シナリオ「恩寵のバーガンディ」①(新人シナリオコンクール・三次選考通過作品)
平瀬たかのり
杉原陽鞠(17)高校二年生
杉原(日野)佳也子(66・22~23)陽鞠の祖母・料理教室講師・元銀行員
春野寿道(17)高校二年生・陽鞠のクラスメイト
高梨凛香(17)高校二年生・陽鞠の親友
村川彩美(17)右同
増山香里(22・23)佳也子の銀行員勤務時代の同僚・短大の同級生
岡崎美幸(22・23)右同
杉原順平(24)佳也子の恋人・陽鞠の祖父
緑山勝次(29・30)バーテンダー・七星銀行東里支店人質事件犯人
丸川梨乃(32)大阪市立図書館司書
沖村(39)美容院【サマルカンド】店長
田所(65)日本史講師
岡島瑤子(48)生徒指導担当教諭
前田(17)陽鞠の同級生・男子バスケットボール部員
神保(55)酒問屋社長
〇七星銀行東里支店・店内
〈テロップ=(以下T)1979年1
月26日〉
営業中の店内。二十名ほどの客。
〇支店前の道路
停まるライトバン。乗車席から降りる
チロリアンハット、サングラス、白マ
スクの男、緑山勝次(30)。ゴルフ
バッグを左肩がけ。右手に大きなバッ
グを持って支店内へ駆け足で入ってい
く。
〇七星銀行東里支店・店内
緑山、手早くゴルフバッグから猟銃を
取り出すと、天井に向けて二発発砲。
行員、客の悲鳴。右手のバッグをカウ
ンター内に投げ入れる緑山。パニック
になる店内。
緑山「五千万や! 早うバッグに入れぇ!」
〇画面
いちどきに暗くなって。
〇美容院・サマルカンド・外景
瀟洒な店構えの美容院。
〇前同・店内
店長・沖村(39)に、紫がかった赤
い髪をカットしてもらっている杉原陽
鞠(17)。
× × ×
精算時。女性店員の隣に立ち、〈地毛
証明書〉を手に持って読み上げる沖村。
沖村「『当該生徒の毛髪において、髪染め、
脱色のなされていないことを、ここに証明
するものである』――はいはい、証明させ
ていただきますわ」
〈地毛証明書〉に店のハンコをつく沖
村。
沖村「陽鞠ちゃん」
陽鞠「なに」
沖村「ぼくは、陽鞠ちゃんのバーガンディ、
めっちゃ綺麗や思ってるからな。パワー!」
中山きんに君のマネをしてポーズを決
める沖村。
陽鞠「なんできんに君なんよ」
沖村「最近ハマってるねん。毎晩動画見な
がら酒飲んでる。ヤー!」
爆笑する陽鞠。
〇杉原家・洗面室(朝)
鏡の前に立ち、櫛で髪を梳いている陽
鞠。
〇前同・仏間(朝)
仏飯の乗った膳を持って入ってくる陽
鞠。仏壇には信士、信女が連名の位牌
と、居士の位牌。
仏飯三つを供える陽鞠。鈴を鳴らし手
を合わせる。
〇前同・居間(朝)
テレビがある和室六畳の居間。
座卓で向かい合って朝食中の陽鞠と、
祖母の佳也子(67)。
佳也子「忘れんと持って行きや。地毛のやつ」
陽鞠「もうカバンに入れた」
佳也子「黒に染めてもろたらそんなもん出さ
んで済むんやろ」
陽鞠「またそれ言う。岡島といっしょのこと
なんか言わんといてぇや。わたしはこの髪
が気にいってんの。地毛があかんくて、黒
に染めたらなんにもなしやなんて、学校が
おかしいんや。ちがう?」
佳也子「それは、まぁ、そやけどなあ」
陽鞠「『そやけど』なによ」
無言で味噌汁をすする佳也子。
陽鞠「ほんまに一回見たいんやけどな、わた
しといっしょの髪のばぁば」
佳也子「わたしは黒い髪が好きなんや」
陽鞠「分かってるけど」
食事を続ける二人。
〇登校路(朝)
歩いている陽鞠。後ろから駆けてくる
高梨凛香(17)と村川彩美(17)。
凛香「ひーま、おっはよー」
彩美「お、髪切っとるやん、この女」
陽鞠の髪を跳ね上げる彩美。
陽鞠「ちょっと、気安ぅ触らんといて」
彩美「んふふ、気安ぅ触りたいぃ」
凛香「わたしも~」
凛香も陽鞠の髪を跳ね上げる。
陽鞠「もう、やめてぇやぁ」
嬉しそうな陽鞠。
〇朔ヶ原高校・二階廊下(朝)
手を振りあう陽鞠と凛香、彩美。
陽鞠、
七組へ。凛香と彩美、五組へ入っ
て行く。
〇前同・二年七組(朝)
自席に座る陽鞠。隣の席で文庫本
を読んでいる春野寿道(17)。
陽鞠「春野君、おはよう」
寿道、陽鞠を見て。
寿道「おはよう。あ、杉原さん髪切った
んや」
陽鞠「お、なかなかやね」
寿道「え?」
陽鞠「そういう事に気がついて、ちゃん
と言えるのはなかなかのもんやで」
寿道「ははっ、そうかな」
陽鞠「今日はなに読んでるのん?」
寿道、文庫本の表紙を陽鞠に見せる。
角川文庫、山際淳司著『スローカーブ
を、もう一球』である。
陽鞠「また野球の話し?」
寿道「うん」
陽鞠「この前もそんなん読んでたやんね。な
んやったっけ、えっと――」
口を開きかける寿道。
陽鞠「待って! 思いだすから! えっと、
――そうや、ノンフィクション!」
寿道「当たり」
陽鞠「やった!」
ガッツポーズをする陽鞠を微笑んで
見る寿道。
寿道「この本に収録されてる『江夏の21
球』っていう作品がとにかくすごいねん。
そうやな、これはスポーツノンフィクショ
ンの古典って言ってええんやろうなあ」
陽鞠「古典――『春はあけぼの』的な?」
ぷぷっと笑う寿道。
陽鞠「あ、今バカにした」
寿道「してへんよ」
陽鞠「いーや、絶対バカにした」
寿道「うーん、でも確かにこれはほんまに
『春はあけぼの』かもしれんなあ。ぼく
これ、昨日の夜初めて読んで、すぐ二回
目読んで、なんか寝られへんくて、夜中
にもう一回読んで、今四回目読んでると
こ」
陽鞠「四回目! どんな話なん?」
寿道「1979年の広島対近鉄の日本シリ
ーズ、優勝がかかった第七戦。江夏豊っ
てピッチャーが九回裏に投げた21球に
ついて書かれてるんや。プロアスリート
の心技体、その粋がつまった優勝が決ま
