山本英子氏の詩について
ふるる

山本英子氏は1946年生まれ、1984年に現代詩手帖賞を受賞、近江詩人会に所属していらっしゃる詩人です。私にとって、山本英子氏の詩とは、一作品でタルコフスキー映画一本分くらいのすごさ、お腹いっぱいさであり、すごすぎて感情が乱れに乱れ、とてもいっぺんには読めないという、稀有で特別なものです。
この気持ちは15年前、偶然見つけた昔の現代詩手帖の投稿欄にあった詩「K」を読んだ時からずっと変わらず、度合いは違えども読むたびに、もうだめだ〜!!と頭を抱えて転げ回りながら叫びたくなってしまいます。
何がだめなのか?自分には「体中の骨の林に春がきて」*1や「先生は陶器の中の凍る火のように鳴られた」*2「わたしの本当の母が美しい逆さに立っている」*3などという表現は思いつかないし、捻り出す事もできない、という、詩を書く者としての才能の無さ加減がわかってしまう絶望。やばい、書き写すだけで手が震える……同時に「こんな素晴らしい書き手がいるなら日本の詩は安泰ですね」という安心の感情が湧き起こり。それ以上に、この世には自分の知っている哀しみよりももっと哀しいこと、もっと美しいこと、もっと切ないこと、もっと苦しいことがあるという事実を予感というか体感?させるから……なのかな???あと、文体がすごく客観的で、外国文学っぽいんです。人物の誰にも贔屓しないし、心情をあんまり書かない。私好み。
うーん山本さんの詩について書こうとするといつも書いてるそばからこれじゃないなと思ってしまい、結局書けない……頑張って書くけども。なんでしょう、私は文字を読むと映像が次々に浮かぶのですが、その映像がことごとく光ってる……光ってる?それが光ってるというよりは、鏡が光を反射していて、鏡自体ははっきり見えてなくて、ただ、眩しい、みたいな。やはりこの、映像がどんどん見える、映像的というのが、すごいのかしら。描写力というより、比喩や暗喩や象徴ですよね。リズムもいいのかな。そういうレトリックは、作者の身体感覚を読者がなぞるようになってる共感装置なわけですが、いいように翻弄されるという事なのかも。ダンスしてるようで、どっちかというと、両手を持ってグルグル振り回されてるような感覚。これって私だけなのかな?他の人にも味わってもらいたいけど、なんて言ったらいいのか分からないし、感覚は人それぞれだからな……。ていうかもう、題名からしてハンパないですよ。「レモンと光るパン」*4レモンと 光る パン ですよ!?こんな題名誰が思いつく?「獄舎冷ゆ」*5冷たい!果てしなく冷たい!なんて寒いんだ!「花・深い日傘の」*6深い日傘の……誰?不穏!不穏過ぎて読むのが怖い!このように、題名からして取り乱してしまうので……信者としてあまねく布教活動をせねばならないのですが、どうしても山本作品を冷静に語る事ができない……どうすればいいのでしょうか?と思っていたら、新進気鋭の文芸投稿誌「文芸エム」主催・編集の原浩一郎氏が、2022年の8号から山本さんの作品を巻頭に載せていらっしゃるではありませんか!良かった……!嬉しい……!全世界が読んで……!しかも、読んだことない山本さんの詩……!原さん、ありがとうございます!

自分の不甲斐なさを棚に上げ、感謝しながら終わります。(山本さんの全集、作りたいな~)

ちなみに、山本さんの作品は『青銅の蛇』砂子屋書房1993年、『杏』私家版2014年、『杏Ⅱ花・深い日傘の』私家版2021年、文芸投稿誌「文芸エム8号〜11号」HAO出版局2022、2023年で読むことができます。

*1詩集『青銅の蛇』砂子屋書房1993 「花の奥から」
*2同上「鳴る人」
*4同上
* 5『杏』私家版2014
*6 『杏Ⅱ花・深い日傘の』私家版2021
*3 文芸投稿誌「文芸エム10号」「少女・初夏」(文芸エムでは山本英子ではなく橋本綾)


さらに ちなみに……
「文芸エム」ではなんと、11号より拙作イラストみたいな詩みたいな作品を載せていただいており、長年の夢だった山本さんと詩誌などでご一緒できたらなーが叶い、喜びのあまり気絶しそうだったです。
山本さんは橋本綾名義でエム誌上で投稿詩作品の評も書いていらっしゃるのですが、それがまた詩のようで、「山本さんの新作……!」と、信者として喜びにうち震えております。


散文(批評随筆小説等) 山本英子氏の詩について Copyright ふるる 2023-06-14 16:34:24
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