シナリオ・駒は乙女に頬染めさせて②
平瀬たかのり

〇北海道・大里育成牧場・放牧地【九月】(早暁)
  大きな放牧地の前に看板が出ている。
  白み始める空。鳴きかわす鳥の声。
  寿々芽が歩いてくる。そのシルエット。

〇大里育成牧場での寿々芽の様子〈午前中〉
   ●育成馬に飼葉を与えている寿々芽。
   ●育成馬にブラッシングをする寿々芽。
   ●育成馬を放牧地に連れて行く寿々芽。
   ●空になった馬房を掃除する寿々芽。
   ●調教コース。他のスタッフと共に育
    成馬の馴致をする寿々芽。
    ×     ×    ×
   〈正午すぎ〉
   放牧地の中。育成馬が草を食んだり寝
   たりしている中、おにぎりとお茶の昼
   食を摂っている寿々芽。
   食べ終え、寝転がる。抜けるような青
   空を見上げ、目をつむる寿々芽。
    ×     ×    ×
〈午後〉
   ●調教コース。再び育成馬の馴致をし
    ている寿々芽。
   ●スタッフと共に育成馬を収牧してい
    る寿々芽。
   ●馬房で育成馬に夕飼いをつけている
    寿々芽。
   ●仕事を終え馬房を出る寿々芽。

〇同・本棟・二階家屋部・ダイニングキッチン(夜)
   夕飯を食べている大里一家。場長の大里正純
   (47)、妻の仁美(35)、双子の娘、伽耶
   (4)と沙耶(4)。娘たちの間に寿々芽が座っ
   ている。
正純「ほれ、いけ寿々芽。それとも水割りのほうがい
 いか」
   瓶ビールを寿々芽に差し出す正純。
仁美「あなた」
正純「はははは」
寿々芽「……すみません、いただきます」
   受ける寿々芽。半分ほどを飲む。
仁美「よかったねパパ。晩酌相手ができて」
正純「ああ」
寿々芽「あの、いつもすみません。お邪魔だったら言っ
 てください。寮の方で食べますから」
仁美「誘ってるのはこっちなのに、なに変なこと言って
 るの。伽耶、沙耶、寿々芽ちゃんのこと邪魔?」
伽耶・沙耶「ぜんぜん!」
伽耶「パパが寿々芽ちゃんのこと邪魔って言ってるの!?」
沙耶「そんなの言うパパ大嫌い!」
正純「とんだとばっちりじゃねえか。パパは寿々芽ちゃん
 のこと大好きだよ」
伽耶「じゃあママが!?」
仁美「なんでよ。ママも寿々芽ちゃんのこと大好きよ」
伽耶「よかった! 伽耶も寿々芽ちゃんのこと大好き!」
沙耶「沙耶も大、大、大好き!」
正純「子供にこれだけ好かれてるのは寿々芽の人間がまっ
 すぐな証拠だ。まっすぐすぎて林原に水割りぶっかけ
 たわけだが」
寿々芽「……」
仁美「もう、いいかげんにしてよ」
正純「いいじゃねえかよ。俺は大拍手だよ。昔から気に
 入らん、あの林原って馬主は。テキのローテに口挟む
 は、転厩させるは。それで今回の乗り替わりだ。デカ
 い顔しすぎなんだよ。寿々芽がしたことは褒められた
 ことじゃない。けどな、あれで溜飲下がった競馬関係
 者、山ほどいるんだ」
仁美「この人、海野さんからお話あったとき、二つ返事
 でオッケーしたんだから」
寿々芽「……でも、やっぱり、後悔してます」
正純「ん?」
寿々芽「自分が惨めになっただけだし。それに、姫香の
 お祝いの席を、あんな形でむちゃくちゃにしてしまって……
 あの子の言う通り、わたし最低なことをしました」
   うつむく寿々芽。
伽耶「泣いてるの寿々芽ちゃん」
沙耶「泣いちゃだめだよ。寿々芽ちゃん泣いたら沙耶も
 泣きたくなっちゃうよ」
伽耶「伽耶もだよ――そうだ、いいこと思いついた! 
 寿々芽ちゃん今日うちでお泊りしなよ! だって保育
 園のお泊り会ってすごく楽しいもん! 元気出るよ!」
沙耶「そうだよ! 伽耶頭いいね! ねえ、いいよねマ
 マ!」
仁美「大きなお布団敷いてあげるから、三人でいっしょ
 に寝なさい」
伽耶・沙耶「やったー!」
正純「二人とも寿々芽に泊まってほしいだけじゃないか
 よ。すまんな、ガキのわがまま聞いてやってくれるか」
寿々芽「はい」
伽耶「やったー、寿々芽ちゃんとお泊りだー!」
沙耶「やった、やったー!」
   寿々芽の手を握る伽耶と沙耶。小さなその手を握
   り返す寿々芽。