るラストイニングに江夏が投げた21球。
それを山際淳司さんが一球一球いろんな
人に取材して、調べて丹念に書いてる。
すごい、この作品はほんまにすごい」
熱く語る寿道をじっと見ている陽鞠。
寿道「あ、なに言うてるか分からへんやん
ね、ごめん」
陽鞠「うぅん、なんぼかは分かるで。わた
し中学校のときソフト部やったから。ま
あでも春野君がその本にすごく感動した
ことははっきり分かったわ」
寿道「――うん、そうなんや。感動したん
やぼくは」
陽鞠「昨日から四回も読んでるくらいやも
んな」
笑って頷く寿道。
寿道「ソフト部やってんね、杉原さん」
陽鞠「うん。公式戦で一回も勝ったこと
ない弱小ソフト部のサードの補欠」
寿道「高校入っても続けようって思わへ
んかったん?」
陽鞠「ヒーヒー汗かいて練習で走るのと
か、中学の時だけで十分。考えただけ
でゲー出そうや」
寿道「そっか」
読書に戻る寿道。気づく陽鞠。
陽鞠「春野君」
寿道「ん?」
陽鞠を見る寿道。
陽鞠「今の、ごめん」
寿道「『今の』って?」
陽鞠「いや、だから――ごめん」
寿道「ぜんぜんかまへん、そんなん」
読書に戻る寿道をじっと見る陽鞠。
× × ×
日本史の授業中。講師の田所(65)
が教壇に立っている。
田所「えー、もうすぐ楽しい楽しい夏休みや。
そこでや、みんなには自由研究としてこう
いうことをやってもらう」
黒板に大きく【現代史研究1945~
2000】と書く田所。
生徒から「えー、問題集とかあるやん」
「めんどくさー」の声が上がる。
田所「なにがめんどくさいじゃ。あのな、問
題集やるのも年号暗記するのもそら大切
や。けどそんなもんはあくまで<お勉強>や。
まあ<お勉強>教えるのがわしらの仕事やけ
どやな」
男子生徒Aが手を挙げる。
田所「なんや」
A「どんなことしたらええんですか」
田所「先の大戦終わった1945年から二十
世紀が終わった2000年までの出来事、
人物、事件、なんでもええから調べてみ
ろって言うとる。それこそがほんまの
<勉強>や。きみらのおじいさんやおばあ
さん、お父さんやお母さんが生まれ、青
春を過ごした時代かて日本史の一部なん
や。テーマは自由。現代史を自分の力で
調べてノートにまとめろ。それが日本史
の自由研究課題や。テーマが決まったら
言いにこい」
男子生徒B「パソコンやスマホ使って調べ
てもええんですよね」
田所「これやから今のガキは――かまへん。
今の時代それが当たり前やっていうこと
くらいわしも分かってる。けどな、一回
は図書館に行ってみろ。きみらは本の、
紙の手触りを知らなさすぎる。自分のテー
マについての関連書籍を見つけて読んで
みろ。ええな。よっしゃ、マクラはここ
まで。一学期最後の〈お勉強〉はじめる
ぞぉ」
板書の文字を黒板消しで消していく
田所。
× × ×
チャイムが鳴り授業が終わる。教室を
出る田所。椅子から立ち上がった寿道、
田所を追うようにして教室を出る。
その様子を見ている陽鞠。
〇前同・廊下
寿道「田所先生」
田所「春野、どないした」
寿道「自由研究、ほんまになにがテーマでも
ええんですか」
田所「なにか調べたい事があるんか」
寿道「はい『江夏の21球』です」
田所「ほう。山際淳司さんやな」
寿道「読まれてるんですか、先生」
田所「もちろんや。あの試合テレビで視て
たわ」
寿道「えっ、リアルタイムで視てはったん
ですか!」
田所「そうや。あれは大学四回の年や。貧
乏学生やったから下宿にテレビなんかの
うてな。金持ちの坊さんの子がツレに一
人おったから、そいつの下宿に通いつめ
て全試合視た。わしな、近鉄ファンやっ
たんや」
寿道「そうやったんですか」
〇前同・二年七組
廊下側の窓際に立ち、語り合う寿道と
田所を見ている陽鞠。
〇前同・廊下
田所「体育の授業で提出した『清原和博への
告白』の感想文も読ませてもろた。宗次先
生が『しっかり書けてます。感動しました。
読んだって下さい』言うてな」
寿道「そうなんですか」
田所「原稿用紙で二十枚。たいした文章力や。
好きなんか、スポーツノンフィクション」
寿道「はぁ、ずっと小説ばっかり読んできた
んですけど、鈴木忠平さんのあれ読んでか
ら興味持ったっていうか」
田所「そんでからの『江夏の21球』か」
寿道「はい」
田所「元近鉄ファンとして楽しみにしてる、
春野の『江夏の21球』――春野寿道君、
きみは十分体育をやっとる。そしてきみ
には文筆の才がある。それを信じてたく
さん調べて思いきり書いてみなさい」
寿道「はい。ありがとうございます」
田所「きみみたいな生徒、昔はもうちょっと
いてたんやけどな」
去っていく田所。
〇前同・二年七組
戻ってくる寿道。自席に座る。
陽鞠「田所先生となに話してたん?」
寿道「見てたん?」
陽鞠「うん」
寿道「自由研究『江夏の21球』調べてもえ
えかって訊いてたんや。田所先生、かまへ
んって」
陽鞠「そっか、よかったやん」
寿道「うん。他の教科の課題早い事終わらせ
て、納得いくもん書きたいわ」
上気している寿道の顔を見つめる陽鞠。
〇前同・運動場
体育の授業中の男子生徒たち。サッカ
ーの試合が行われている。
〇前同・二年七組
自席に座り、原稿用紙に向かって執筆
をしている寿道。机には『スローカー
ブをもう一球』。原稿用紙に〈『江夏の
21球』を調べるにあたって〉と記す
寿道。
立ち上がる寿道。窓際に寄り、同級生
たちの試合をしばらく見る。
自席に戻り、執筆を始める寿道。
〇さくらキッチンスクール・外景
奥まった通りにあるこじんまりとし
た料理教室。
〇前同・教室内
十人ほどの生徒を前にして教壇に立
っている佳也子。
