出生後のはなし
万願寺

きみが落っこちてきたとき、わたしたちは羨望と焦燥をもって迎えた。いや迎えなかった。きみが潰れるのを見過ごすのはまわりから非難されるだろうというぼんやりした想像で、どうにか両手を差し出した。きみはまちがいなくぼくたちの手の中に落ちてきた。それで、もう逃げられない、と思ったが、ぼくたちは逃げ続けて、もうそろそろ逃げ切ったんじゃないかと思いたい。
手の中のきみは、からくり植物のこまかい蔦を体に巡らせながら、金の花を咲かせるちいさな蕾を懸命にむしっていた。わたしたちは何故むしるのかと不思議に思ったが、止める義理もないのでそれにまかせていた。金の花は咲かず、蔦はちゃいろく萎んで君の体を枯れ木模様にいろどった。それで、ああ醜いなということが誰の目にもわかるようになったので、わたしたちはきみを受け止めた不幸な人間の顔をすることができた。

そのあとに、私が落っこちてきた。今度はかれらは早めに手を差し出した。経験というのはばかにできない。迷うまもなく差し出せば、評価が上がるから。私を這って成長した静物的植物は、グラデーションのうつくしい、うすみず色の花を咲かせ、たいそう愛でられた。花が散り、いつまでも実がつかないことに、人々は疑問をいだかない。

金の花を咲かせられなかったきみは、私の薄水色を眺めて言った。自殺するから。と。自殺することなんてできないと私にはわかるが、きみがそう言いたいのだということはわかった。薄い水の色というのは透明よりもっと薄いということで、物分りだけやけにいい性質。餓えるほどに光がこちらを向くのを待ち、それが無いとなると、ひたすら暗闇を歩いた。そのみち、こわくないようにと、自分で作ってうたった歌が、何枚も譜面となってうしろに落ちた。

私の体には蔦のあともわからないほどくろぐろとした闇が灯り、とうとう動かなくなるときが来る。その度に誰かが譜面を拾ってうたって呉れる。そうだった。私は。
暗闇も歌えば、光ほどのかがやきではないけれど、たしかに音が色を表す。
そんなふうに今は子供たちに教える。

きみを受け止めた手はきみの色を殺したかもしれないが、きみの歌が、ひきあう魂をきっと塗り繋げる。
だから急げ。
動けなくなっても、急げ。
光のないあちらへ、進んでそして音を鳴らして、逃げろ。生きろ。歌え。


自由詩 出生後のはなし Copyright 万願寺 2023-06-27 02:37:02
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