〇同・本棟外景(夜)
   夜が更けていく。

〇秋華賞・ゴールシーン
   逃げ切って勝つマリアラパス。
   〈T〉秋華賞 マリアラパス優勝

〇エリザベス女王杯・ゴールシーン
   逃げ切って勝つマリアラパス。
   〈T〉エリザベス女王杯 マリアラパス優勝

〇新聞記事
   マリアラパスの最優秀三歳牝馬受賞を伝える
   記事。同じ紙面に〈鞍上、姫香は特別表彰!〉
   と大きく載っている。

〇大里育成牧場・放牧地前【春】
   馬運車がやって来る。待っている大里と
   スタッフ。寿々芽もいる。
   馬運車が停まり、競走馬スペースの扉が開かれ、
   架け橋が渡される。その上を牧場スタッフに曳
   かれ、ゆっくりと降りてくる栗毛馬。地に降り
   立つ。
正純「レナーテ。うちの育成馬。栗東の桃谷厩舎所属
 の四歳牝馬。期限を決めん放牧だ」
寿々芽「桃谷先生のところの――たしか追い切りのと
 きに骨折した馬がいたんじゃ」
正純「それだよ。デビューから二連勝。三戦目前の追
 い切り中に予後不良レベルの骨折。馬主のたっての
 願いで延命することになってな、手術して歩けるま
 でになった。右前脚にボルトが入ってる。それで折
 れた骨を繋いでる」
寿々芽「ボルト、ですか」
正純「ああ。競争能力は回復しているそうだ。けど、
 目いっぱい走ることを怖がっているみたいでな」
   レナーテをじっと見つめる寿々芽。タクシーが
   やって来て停まる。初老の男と少女が降りる。
    ×     ×    ×
   放牧地に佇むレナーテ。柵に手をかけ、レナー
   テをじっと見ている少女、朝倉美途(14)。
   その後ろ姿を見ている寿々芽のところへレナー
   テの馬主、朝倉寛一(61)が近づいていく。
寛一「橘川さん」
   振り向く寿々芽。
寛一「初めまして。レナーテの馬主の朝倉です」
寿々芽「初めまして。橘川です」
寛一「(美途を見て)姪の美途です。わたしが引き取っ
 て育てています。二年前に両親を交通事故で亡くし
 ましてね」
寿々芽「――そうですか」
寛一「末の弟夫婦です。あの子は一人娘でね。追い切り
 に連れていったんです。あの馬の走りを見せてやりた
 くてね――親の葬儀のときも気丈にふるまって泣かな
 かったあの子が『殺しちゃやだ! 殺しちゃやだ!』っ
 て馬運車の中で馬体にすがりついてね」
寿々芽「……」
寛一「わたしが二十年で持った馬は八頭。今持っている
 のはあの馬だけです」
寿々芽「繁殖に上げるとかは?」
寛一「もちろん考えました。でもあの子に、美途にレナー
 テの走る姿をもう一度見せてやりたくてね――橘川さん。
 あなたをすがってやってきました。マリアラパスを手の
 内に入れたあなたの力で、レナーテを再び走れるように
 してやってくれませんか」
  美途の後ろ姿を見つめる寿々芽。
寛一「使いだしは早かったんです、あの馬。見事な追い込
 み勝ちで二連勝。デビュー戦と二戦目、違う新人騎手を
 乗せてね」
   振り返る美途。寿々芽を見る。寿々芽も美途をじっ
   と見る。