佳也子「今日は鶏肉を使ったお料理にチャレ
ンジしてみましょう。お肉の中でも安価で
栄養価も高く健康面でも優れている鶏肉
料理をたくさん覚えて、彼氏、旦那さん
の胃袋をガッチリ掴んじゃいましょうね」
笑いのおきる教室。
〇朔ヶ原高校・職員室内
自席に座っている生徒指導担当教諭
の岡島瑤子(49)。その前に立っ
ている陽鞠。陽鞠から渡された地毛
証明書を手にしている瑤子。
瑤子「杉原さん」
陽鞠「はい」
瑤子「めんどくさいやろ、髪切るたびにこ
れ持って来るの。黒に染め。そしたらい
ちいちこんなん出さんですむんやから」
陽鞠「絶対にいやです」
瑤子「強情な子やわ。艶やかな黒髪、それ
は日本人女性の淑やかな美しさを象徴す
る代表的なものよ。覚えておきなさい」
陽鞠「失礼します」
職員室を出ていく陽鞠。
〇帰り道
並んで歩いている陽鞠、凛香、彩美。
陽鞠「あー、ホンマ岡島腹立つ! なにが
『艶やかな黒髪、それは日本人女性の淑
やかな美しさを象徴する代表的なものよ。
覚えておきなさい』や、ボケぇ!」
爆笑する凛香と彩美。
彩美「そっくりや」
凛香「完コピやし」
陽鞠「髪切って証明書出すたび言われるね
ん! 覚えてしもうたわ! そこだけ標
準語なんも腹立つわ!」
凛香「まあそう怒らんと。で、陽鞠どうす
るんよ」
陽鞠「なにがよ」
凛香「なにがって前田君のことに決まって
るやろ」
●〈インサート・朔ヶ原高校・体育館〉
男子バスケットボール部の部活動中。
紅白戦、小気味よくドリブルを続け、
フェイントで相対の部員をいなし、
スリーポイントシュートを決める前
田。
凛香「なんの不満があるんよ」
彩美「ほんまや。なに迷ってるのん」
陽鞠「うん――なぁ、凛香は祐志くんのど
こがよくって付き合おうって思ったん?」
凛香「わたし? うーん、そやなあ。やっぱ
りわたしの気持ち大事にしてくれるとこ
ろがいちばんやったかなあ。大学生やか
ら、やっぱ大人やし。いっしょにいてて
安心感あるっていうのも大きかったなあ」
彩美「のろけ大炸裂」
凛香「訊かれたから正直に答えただけやし」
陽鞠「そっか」
肩を並べて帰っていく三人。
〇杉原家・佳也子の部屋(夜)
ベッドに横たわり、料理の本を読んで
いる佳也子。ドアがノックされる。
佳也子「入り」
入ってくる陽鞠。
陽鞠「先生やのに、本読むねんな」
起き上がる佳也子。
佳也子「一生勉強や」
ベッドに並んで腰かける二人。
佳也子「前田君のことか」
陽鞠「――うん」
佳也子「つきあうの、不安か」
陽鞠「うん、まぁ――好きや言うてくれたの
は、悪い気せぇへんけど」
佳也子「よう考え」
陽鞠「え」
佳也子を見る陽鞠。
佳也子「なんや」
陽鞠「いや、ちょっと意外やったから」
佳也子「背中押してほしかったんか」
陽鞠「それは、ちょっとあったかも。なぁ、
ばぁば」
佳也子「なんや」
陽鞠「ばぁばは、じぃじひとり?」
佳也子「え」
陽鞠「いや、そやから」
佳也子「――そうや」
陽鞠「うん、やっぱりそうか」
佳也子の手を握る陽鞠。
〇朔ヶ原高校・校門の前
下校している陽鞠、凛香、彩美。
前田「杉原さん」
後ろから声をかける前田。振り向く三
人。
凛香「そしたら、うちらはこれで」
彩美「陽鞠、さいなら~」
笑いながら去っていく二人。
陽鞠「あいつら……」
前田「いっしょに帰ろうや」
陽鞠「前田君、部活は?」
前田「顧問の南先生、研修とかで休みやねん。
そやから今日はオフや。いっしょに帰るの
もあかんか?」
陽鞠「――べつに、ええけど」
前田「やった」
肩を並べて校門を出る二人。
〇帰り道
並んで歩いている陽鞠と前田。
前田「手ぇ繋いで歩くのはあかんかな」
陽鞠「それは、ちょっと」
前田「分かって訊いてん」
笑う前田。
前田「杉原さん、つきあったこととかある
ん?」
陽鞠「ないよ、そんなん」
前田「それも分かって訊いた」
俯きがちに歩いて行く陽鞠。
前田「変なこと言うたかな、ごめん」
陽鞠「べつに――」
前田「杉原さん、日本史選択してる?」
陽鞠「え、あ、うん」
前田「田所先生の自由研究、どうするん?」
陽鞠「まだなんにも決めてない。前田くん
は?」
前田「俺もや。まあバスケのこととか適当に
調べよっかなあって思ってるんやけど。あ
んなんめっちゃめんどいわ」
陽鞠「そう」
歩いて行く二人。
〇杉原家・前
向かい合っている陽鞠と前田。
前田「いっしょに帰れて嬉しかった」
陽鞠「――うん」
前田「返事、いつでもええから」
陽鞠「うん」
前田「けど、夏休みの間にはほしいな。そん
で、杉原さんといっしょに海に行きたい」
陽鞠「海」
前田「うん。そしたら」
手を振る前田。陽鞠も小さく手を振り
返す。去っていく前田の背中を見てい
る陽鞠。玄関扉を開けて家へ。
〇前同・台所
佳也子が料理をしている。そこへ入っ
てくる陽鞠。
佳也子「おかえり」
陽鞠「ただいま。早いやん――あ、今日は午
前だけの日か」
冷蔵庫を開け、麦茶のボトルを取り出
しコップに入れて一気飲みする陽鞠。
陽鞠「はぁ……」
佳也子「なんや、お疲れ気味やな」
陽鞠「せやねん。ちょっと部屋で横になるわ」
佳也子「今日は鶏スペシャルやで。教えるつ
いでに準備してきた」
陽鞠「そっか、ありがとう」
台所を出ていく陽鞠。料理を続ける佳
也子。
〇前同・陽鞠の部屋
スマホを軽くベッドの上に放り投げ
る陽鞠。ベッドの上に身を投げ出し、
うつぶせになる。
陽鞠「自由研究のこととか、めんどいんやっ
たら、無理に話さへんかてええやん……」
枕を抱きしめ、ベッドの上でゴロゴロ
転がる陽鞠。やがてじっとする。
陽鞠「風呂でも入ろ」
立ち上がる陽鞠。
〇前同・居間(夜)
