齧りかけの林檎 (散文詩にしてみました 6)
AB(なかほど)
クロッキー
齧りかけの林檎をはじめて描いたのは、13
歳のクロッキーで、もう、20年も前のこと。
その後、デッサン、水彩画、詩の入ったポス
ターカラー仕上げ、油絵、完成した絵は一枚
だけで、それも手元には残っていない。
なり損ねた夜
夜11時過ぎ、久しぶりに漱石が読みたくな
って、まだ明るい古本屋へ。文豪名作全集は
ちょいと、◯✕ジュニアもちょいと、文庫版
でいいんだけどさ、と、つらつらと目を流し
てると、林檎、林檎、それは、あの頃の君が
好きだった北の小説。林檎、林檎、林檎。
あんなに齧りかけの林檎ばっかり描いてい
たのに、ただの林檎さえ描けなくなったのは
何故なんだろうね。もう少し判らないふりし
ててもいいのかな。そのときちょうど君から
胸ポケットの携帯、いや、君からじゃないこ
とは判っているさ。
でも、僕の胸を震わせてるのは君だろう。
ぶるるる って、ぶるるるう って、ぶるる
るるるるううう って、うるるるう って。
そんなに震わせたって、僕の心から君の欲し
い物はもう何も出てこない。のよ、たぶん。
あんなに齧りかけの林檎ばっかり描いてい
たのに、ただの林檎さえ描けなくなったのは
何故なんだろうね。もう少し判らないふりし
てるよ。それでいいのかな。いいのかな。
「はいはい、判ったって、もう帰るから」
この夜に、12時前、中途半端なエロ本を片手
に店を出たこの夜に、またいつか。
習作1および2
1 あの頃の僕の絵にはいつも齧りかけの林
檎が描かれていて、それは空に浮かんでいた
り、波間で揺れていたり、想い出の瓶詰めの
中で転がっていたり。キャンバスには他にも
今が食べごろの様々な果物を描いているが、
見る者誰もが齧りかけの林檎を欲するように、
と願って描いていた。
2 僕の好きだった北の文学に出て来るよう
なあの頃の君は、いつも笑顔で、振り返ると
き、話すとき、仲間に囲まれているとき、歌
うとき、そして、君が綴る言葉達の中にも多
くの笑顔が、僕の好きな笑顔が転がっていた。
2+ 君の笑顔のほとんどが作り物であるこ
とと、その理由を話してくれたとき、そこに
は、そこには僕が知る限りで最も愛しい、笑
顔らしい笑顔が滲んでいた。
1+ やがて僕の描く齧りかけの林檎はすっ
かり色を無くしてしまい、ただの林檎、にも
なれない。
立ち読み
あのひとは童話作家になっていました。わ
たしは嬉しくて嬉しくて嬉しくて、何度も何
度も何度も読み返して、そらでつぶやけるほ
ど何度も。でも、その齧りかけの林檎の挿し
絵はわたしが描くはずでした。その頁がひら
く度、しだいにやるせなく、しらんでしまい、
あのひとの童話、抜き出した棚に戻しません
でした。
帰り道は晴れていて、すっかり覚えてしま
った物語をつぶやくと、齧りかけの月、歪ん
でゆきました。置き去りの絵本、店員さんに
見つかる前に誰かが手にしてくれるでしょう
か。それともその前に。
明日、泣こうと思う
明日、海を見にいこうと思う。君の書いた
童話を持って。午前中に行けば、ゆっくりと
思いだすことができるだろう。降っても晴れ
てもかまわない。どちらにしても、君を思い
だしてるだろう。
明日、海を見にいこうと思う。君の書いた
童話を持って。おそらく半分も読めはしない
だろう。それで十分だ。明日、海を見にいこ
うと思う。海を、見にいこうと思う。
スケッチブックを買いに
完成した絵は一枚だけで、それも手元には
残っていない。まだ君の手元に残っていれば
などと長らく妄想してみたりなんかしていた
のだが、久しぶりに、想い出の瓶詰から取り
出してみようか。齧りかけの林檎を描こうか。