〇同・調教コース【翌日】
   調教コースを走るレナーテ。鞍上は寿々芽。

〇同・放牧地
   他馬といっしょに放牧されているレナーテ。一頭ポ
   ツンと佇む同馬を柵の向こうから見ている寿々芽。
   正純がやって来て、寿々芽の横に立つ。
正純「どうだ、レナーテは」
寿々芽「はい。しっかり馬銜(ハミ)を取って走ってくれ
 ません。常に五分の力で走っている感じです」
正純「そうか。やっぱり走ることを怖がってる感じか?」
寿々芽「はい――それと」
正純「ん、なにか気づいたことがあるのか?」
寿々芽「ボルトが入ってるんです。繊細なタイプの馬だか
 ら、違和感があるんじゃないでしょうか。それが少しで
 も解消されたら、あるいは」
正純「違和感か。性格は?」
寿々芽「素直で従順です。追っても応えてくれないところ
 以外は。クラスでいちばんおとなしい女の子ってところ
 ですかね」
正純「なるほどな」
   レナーテを見る二人。

〇同・レナーテの馬房前
   馬房の中のレナーテ。その前に立っている寿々芽。
寿々芽「姪のためだとか言ってさ。結局馬主のエゴじゃない――
 走りたい、あんた?」
   見つめあう人馬。

〇同・本棟前【数日後】
   正純の運転する車が本棟前に止まる。
   降車する正純に続き、助手席から青年が降りる。
   そこへ一輪車を押してやってくる作業中の寿々芽。
正純「寿々芽。ちょうどよかった。装蹄師の千堂駿太く
 んや」
  寿々芽と向かい合う千堂駿太(23)。
正純「彼はすごいぞ。去年の全国装蹄師大会でぶっちぎ
 りの優勝。今年になって開業した。寿々芽の言う違和
 感ってやつが少しでも解消されんかと思ってな」
   駿太を見る寿々芽。分かるかどうかの会釈をする
   駿太。

〇同・削蹄場
   釘節刀(ちょうせつとう)を使い、レナーテの蹄
   鉄を外す駿太。外した蹄鉄をためつすがめつして、
   ふっと笑う。
駿太「こんなテツを履いてる限り、この馬は全力で走ら
 ないね。ボルトが入ってるんだよね、右前足に」
正純「ああ」
駿太「脚――って言うか体そのものにテツが合っていな
 いんだ。ボルトが入ってこの馬の脚はそれまでと別物
 になった。歩様も変わったはずだ。なのに蹄にだけ合
 わせたテツを打ってもなんの意味もない。全体を見な
 くっちゃ。それくらいのことは分かっててほしいなあ」
寿々芽「えらそうに言ってるけど、その意味あるテツっ
 ての打てるの、あなた?」
正純「こら、寿々芽」
寿々芽「だってこの人、さっきから」
   寿々芽を睨む駿太。
駿太「俺はな、六つのときから爺ちゃんに付いてテツ打っ
 てきた」
寿々芽「六つ……」
駿太「ずっとテツばっかり打ってた。高校も行ってない。
 爺ちゃんは俺になにも教えなかった。見て全部覚えた。
 爺ちゃんが死んだ今は、俺が日本――世界でいちばん
 の装蹄師だ。俺の手は、爺ちゃんの手だ」
   駿太の気迫に言葉が出ない寿々芽。
正純「寿々芽、彼に任せてみようや」
   屈みこみ、レナーテの右前脚を慎重に触る駿太。
    ×     ×    ×
   レナーテの削蹄をする駿太。削蹄剪鉗(さくてい
   せんかん)を使い、大胆かつ繊細に蹄を削ってい
   く。その様をじっと見ている寿々芽、伽耶、沙耶。
伽耶「痛くないのかな……」
沙耶「うん……」
寿々芽「二人ともママに爪を切ってもらうでしょ。あれ
 と同じよ」
   寿々芽をチラッとみる駿太。
寿々芽「なに? 女子供に見られてたら世界一の腕は鈍っ
 ちゃう?」
   ふふっと笑う駿太。
   ×     ×    ×
  鍛冶台を前にして蹄鉄を打つ駿太。
   ×     ×    ×
  蹄鉄をレナーテの蹄に押し当てる駿太。ジュワッっ
  と音がして煙が上がる。
伽耶・沙耶「うわっ!」
   二人を見て微笑む駿太。
駿太「魔法を使ってるから熱くないんだ」
寿々芽「――嘘教えてんじゃないわよ」
    ×     ×    ×
   出来上がった蹄鉄をレナーテの蹄に釘で打ち付け
   る駿太。仕上げを終え、右前脚の装蹄を終える。
   寿々芽を見て。
駿太「四本全部終わるまで見てるつもり?」
   頷く寿々芽。伽耶と沙耶も頷く。駿太苦笑して、
   左前脚の装蹄に移る。
    ×     ×    ×
   装蹄作業を終えた駿太。大里一家が見守る中、
   手綱を取ってレナーテを歩かせる寿々芽。数歩
   歩き、足元を見る。落ち着かないその素振り。
寿々芽「とまどってる」
正純「え」
寿々芽「今までと違う感じに驚いてます――伽耶ちゃ
 ん、沙耶ちゃん。このお兄ちゃん、本当に魔法使い
 なのかもしれないわ」
   真顔でコクコク何度も頷く伽耶と沙耶。
駿太「今日は歩かせるだけにして、テツに慣れさせた
 方がいいと思うよ」
正純「分かった。調教は明日からにするよ。本当にあ
 りがとう」
駿太「仕事だから――あとどうなるかは、乗る人間の
 力次第なんじゃないの」
   寿々芽を見る駿太。
寿々芽「言ってくれるわよね、ほんと」
駿太「やばい、言いすぎるとなにされるか分かんない」
寿々芽「あなたねぇ!」
駿太「はははっ」