座卓の前、パジャマ姿で座っている陽
鞠。卓には、から揚げ、胸肉のハム、砂肝と
ピーマン炒め、ササミと野菜のサラダ、
肝の甘煮、セセリの串焼きなどが、ふ
んだんに。
満足そうに食べている陽鞠。
陽鞠「けど、から揚げだけは、もうちょいパ
ンチがほしいんよなあ」
胡椒の瓶を手に取り振りかける陽鞠。
口に運ぶ。頷きながら咀嚼する。
つけていたテレビから、パトカーのサ
イレン音。テレビを視る陽鞠。
画面に映る番組タイトル《ザ・リア
ル! 実録20世紀事件史》。
画面の中、司会者のタレントが直立し
て一礼する。
タレント「〈こんばんは。この時間は報道特
番《ザ・リアル! 実録20世紀事件史》
をお届けします。まず最初に採り上げるの
は1979年1月に起こった七星銀行東里
支店人質事件です。この事件は、猟銃を持っ
た男が、銀行を襲撃、駆け付けた警官二名
と行員二人を射殺した後、銀行員と店内に
いた客、約四十名を人質に籠城。立てこも
りは四十二時間にも及び、最終的に事件は
突入した警察の特殊部隊が犯人を狙撃。犯
人死亡という形で終結します。この衝撃的
な事件が現代に伝えるものはなにか。詳細
な再現ドラマによってお届けいたします》」
画面をじっと見つめる陽鞠。
× × ×
風呂から上がり、居間に入ってくる佳
也子。
佳也子「あー、えぇお湯やった。どないや陽
鞠、おいしい? から揚げ、ちゃんと下味
つけてるんやから胡椒ふったらあかんで」
陽鞠「うん」
陽鞠の見つめているテレビ画面、再現
ドラマが映し出されている。
ナレーション「〈そして犯人、緑山勝次は四
人を殺害した後、支店長席に座ると、自分
を守るように女性行員十八人をカウンター
の上に座らせた。己を守る人間の盾にした
のである〉」
画面の中、制服姿でカウンターに座ら
されている女性行員たち。
陽鞠の後ろで棒立ちになり、テレビ画
面を視ている佳也子。
佳也子「陽鞠」
陽鞠「ん?」
振り返る陽鞠。
陽鞠「どないしたん、ばぁば。顔真っ青やで」
佳也子「テレビ替えて」
陽鞠「いや、わたし今これ視てるんやけど」
佳也子「替えてって」
陽鞠「あの、なんで――」
佳也子「替えてって言うてるやん! 言うこ
ときかんかいな!」
突然の剣幕に驚く陽鞠。
陽鞠「ばぁば――」
佳也子、我に返り。
佳也子「嫌いなんよ、そんなほんまにあった
事件のドラマなんか、気持ち悪ぅて視てら
れへんの」
陽鞠「うん。分かった」
リモコンを手にしてチャンネルを替
える陽鞠。
佳也子「ごめんな、大きい声出したりして」
陽鞠「うぅん、なんにも」
座り、食事を始める佳也子を見つめる
陽鞠。
〇前同・台所(真夜中)
シンクの前で水をがぶ飲みしている
陽鞠。
陽鞠「パンチきかせすぎた……ばぁばの言う
こときくんやったな」
二杯目の水を飲む陽鞠。
〇前同・佳也子の部屋(真夜中)
ベッドの上で眠っている佳也子。
●佳也子の夢
居間で人質事件のテレビを視ている陽
鞠の後ろ姿。
佳也子「〈替えなさい陽鞠!〉」
振り向く陽鞠――銀行襲撃犯、緑山勝
次に変わっている。立ち上がる緑山。
緑山「〈どないしたんや、髪の色変わってし
もうてるやないか〉」
佳也子の髪を触ろうとする緑山。動けな
い佳也子。
佳也子「うわぁぁっ!」
佳也子、悲鳴をあげて起き上がる。
〇前同・佳也子の部屋の前の廊下(真夜中)
佳也子の部屋の前を通り過ぎようとし
ていた陽鞠だったが、突然の佳也子の
悲鳴に驚く。慌てて部屋のドアを開ける。
陽鞠「どないしたん、ばぁばっ!」
〇前同。佳也子の部屋(真夜中)
上半身を起き上がらせ、顔を覆ってい
る佳也子。
佳也子「なんでもない。ちょっと、変な夢み
てしもうてな。大丈夫や」
陽鞠「――ほんまに大丈夫?」
顔を上げ陽鞠を見る佳也子。
佳也子「大丈夫や。陽鞠、コップに水一杯汲
んできてくれるか」
陽鞠「うん、分かった」
部屋を出る陽鞠。また両手で顔を覆う
佳也子。
〇朔ヶ原高校・二年七組・教室
チャイムが鳴り、帰宅の用意をして椅
子から立ち上がる陽鞠。大きなため息
をつく。
寿道「どないしたん杉原さん」
陽鞠「え?」
寿道「今日朝からため息ばっかりやで」
陽鞠「そうなん?」
寿道「自覚なかったんや」
コクンと頷く陽鞠。
寿道「恋の悩み?」
陽鞠「え?」
寿道「ぼく、ちっさい時から入退院くりか
えしてたやろ。そやから知ってるねん。
女の看護師さんがハァハァため息つく
ときはたいがい恋の悩みやねん。よう
聞かされたわ『なあトシ君、聞いてく
れる』いうて」
陽鞠「そっかぁ。それだけやないねんけ
どな」
寿道「それだけやないんや」
陽鞠「うん――そうや、なぁ春野君。わ
たしの話しも聞いてくれる。看護師さ
んらみたいにやぁ」
寿道「ええよ。聞かされ顔してるんかな、ぼく」
陽鞠「いや、聞かされ顔って」
笑う二人。
〇前同・情報処理室・室内
パソコンの置かれた机が並べられてい
る情報処理室。隣どうしの席に座って
いる陽鞠と寿道。
寿道「前田君との事はなにもよう言わんわ。
杉原さんがつきあいたいって思ったらつ
きあったらええって思うし、つきあいた
くないって思うんやったら断ったらええ
と思う」
陽鞠「――なにも言うてへんのといっしょや
ん、それ」
寿道「ごめん」
陽鞠「謝らんでもええよ。やっぱりこんな
んは人からアドバイスもらって決めること
やないし。もうちょっと考えてみるわ」
寿道「うん。で、おばあさんの方やけど」
陽鞠「うん」
寿道「ぼく昨日その番組視てへんねん。どこ
の銀行やったっけ」
陽鞠「確か、七星銀行やったと思う」
寿道「スマホで調べようとかは思わへんかっ
た?」
陽鞠「思ったけど、なんか怖ぁて」
寿道「うん、分かった」
パソコンに向かい検索を始める寿道。
