夜の通りとはちみつレモン
番田
夜の通り道を歩きながら、僕は昔の景色を見ているのだ。もうすでに戻れない時間を、感じている。もうすでに、でも、知っているものとして。そして、子供の頃の何もかもが新しく見えた景色を見ていた。今は、感じている、何も感じていない空や川、店や通りを、そうであるようにして。いつもの橋にまで来ると、魚が跳ねている音が聞こえた。見慣れたマンションが目の前にそびえていた。何を、しかし僕は知っていたのだろうか。このようにして歩いていることで。不確かな感覚の迷路の中をさまよっている気分だった。そこにいることが、物事を確かにしていく。そう、思っていた。ここではなく、壁に囲われた空間の中に身を置きつづけることが。工場から帰ってくる人とすれ違っていた。これから、工場に向かう人もいる。僕はその間で、何をしているのだろうと思う。夜の通り道を歩きながら。
僕ははちみつレモンソーダをよく作っているのだ。子供の頃に飲んだことのあるあのジュースではない。でも、子供の頃に飲んだその味は、今でも覚えているのだが。僕は今のはちみつレモンとして、それを作っていた。はちみつを使った料理を、もっと作りたいと思うのだ。なぜ、ホットケーキはスタバなどでは出されないのだろう。僕はそれを食べることに飢えていた。コメダコーヒーにも無かったと思う。何日も食べていない難民のようだった。なぜ、タリーズでもないのだろうか。作成する工程でコストがかかりすぎるのかもしれない。ホットケーキを長い間食べていなかった。誰か知らないだろうか。でも、デニーズにはあったかもしれない。検索するのも面倒なので、今度直接行ってみよう。何も知らない人がそもそも多すぎる。一人で、今日も、そんなことを考えていた。