〇同・調教コース【翌日】
   レナーテの調教をしている寿々芽。

〇同・本棟前
   正純が待っている。戻ってくるレナーテと寿々
   芽。下馬する寿々芽。
正純「どうだった?」
寿々芽「しっかり馬銜を取って、指示通り八分の力で
 走ってくれました。ゴーサイン出してれば、目いっ
 ぱいでもいけました」
正純「そうか、うん」
   レナーテの足元を見る寿々芽。

〇同・調教コース【数日後】
   寿々芽を乗せ、併せ馬で走っているレナーテ。
   その様子を見守っている寛一と美途。

〇同・放牧地前
   併せ馬を終えたレナーテを、寛一、美途の前
   へ誘導し、下馬する寿々芽。
寛一「ありがとう、橘川さん」
寿々芽「いえ、わたしはなにも。美途ちゃん」
   寿々芽を見る美途。
寿々芽「わたし場長にレナーテのこと『クラスでい
 ちばん目立たない女の子』って言ったことがある
 の。でも今はそれに付け加えることがある。彼女
 はクラスでいちばんガッツのある子だった。思い
 切り走りたくってうずうずしてる。大きな骨折し
 たのにね、すごい馬だよ」
   頷き、レナーテの顔を撫でる美途。
寿々芽「乗ってみる?」
美途「え」
寿々芽「レナーテなら大丈夫」
   頷く美途。美途を補助し、レナーテに乗せる
   寿々芽。
美途「こんなに高いんだ」
寿々芽「怖い?」
美途「少し――でも、きれい。これが寿々芽さんが
 いつも見てる景色なんだ」
寿々芽「うん、そうだよ」
寛一「あと二週間で謹慎も明けますね」
寿々芽「あ、はい」
寛一「栗東でも頼みましたよ、レナーテ」
寿々芽「え」
寛一「桃谷調教師には、レナーテの主戦騎手をあな
 たにしてほしいとの要望を伝えてあります。彼が
 了承されたら、わたしからあなたを降ろすことは
 ありません」
美途「わたしも、レナーテには寿々芽さんに乗って
 ほしい」
   レナーテを見る寿々芽。人馬が見つめあって。