寿道「〈七星銀行東里支店人質事件〉これやな」
パソコンの画面を見つめ、スクロール
しながら表示されている文言を読み始
める寿道。
陽鞠「春野君」
寿道「ごめん、ちょっと」
陽鞠「うん」
寿道の横顔をじっと見ている陽鞠。や
がて寿道、画面を見つめたまま。
寿道「杉原さん、その番組どこまで視たん」
陽鞠「え、そやから犯人が駆け付けた警官二
人と銀行員二人殺して、銀行の女の人らが
犯人の周りに座らされるところまでやけど」
寿道「銀行の服着てた?」
陽鞠「え?」
寿道「再現ドラマで犯人の周りに座らされて
た女性行員役の人ら、銀行の服着てた?」
陽鞠「そら、着てたよ」
寿道「――そやろなあ、夜の七時台にそんな
ん放送するの無理やもんなあ。杉原さん」
寿道、陽鞠を見る。
陽鞠「なによ」
寿道「実際はな、銀行の女の人ら全裸にさ
れてる。犯人の緑山に命令されて」
陽鞠「えぇっ! なによそれ」
寿道「再現ドラマで銀行の服着たままやっ
たのは放送上の演出や」
陽鞠「そんな、全裸って……」
寿道「事実はそうやったんや。それ視て
おばあさん変になったん?」
陽鞠「うん」
寿道「すごい、おかしかった?」
陽鞠「うん。わたしばぁばに大きい声出
されたんなんか初めてや。それに、夜
中に叫び声上げて飛び起きたんかて――」
寿道「そうか。杉原さん。これ以上関心持
たんでええんちゃう、この事件」
陽鞠「どういうことよ」
寿道「誰にかて、知られたくないことって
あるよ」
陽鞠「言うてよ」
寿道「え」
陽鞠「今度はちゃんと言うてよ。春野君が
今思ってること。あるやろ」
寿道「――人質の一人やったんやないやろ
か、杉原さんのおばあさん」
陽鞠「ばぁばが、人質――」
〇前同・職員室前廊下
職員室扉近くの壁際に立っている寿
道。礼をして出てくる陽鞠。向かい
あう二人。
寿道「田所先生、なんて?」
陽鞠「うん、あの事件のこと調べてもええっ
て」
寿道「そっか。あの事件の人質やったと思う?
杉原さんのおばあさん」
頷く陽鞠。
陽鞠「わたし、知りたい。わたしの知らへん
ばぁばのこと、わたし知りたいんや」
肩を並べて歩き出す二人。
寿道「なんでそこまで思うん?」
陽鞠「ばぁばのことが好きやから。ほんまに
ほんまに好きやから」
寿道「好きやから」
陽鞠「うん。この赤い髪な、ばぁばからの遺
伝。死んだお母さんは飛ばして、わたし
に出てんよ、このバーガンディ」
寿道「え」
陽鞠「わたしが小三のとき、じぃじが膵臓
の病気で入院してたんよ。退院する日に
お父さんとお母さんが車で迎えに行って
んけどな。その帰りに信号無視してきた
車にぶつけられて三人とも死んでしもう
たんよ。それからは、ばぁばとずっと二
人で暮らしてる」
しばらく無言の寿道。
寿道「バーガンディっていうんやな、その
色」
陽鞠「うん。一代飛ばしで出てるんや。そ
やから、ばぁばのお母さん、わたしのひぃ
ばぁばは黒髪。ひぃひぃばぁばは、バー
ガンディやってんて」
寿道「へぇ」
陽鞠「けど、ばぁばはずっと黒に染めてる」
寿道「そうなん?」
陽鞠「うん。地毛の色好きやないんやて。
なんでか知らんけど。一回見てみたいん
やけどな、バーガンディのばぁば」
歩いて行く二人。
〇前同・校門前
校門前まで歩いてくる陽鞠と寿道。
寿道、陽鞠の少し後ろを歩いている。
振り返り寿道を見る陽鞠。
寿道「え?」
陽鞠「いや」
また歩き出す二人。
〇前同・校門を出たところ
寿道「そしたら、これで」
陽鞠「うん――春野君」
寿道「夏休み入ったら、わたし一週間くらい
で全部の課題、ガーッて終わらせるから、
日本史の自由研究手伝ってくれへん?」
寿道「え?」
陽鞠「春野君、なんかそういうの得意そうや
し。図書館とか行くんやろ。江夏のナント
カのノンフィクション調べるのに」
寿道「うん。市立図書館家から近いから子
供のころからずっと通ってるし」
陽鞠「そっか。それやったら、やっぱりわた
しの調べたこととか書いたこととか、チェ
ックしてぇや。あかん?」
寿道「――うん、ええよ」
陽鞠「あんな、春野君」
寿道「なに」
陽鞠「こんなこと訊いてええのか分からんの
やけど――どこが悪いん?」
寿道「先天性の心臓病なんや。一歳の頃から
今まで六回手術受けてる」
陽鞠「六回」
寿道「うん。七回目かていつあるか分からん。
激しい運動は厳禁や。そやから体育の授業
はずっとレポート提出。まあ、それはそれ
で性に合ってるんやけど」
じっと寿道を見つめる陽鞠。
陽鞠「なぁ、スマホだして」
寿道「え?」
陽鞠「ラインの交換しよや。図書館行く予定
とか決めやなあかんやん」
寿道「うん」
学生カバンからスマートフォンを取
り出す寿道。ラインのアドレス交換を
する二人。
陽鞠「ツレやな」
寿道「え」
陽鞠「わたし、ガチのツレとしかラインせぇ
へんし」
微笑む陽鞠をじっと見る寿道。
〇杉原家・陽鞠の部屋(夜)
数学の問題集に取り組んでいる陽鞠。
陽鞠「終わらす! 終わらせるぞぉ!」
〇杉原家・玄関(朝)
ナップザックを背負い、私服で出かけ
ようとしている陽鞠。見送っている佳
也子。
佳也子「あんたが図書館行くやなんてなぁ」
陽鞠「なによ」
佳也子「大雨降らんかったらええけど」
陽鞠「うるさいなあ。頼りになる相棒いてる
から大丈夫なんや」
佳也子「お昼はほんまにええんやな」
陽鞠「うん。コンビニでなんか買うから。
そしたら行ってきまーす」
玄関を出る陽鞠。
〇路上(朝)
陽鞠モノローグ(以下・M)「(ごめんな、ば
ぁば。わたしたぶん、ばぁばが知られたぁ
ないこと調べるんよ、今から)」
歩いて行く陽鞠。
〇大阪市立中央図書館・エントランス(朝)
立っている寿道。
