのように話していると、
香奈絵の頬を流れる涙が静かに止まった。

「止まり・・・ました。」
驚いたような、嬉しいような、不思議な気持ちが香奈絵を包んだ。
「落ち着いて下さい。これは、一時的なものです。」

淡々とドクターは答えて、カルテにまた書き込んだ。

「彼とアポはとれています。あなたのご予定も独自に調べさせていただきました。
6月5日、11時に渋谷駅改札で。」
「連絡を・・・」
「はい。そうです。」
「明日ですね。ありがとうございます。本当にありがとうございます。」

香奈絵は、嬉し涙を流した。
「私の心を、どうしてここまで・・・。」

香奈絵はドクターの目をじっと見た。

「いいですか。薬というものは、本当にどうしようもない時に使うのです。僕のようにね・・・。」

「・・・え?」
「いえ。何でもありません。お気になさらずに。お大事にどうぞ。」
ドクターは、さっと立ち、ドアを開けて、香奈絵を外へうながした。
香奈絵は、ドアが閉じるまで、何度も何度もお辞儀していた。


散文(批評随筆小説等) love sick 1 Copyright ルルカ new 2023-10-30 14:47:40
notebook Home