〇同・放牧地前【二週間後】
   車が止まっている。大里一家、牧場スタッフ
   が揃っており、旅装の寿々芽がその前に立っ
   ている。
寿々芽「本当にお世話になりました。みなさんのこ
 とは、一生忘れません」
仁美「体には気をつけるのよ。お酒も飲みすぎない
 ようにね」
寿々芽「はい。奥さんもお元気で」
   グズグズ泣いている沙耶。
伽耶「ダメだよ、沙耶。泣かないって約束したでしょ」
沙耶「でも、でも……」
伽耶「泣いちゃダメだってば……」
   伽耶も泣き出す。歩み寄って屈み、二人を抱き
   しめる寿々芽。
寿々芽「伽耶ちゃん、沙耶ちゃん。ありがとうね。ま
 たきっと遊びに来るからね――そうだ、最後にいい
 こと教えてあげようか」
伽耶・沙耶「なに」
寿々芽「この前さ、また魔法使いのお兄ちゃん来て、
 レナーテの足に魔法かけたでしょ」
伽耶・沙耶「うん」
寿々芽「あのときね、わたし魔法使いから好きだって
 告白されちゃった。恋人になってほしいって」
伽耶・沙耶「えぇっ!」
寿々芽「わたしのこと考えると、夜寝られなくなるん
 だってさぁ」
伽耶「なんて返事したの?」
寿々芽「ん~、まだ考え中。どうしたらいいと思う?」
沙耶「『うん』って言っちゃえばいいと思う」
伽耶「そうだよ。だって魔法使いの恋人なんてすごい
 よ!」
寿々芽「あはは。そっか。うん、分かった。まだだれ
 にも秘密だよ」
   人差し指を唇に当てる寿々芽。まねをする伽耶
   と沙耶。立ち上がる寿々芽。
正純「じゃあ、そろそろ行こうか」
寿々芽「はい」
   運転席に入る正純に続いて、寿々芽が助手席に
   乗り込む。発進する車。
   助手席のウィンドウが開く。身を乗り出して振
   り返り、手を振る寿々芽。
寿々芽「さようならー、ありがとうー」
   見送るだれもが手を振っている。
寿々芽「奥さーん、伽耶ちゃーん、沙耶ちゃーん。み
 んなー。大好きー。遊びに来るからー。きっとまた
 来るからー。さようならー、さようならー」
   見送るだれもの姿が見えなくなるまで、大きく
   手を振り続ける寿々芽。

〇栗東市内の焼肉店【一週間後】(夜)
   暖簾が出ている。

〇同・店内(夜)
   座敷席に座っている寿々芽。隣に久和。向か
   い合っている泰道。その隣の桃谷旭延(53)
旭延「『あぁっ! なんだよ!』ちゅうてか。わは
 はは」
寿々芽「桃谷先生……」
旭延「ヤスも形無しやったなあ。ほれ、飲め、寿々
 芽」
寿々芽「――いただきます」
   旭延のビールを受ける寿々芽。
旭延「久和よ。おまえももうちょっと気合入れて寿
 々芽にええ馬乗せたらんかい」
久和「はぁ。不徳の致すところで……」
旭延「寿々芽、レナーテの評価をしてみろ。返答次
 第によってはヤネの話はなしや」
   旭延をじっと見る寿々芽。
寿々芽「――脚質は差し追い込み。追ってからキレ
 のある脚が使えます。距離の融通はききますが、
 最適性距離は二千から二千四百くらいかと。性格
 は従順で我慢強い。相当の潜在能力を持っている
 と思います」
旭延「『相当』? 曖昧なこと言いなや」
寿々芽「――ケガがなければ桜花賞でマリアと勝負
 できてました。GⅠ級です」
旭延「よし、合格。わしな、あの馬骨折した後しば
 らくまともに寝られへんかった。三戦目のヤネ、
 アルヌールに頼んでたんやで。けど腹決めた。今
 日からレナーテの主戦はおまえや。しかし林原か。
 因縁やなあ」
寿々芽「え、因縁って?」
旭延「あいつに転厩いてこまされたのはわしや――
 アルカディアナイトは大事に使っていかんとあか
 ん馬やったんや。結果見てみぃ、レース中に骨折、
 予後不良や」
寿々芽「そうだったんですか」
旭延「ええか寿々芽、マリアラパスが立ちふさがっ
 とるぞ。あの馬は今や現役最強牝馬や。エリ女も
 連覇するやろ。な、ヤス」
泰道「――待ってる」
寿々芽「はい」
   正座をする寿々芽。
寿々芽「三門先生、木本先生、桃谷先生。本当にあ
 りがとうございます。こんなわたしのために、あ
 りがとうございます――」
   頭を下げる寿々芽。
旭延「よっしゃ、食おうや。寿々芽、肉置いていけ。
 近江牛や。旨いぞぉ。ジンギスカンに慣れた舌が
 びっくりするぞぉ」
寿々芽「はぁ!? 先生ジンギスカン馬鹿にしてる
 とか? 信じられない!」
旭延「おー怖い。ビールぶっかけんなや」
寿々芽「……そんなのばっかり」
   爆笑する三人。寿々芽も笑う。