陽鞠「春野君、お待たせ」
寿道「ぼくも今来たとこやから」
陽鞠「あー、なんかドキドキする」
寿道「え、なんで?」
陽鞠「図書館なんか入るの初めてやもん」
プッと笑う寿道。
陽鞠「あ、今バカにしたやろ」
寿道「してへんよ」
陽鞠「いーや、絶対バカにした」
図書館へ入って行く二人。
〇前同・一階フロア(朝)
陽鞠「うわぁ、本だらけや」
寿道「そら図書館やもん。ここだけちゃうで。
二階も三階も本だらけやで」
貸し出しカウンターへ向かう寿道。つ
いて行く陽鞠。
〇前同・貸し出しカウンター
寿道、座っている司書の丸川梨乃(3
2)に。
寿道「丸川さん、新聞の縮刷版を閲覧したい
んやけど」
梨乃「何年何月のやつ?」
寿道「だいぶ古いんやけど、1979年の十
月と十一月。とりあえず今日は朝日と読
売。ある?」
梨乃「ここをどこやと思ってるのよ。なにか
調べもの?」
寿道「うん。日本史の自由研究」
梨乃、陽鞠を見る。
梨乃「お友達?」
寿道「え、あ、うん。いっしょのクラスの
杉原さん。テーマ違うけど、ここでいっ
しょに調べよかって」
会釈する陽鞠。
寿道「ほら、杉原さんも」
陽鞠「あ、わたしも、えっと――」
寿道「同じ年や」
陽鞠「あ、そや。わたしも同じ1979年
の一月の縮刷版を見たいです」
寿道「二月のも見た方がええんちゃう」
陽鞠「え」
寿道「事件があったのって一月の末やろ。
二月の新聞にもその後の経過とかいっ
ぱい載ってる思うで」
陽鞠「そっか。じゃあ二月のもお願いし
ます」
梨乃「1979年の一月、二月、十月、
十一月の朝日、読売の縮刷版やね。
ちょっと待っててな」
立ち上がり書庫へ向かう梨乃。
陽鞠「めっちゃフレンドリー」
寿道「そら小学生からのつきあいやもん」
陽鞠「やっぱりいっしょにきてもらってよか
った。頼りになるわぁ」
照れくさげに笑う寿道。
〇前同・一階フロア(朝)
縮刷版四冊を抱え歩いて行く二人。
陽鞠「けっこう、重い……」
寿道、途中で止まり大きく息を吐く。
陽鞠、振り返って。
陽鞠「大丈夫? 一冊持とか?」
首を横に振る寿道。
寿道「大丈夫や、これくらい」
歩き始める寿道。陽鞠も。
〇前同・閲覧席(朝)
机の上に縮刷版四冊を置く陽鞠。
寿道「ぼく、もっと向こうの席に座るから」
陽鞠「え、なんで?」
寿道「こういうことはな、まずは自分の世界
に没頭してやるもんなんや」
陽鞠「ボットー」
頷く寿道。
陽鞠「うん、そっか。そやんね」
離れた席へと歩いて行く寿道。陽鞠、
席に着く。
陽鞠「よっしゃ、ボットー開始や」
朝日新聞縮刷版、後半あたりのページ
をパッと開く陽鞠。
陽鞠「いきなり当たるってか」
【犯人を狙撃 人質全員救う】の一面
大見出しと、毛布で体を覆われ、警察
官に付き添われ歩いて行く女性の人
質たちの写真が掲載されている。しば
らくその写真を見ている陽鞠。やがて
ページを繰っていき社会面へ。
陽鞠「うわっ」
狙撃され、顔中血まみれの犯人、緑山
が担架に乗せられ運ばれていく写真が
掲載されている。
陽鞠「こんな写真、載せてもええのん……」
記事を読み進めていく陽鞠。
× × ×
縮刷版を読みふけっている陽鞠。やっ
てくる寿道。
寿道「杉原さん」
陽鞠、気づかない。
寿道「杉原さんって」
顔を上げる陽鞠。
寿道「外行こか。もうお昼や」
微笑む寿道を見て頷く陽鞠。
〇コンビニエンスストア・イートインコーナー
横並びに座り食事をしている陽鞠と
寿道。陽鞠はサンドイッチにオレン
ジジュース。寿道はおにぎりにお茶。
浮かない顔の陽鞠。
寿道「全然しゃべらんし」
陽鞠「え」
寿道「図書館出てからずっと」
陽鞠「うん。キツイわ正直」
寿道「スマホでちょっとは調べてたんやろ」
陽鞠「うん。けど新聞記事読んだら、なん
ていうか、リアル感の圧をすごく感じる
んよ。ほんまに酷い事件やったんやなあっ
て、実感するっていうか――めちゃくちゃ
やってるやん、犯人の緑山」
寿道「うん――人質どうしで耳――ごめん、
食べてるときにする話やないな」
陽鞠「かまへん、食べてるときにする話や
ないこと調べてるんやから。ほんま、死
んだふりしてる人の耳、同じ人質に削が
させるやなんて、どんな神経してんのや」
寿道「杉原さん」
陽鞠「なに」
寿道「おばあさん、人質やったって、やっ
ぱり思ってる?」
寿道を見つめ、小さく頷く陽鞠。
寿道「それ、確かめたい?」
陽鞠「正直、分からへんくなってる」
おにぎりを食べ終え、ナップザックか
らピルケースと水の入った小さなペッ
トボトルを取り出す寿道。掌に薬を
二錠置き、陽鞠を見て笑う。
寿道「昼は二つだけ。朝晩は五つ。これでも
少なくなった方」
ペットボトルの水で薬を飲み下す寿道
をじっと見ている陽鞠。
〇大阪市立中央図書館・一階フロア
縮刷版をコピーしている陽鞠。
〇前同・エントランス
向かい合っている陽鞠と寿道。
寿道「そしたら、今日はこれで」
陽鞠「やっぱり、春野君の言うたこと正解や
った」
寿道「え、なにが?」
陽鞠「二月になっても事件の記事たくさん載
ってるわ。なんであんな酷い事件がおきた
んか、記者の人が一生懸命追っかけてるの、
よう分かるわ」
寿道「リアル感の圧やな、昭和の」
陽鞠「うん、ほんまに」
寿道「それに負けんようにせんとな」
陽鞠「うん。春野君はちっさい時からここ
に通ってたんや」
寿道「うん、ここで本ばっかり読んでた――
って今でもやけど。そしたら三日後」
陽鞠「うん」
去っていく寿道。その背中を見送って
いる陽鞠。
陽鞠「春野君!」
振り返る寿道。
陽鞠「あんたええなあ、こんなええ図書館が
すぐ近くにあって!」
頷く寿道。
寿道「ここ、ぼくのホームグラウンドや!