〇エリザベス女王杯・ゴールシーン
   逃げ切り勝ちを決めるマリアラパス。
   〈T〉マリアラパス、エリザベス女王杯優勝。
    二連覇達成

〇阪神競馬場・芝コース
   〈T〉12月 阪神10R 猪名川特別・
    一四〇〇m(芝・良)
    スタート地点で輪乗りをしている出走各馬。
    レナーテ鞍上の寿々芽。
穣一「寿々芽」
寿々芽「はい」
穣一「おまえの報告書、読むの楽しみやったで。え
 え土産持って帰ってきたな」
寿々芽「――はい。ありがとうございます」
浩紀「海野さん、土産いうのは人にあげるもんやな
 いですか。なあ、アル」
   アルヌール(30)流暢な日本語の関西弁で。
アルヌール「ほんまやで。骨折してなかったら、そ
 れボクの馬やないの。腹立つなあ。水割りかけた
 ろか」
寿々芽「……そういうの、ほんとにもういいですから」
   騎手たちがどっと沸く。
    ×     ×    ×
   レース。鮮やかな追い込み勝ちを決めるレナーテ。

〇京都競馬場・芝コース
   〈T〉一月 京都11R 京都金杯GⅢ・
    一六〇〇m(芝・稍重)
   三着でゴールインするレナーテ。

〇京都競馬場・芝コース
   〈T〉二月 京都11R 京都牝馬特別
    GⅢ・一四〇〇m(芝・稍重)
   三着でゴールインするレナーテ。

〇阪神競馬場・芝コース
   〈T〉四月 阪神11R 阪神牝馬ステー
    クスGⅡ 一六〇〇m(芝・良)
   三着でゴールインするレナーテ。

〇栗東トレセン・桃谷厩舎・レナーテ馬房前
   【一週間後】
   馬房にいるレナーテの前に立っている寿々
   芽と旭延。
旭延「距離が足らんかったいうのもあるんやけど、
 追い込んで届かんのう」
寿々芽「最後いい脚は使ってくれてます。あとひ
 と踏ん張りできれば」
旭延「疲れもちょっと出てるみたいやし、ええ空
 気吸わせたるか」
寿々芽「放牧ですか」
旭延「ああ」
寿々芽「だって。みんなによろしくね、レナ」
   レナーテの鼻づらを撫でる寿々芽。

〇京都競馬場・芝コース【二週間後】
   ゲートインしている寿々芽と騎乗馬。
   ゲートが開く。いきなり後ろ脚で立つ寿々
   芽の馬。
寿々芽「うわっ!」
   その後の激しい斜行。御せない寿々芽。
   隣の穣一騎乗馬の進路を妨害する格好にな
   る寿々芽の騎乗馬。
     ×    ×    ×
   三着で入線する穣一の馬。最下位入線の寿
   々芽が後方からやってくる。
寿々芽「海野さん、すみませんっ」
穣一「気にするな。不可抗力や。ああなったら俺
 だって御せん」
寿々芽「でも……」
穣一「けど裁決はそう見てくれんぞ。二日食らう
 覚悟しとけよ」
寿々芽「はい――」
穣一「レナーテは放牧中か」
寿々芽「え、そうですが」
穣一「おまえも行って来たらどうや、北海道」
寿々芽「え」
穣一「騎乗停止にならんと、骨休めもできひん
 ところまで来たか。おまえも」
   寿々芽を見てニヤッと笑う穣一。
   審議を伝える場内アナウンスが響き始める。

〇大里育成牧場・放牧地前【二週間後】
   正純の車が止まる。助手席から降りる寿々
   芽。伽耶と沙耶が駆けてくる。寿々芽も走
   り出す。
伽耶・沙耶「寿々芽ちゃーんっ!」
寿々芽「伽耶ちゃーん! 沙耶ちゃーん!」
   その様を本棟から出てきた仁美が微笑んで
   見ている。