杉原さん、今日いっしょにここ来れて、な
んかすごい嬉しかったわ! ありがとう!
昭和に負けんとこな! さいなら!」
寿道、晴れやかな笑顔で手を挙げ、振る。
陽鞠(M)「(うわ、これ、ヤバいんちゃう…
…)」
陽鞠「うん、さいなら!」
陽鞠も手を挙げ、振る。逆方向へ歩き
出す二人。
陽鞠「マジで、ヤバいかも……」
陽鞠、歩いていく。
〇杉原家・居間(夜)
向かい合って食事をしている陽鞠と
佳也子。
佳也子「図書館でよう勉強できたんか」
陽鞠「え、あ、うん。まあ」
佳也子「なにを調べてるのんや」
陽鞠「え――えっと、あんな、プロ野球の試
合のこと、調べてるねん」
佳也子「あんた野球なんかそないに好きやっ
た?」
陽鞠、髪の毛を触りだす。
陽鞠「隣の席の子がな、野球が好きでな、い
っしょに調べてるんよ。それに、これで
も元ソフト部やし」
佳也子「へえ、そうかぁ」
陽鞠「うん、せやねん」
しきりに髪の毛を触る陽鞠。
〇〈大阪球場・1979年の日本シリーズ
第七戦、九回裏の場面〉
江夏豊の九回裏19球目、三塁走者
藤瀬史朗がホームへ走る。打者、石
渡茂がバントの構えをする。スクイ
ズ敢行。すかさず立ち上がるキャッ
チャーの水沼四郎。カーブの握りの
ままウエストボールを投げる江夏。
石渡の突き出したバットをかいくぐ
るようにして、ボールは水沼のミッ
トに収まる。本塁手前まできていた
藤瀬、慌ててサードベースへ戻ろう
とするが、その背中に激しくミット
を叩きつける水沼。大喜びの広島ベ
ンチ。マウンド付近に集まり江夏を
称える広島内野陣。
その映像に重なる陽鞠と寿道の声。
寿道(声)「杉原さん、ごめん。夜遅くに」
陽鞠(声)「かまへんよ、どうしたん」
寿道(声)「すごいことが分かったんや。『江
夏の21球』は、ほんまは『江夏の14球』
やったんや!」
陽鞠(声)「え、どういうことなん?」
寿道(声)「なに言うてるか分からんやんね。
つまり、事実と真実は違うんや!」
陽鞠(声)「『事実と真実は違う』……」
寿道(声)「明日、学校の情報処理室に来て
くれへん? 開いてるから。視てほしい動
画があるんや。あかんかな」
陽鞠(声)「ええよ。何時にする?」
寿道(声)「十時とか、あかん?」
陽鞠(声)「うん、ええよ」
寿道(声)「いっしょに視て、思ったことと
か言うてほしい」
陽鞠(声)「うん、分かった」
〇朔ヶ原高校・情報処理室(朝)
椅子を寄せ合って座り、パソコンの画
面を視ている陽鞠と寿道。映し出され
ているのはNHKで放送された〈NH
Kスペシャル『江夏の21球』〉。
寿道「ここ、ここなんや!」
画面に映し出されているのは、九回裏、
江夏の14球目を捉えたバッター
佐々木恭介。ワンバウンドした打球は、
ジャンプして捕球しようとした三塁手
の三村敏之の出したグラブの先を掠め、
ファウルゾーンへ。三塁塁審はファウ
ルの判定を下す。
そこで一旦画面を止める寿道。
陽鞠「これが?」
寿道「佐々木が打った球が跳ねたのはフェア
ゾーン。サードの三村がジャンプした位置
ももちろんフェアゾーン。そやから打球が
三村のグラブに触れてたらファウルやなかっ
た。フェアやった。分かるやんね」
陽鞠「これでも元ソフト部やで。補欠やった
けどサードやってん。それくらい分かるわ」
頷く寿道。
寿道「あの打球がフェアやったら、三塁ラン
ナーの藤瀬は当然ホームイン。二塁ランナー
の吹石も代走で足は速い。三塁コーチの仰
木さんは絶対腕回してた。吹石生還の逆転
サヨナラで近鉄は優勝してたんや」
陽鞠「うん」
寿道「触ってたんや」
陽鞠「え」
寿道「サードの三村は佐々木の打球、グラブ
の先で触ってた」
栞の挟まれた一冊の本を陽鞠に差し
出す寿道。文春新書、二宮清純著の『プ
ロ野球「衝撃の昭和史」』である。手に
取り、栞のページを開く陽鞠。
寿道「この本読んで知ったんや。佐々木恭介
さん、1994年に『遥かなる野球少年』
って本を出してる。その時にな、三村さん
に、あの十四球目のこと訊きに行ったそう
や」
開いたページに目を落とす陽鞠。
蛍光ペンで塗られた箇所を音読し始
める。
陽鞠「〈〝あれ、どうやったんですか?〟と。
最初は〝しゃべれんぞ〟と言われたんです
が、〝まぁまぁ、そう言わんと。別にそれ
だけを取り上げるわけじゃありませんから〟
と粘った。すると〝触った。グラブにかすっ
たんや〟と正直におっしゃいました。あそ
こで〝しまったー!〟くらい言ってくれれ
ば良かったんですけど(笑)〉なにこれ、
すごいことやろ、これって」
寿道「うん。めっちゃすごいこと。プロ野球
の歴史が変わってたんやで」
陽鞠「そやのに『カッコ笑い』ってなんなん。
悔しかったはずやん、佐々木って選手。意
味分からへん」
寿道「うん。佐々木さんが悔やんでるのはそ
の前の十三球目を見逃したことなんや」
マウスを操作し、画面を少し前に戻す
寿道。
江夏の投げた九回裏十三球目のストレー
トをあっさり見逃す佐々木。
また本に目を落とす陽鞠。
陽鞠「『あれは一生の悔い。もう四、五十回、
同じ夢を見ています』――そやけど、そや
けどさ。ほんまは三村のグラブに触ってた
んやろ」
寿道「そうや」
陽鞠「それがちゃんと判定されてたら、『江