〇同・放牧地
   寝ころんでいる寿々芽。両脇に伽耶と沙耶。
   少し横にレナーテが寝ている。
伽耶「この前来たよ、魔法使い。馬の脚にいぱい
 魔法かけてった」
寿々芽「そう。レナーテの脚にも魔法かけにくる
 んだよ。飛行機に乗ってね」
沙耶「えー、魔法使いなのにホウキに乗って空飛
 べないの?」
寿々芽「あー、そういうのはダメ。あいつの魔法
 は馬限定だから」
伽耶「魔法使いの恋人ってどんな気分?」
寿々芽「ん? まあ人間といっしょだよ」
伽耶「エンキョリレンアイなんだよね、寿々芽ちゃ
 んと魔法使いって」
寿々芽「なんでそんな言葉知ってんの?」
伽耶「だってママが言ってたもん。ねー」
沙耶「ねー」
寿々芽「ふふ、そっか。でもさぁ、あいつあんな
 偉そうな物言いしてたくせにさぁ――くくくっ。
 ぶははははは」
伽耶・沙耶「なに、なに?」
寿々芽「だめー、教えなーい。二人がもっと大人
 になってから~」
伽耶「やだー、そんなの」
沙耶「教えてよー、寿々芽ちゃーん」
寿々芽「だめー。ママに怒られちゃうよ~ん」
   二人を抱きよせる寿々芽。戯れる三人をレ
   ナーテがじっと見ている。

〇ヴィクトリアマイル・ゴールシーン
   最後の直線、後続を引き離しゴールインす
   るマリアラパス。
   〈T〉マリアラパス、ヴィクトリアマイル
   優勝

〇大里育成牧場・事務所
   ソファに座り、テレビに映し出される姫香
   の優勝インタビューを観ている寿々芽と仁
   美。
仁美「勝っちゃったね、ヴィクトリアマイル」
寿々芽「はい」
仁美「彼女に謝りには?」
寿々芽「海野さん通じて打診してもらったんです
 けど、断られました」
仁美「そっか――前にさ、あのこと後悔してるっ
 て言ったよね」
寿々芽「はい」
仁美「でも、あれがあったから寿々芽ちゃんはこ
 こに来た。そしてレナーテに会えた」
寿々芽「……」
仁美「あれがあったから、わたしたちは寿々芽ちゃ
 んに会えた」
   インタビューに答える姫香をじっと見つめる
   寿々芽。

〇阪神競馬場・芝コース
   〈T〉六月 阪神・マーメイドステークスGⅢ・
    二〇〇〇m(芝・良)
   追い込みで勝利を決めるレナーテ。

〇同・検量室前
   旭延とがっちり握手をする寿々芽。

〇札幌競馬場・芝コース
   〈T〉七月 札幌・クイーンステークスGⅢ・
   一八〇〇m(芝・良)
   またも追い込みで勝利するレナーテ。
     ×    ×     ×
   レナーテの口取り。ゼッケンを広げている寿々
   芽。厩舎関係者が揃い、寛一、美途、伽耶、沙
   耶が手綱を握っている。正純、仁美、駿太もい
   る。笑顔の誰も。
寿々芽「美途ちゃん、乗馬教室通い始めたんだってね」
美途「はい。あの、寿々芽さん」
寿々芽「なに」
美途「――やっぱり、ちゃんと受かってから報告します」
寿々芽「え?」
   寿々芽を見て強く頷く美途。

〇京都競馬場・芝コース
   〈T〉十月 京都・京都大賞典GⅡ・
    二四〇〇m(芝・不良)
   雨中のレース。最後の直線、三頭がデッドヒー
   トを繰り広げている。その後ろから一気にやっ
   てくるレナーテ。鞭を入れる寿々芽。瞬時に加
   速。大外から前三頭にぐんぐん迫っていく。二
   頭を抜く。だが勝ち馬に一馬身届かず。
   僅差の二着でレースを終えたレナーテの鞍上で
   首を傾げる寿々芽。

〇栗東トレセン・三門厩舎・馬房【一週間後】
   馬房の清掃をしている寿々芽。
晃子「寿々芽ちゃん」
   振り返る寿々芽。晃子が微笑んで立っている。

〇同・木本厩舎への道
   並んで歩く寿々芽と晃子。
晃子「ちーっとも遊びに来てくれへんのやもん。お
 菓子もあんまり作らへんようになってしもた。久
 々に腕ふるってチョコレートケーキ作ったんよ。
 食べてくれる?」
寿々芽「はい、ありがとうございます」
晃子「寄ってく? マリアのところ」
寿々芽「え?」
晃子「近寄らんようにしてたんやろ、おいで」
   馬房の中に入っていく晃子。しばらくそこに
   立っているが――入っていく寿々芽。