夏の21球』は『江夏の14球』で近鉄が
優勝してたわけやろ」
寿道「そうや、真実はな」
陽鞠「真実は」
寿道「電話で言うたやろ『事実と真実は違う』
って」
またマウスを操作する寿道。
画面の中、江夏の投げた十四球目を打
つ佐々木。横っ飛びでファウルゾーン
に飛び込む三村。ボールはファウルグ
ラウンドへ。その映像とダブって三村
の顔が映り、語る。
【三村】「〈ああ、ファウルか、ああ、よかっ
たな、思ったんですよ。まあ、ぼくがあん
まり背が高くなくてよかったな、思ったん
ですよ。もうなまじっか大きくてね、少し
でもグラブに当たったりしてるともうフェ
アになってますからねぇ〉
画面をストップさせる寿道。
陽鞠「めっちゃ嘘言うてるやん、この三村っ
ていう人」
寿道「うん、嘘やんな。けど杉原さん、自分
が三村さんと同じ立場やったらどう?」
陽鞠「え」
寿道「こんなインタビュー受けて『いや、あ
れ実はグラブに触ってたんですよ』とか言
える?」
陽鞠「それは――無理」
寿道「やんな。誰かてそうやと思う。けど、
時間たってからやけど、それをちゃんと佐
々木さんに言うた三村さんも、その前の十
三球目を打たへんかったことをずっと悔や
んでる佐々木さんもすごいなあ。一流のプ
ロの心って、ほんまにすごい。ぼくはそう
思う」
陽鞠「――うん」
陽鞠(M)「(あ、またヤバい……)」
寿道、画面に目をやって。
寿道「小説家になれたらなって、思ってた。
なれたらええなあって思ってた。けど、
そんなん無理やろなって思ってた――
今は違う」
陽鞠「違うのん?」
寿道「ぼくは、スポーツのノンフィクショ
ンライターになりたい。一流のプロアス
リートの心技体に迫れる、ライターにな
りたい。運動できひんぼくやからこそ掴
める真実があるはずなんや。どうなった
らなれるやなんて分からへんけど、絶対
になりたい」
陽鞠、ストップモーションの三村敏
之の顔を視ている寿道の横顔をじっ
と見ている。
陽鞠(M)「(あかん。完全にヤバいの超えた、
今のんで……)」
陽鞠「うん。なれるよ春野君やったら。そん
なライターに。絶対なれる」
寿道、陽鞠を見て微笑む。
寿道「ありがとう。杉原さんにそない言うて
もらえると、ほんまになれそうな気がして
きた」
陽鞠「――春野君」
寿道「なに」
陽鞠「わたしもやっぱり真実が知りたい」
寿道「おばあさんのこと」
頷く陽鞠。
陽鞠「今晩、確かめる」
陽鞠も画面を視る。
〇杉原家・居間(夜)
食事後。見つめ合って座っている陽鞠
と佳也子。
陽鞠「以上、ばぁばは七星銀行東里支店立て
こもり事件の人質やったっていうのがわた
しと春野君の最初からの推測や。どうなん、
ばぁば」
佳也子「――野球のこと調べてるんやなかっ
たんか」
陽鞠「そんなん嘘やって分かってたやろ。わ
たしばぁばになにを調べてるか訊かれた
とき、めっちゃ髪さわってたやろ、後で
自分で気がついたんやけど」
佳也子「――」
陽鞠「子供のときばぁば言うたやん。わたし
がなんかしょうもない嘘ついたときや。
『よう覚えとき、あんたは嘘つくとき髪
触る癖があるんや』って。そんで頬っぺ
た思いっきりつねったやん。めっちゃ痛
かったわ。久しぶりについた嘘やからつ
い癖が出たみたいやわ」
佳也子「嘘はつかへん約束、あのときした
はずやのにな」
陽鞠「そやな。けどばぁばも嘘つきや。ずっ
とずっとの嘘つきや」
佳也子「陽鞠、あんた」
陽鞠「ほんまは赤い髪やのに黒に染めて。
わたしこの髪大好きや。このバーガンディ
大好きや。そやから学校に地毛証明書出し
てる。サマルカンドの沖村さんにハンコつ
いてもらって、そんなアホみたいなもん出
してる。けどばぁばは黒に染めてる。嘘の
髪の毛でずっと生きてる。大噓つきはどっ
ちやのん」
佳也子「陽鞠っ!」
陽鞠「なんやのん!」
佳也子「あんたにわたしのなにが分かるんや!」
陽鞠「なんにも分からへんわ! そやから知り
たいんやろ! なにを隠すん! なんで隠す
ん! なんであんな大きな声でチャンネル替
えろって言うたん! なんであの夜喚き声あ
げて飛び起きたん! なんで髪の毛ずっと染
めてるん! 隠し事して嘘ついてるのは、ばぁ
ばの方やんか!」
陽鞠をじっと見つめる佳也子。その視
線を外さない陽鞠。
陽鞠「なあ、あの銀行に勤めてたんやろ。事
件の時裸にされて、犯人の周りに座らされ
てたんやろ」
佳也子「そんなに知りたいんか、あの事件の
こと」
陽鞠「知りたい。ばぁばがずっとしんどい思
いしてきたんやったら、よけいに知りたい
――お父さんとあ母さんとじぃじ、いっぺ
んに死んでから、二人で生きてきたんやん
か、ばぁば」
俯く佳也子。ため息をつき首を横に振
る。
佳也子「七星銀行の東里支店には勤めてた。
けど、あの事件のときにはもう退職してた」
陽鞠「――そう、なん?」
佳也子「そうや。今の料理教室で助手やって
たときや。あの事件が起きたのは」
陽鞠「ほんまに人質やなかったん」
佳也子「陽鞠――わたしが体許した男は順平、
あんたのじぃじだけやない。もう一人いて
る」
陽鞠「え?」
佳也子「あの人質事件の犯人、緑山勝次が、
わたしの最初の男や」
息を呑む陽鞠。
(続)