〇同・木本厩舎・マリアラパス馬房前
   マリアラパスの前に立つ寿々芽。
晃子「先、事務所行ってるから。エビさんもいてる
 よ。ちゃんと来るんやで」
寿々芽「はい」
   馬房を出ていく晃子。マリアラパスの双眸を
   じっと見る寿々芽。マリアラパスも寿々芽か
   ら目を逸らさない。
寿々芽「久しぶりだね」
   人馬の見つめあいがしばらく続く。
   寿々芽、左の片肌を脱ぐ。
寿々芽「ほら、マリアに噛まれた跡。ずっと残って
 るんだよ」
   マリアラパス、首を伸ばし寿々芽の肩に残る
   自身の噛み跡を嘗め始める。
   優しくマリアラパスの首を抱きしめる寿々芽。
   寿々芽の肩に顔を寄せ、噛み後を嘗め続ける
   マリアラパス。
   寿々芽の目から涙が一粒、頬を伝って落ちて
   いく。

〇栗東トレセン・インタビュールーム【一か月後】
   共同インタビューを受けている姫香。
記者A「女王杯三連覇が懸かる今の気持ちをお聞
 かせください」
姫香「そうですね。とくにそれは意識せず、普段
 通りの走りを心掛けたいです」
記者A「そうすれば結果はついてくると?」
姫香「はい。確信しています」
   小さなどよめきがおきる。
記者B「ヴィクトリアマイル以降レースを使って
 いませんがそれについては?」
姫香「全く心配していません。ここ一本に絞って
 調整も順調です」
記者C「マリアラパス一強とみられていましたが、
 ここにきてレナーテが対抗馬として浮上しまし
 た。それについては?」
姫香「今のマリアラパスにとって、相手どうこう
 は関係ありません」
浜田「レナーテ鞍上は因縁の橘川寿々芽騎手です
 が、そのことについては?」
   浜田をじっと見る姫香。
姫香「他の質問をお願いします」
    ×     ×    ×
   共同インタビューを受けている寿々芽。
記者A「大一番を前にした今の気持ちは?」
寿々芽「その前に、まずこの場をお借りして、
 二年前にわたしがとった社会人としてある
 まじき行為についてお詫びを申し上げます。
 とりわけ、寛大なご処置をいただきました
 馬主の林原様には改めて謝罪と感謝の意を
 伝えたいと思います。また、お祝いの席を
 わたしの愚かな行為で台無しにしてしまっ
 た早坂姫香騎手にも、改めてお詫び申し上
 げ――」
浜田「あー、もうそんなんええから」
   浜田を見る寿々芽。他の記者の視線が
   浜田に集まる。
浜田「寿々芽ちゃん、きみ復帰してからそん
 なんばっかり言うてるやん。もう分かったっ
 て。ほら、マスゴミになんか言うてみいや。
 一言一句そのまんま書いたるから。本命は
 マリアラパス。その対抗馬レナーテに乗る
 心境は? はい、どうぞ!」
寿々芽「――全身全霊で勝ちにいきます。マ
 リアラパスに女王杯三連覇はさせません」
   大きなどよめきが上がる。
浜田「相手は逃げ馬、あなたが乗るのは追い
 込み馬。作戦は?」
寿々芽「はぁ? そんなのあったって今ここ
 で言えるわけないでしょ! ふざけたこと
 訊いてんじゃないわよ!」
浜田「はい、いただきました! ケンカスズ
 メが戻ってきたでぇ~~」
   笑いに包まれるインタビュールーム。
   しまった、という顔の寿々芽。
                
〇京都競馬場・芝コース【エリザベス女王杯当日】
   冒頭部に戻って。出走前。
   ●マリアラパス、返し馬の様子。
   ●レナーテ、返し馬の様子。

〇同・スタート地点
   ゲート前での出走馬の輪乗りが始まる。
   ゼッケン番号1、マリアラパスと鞍上、白
   色帽の姫香を見る寿々芽。姫香、その視線
   に気づく。姫香もゼッケン番号18のレナー
   テと桃色帽の寿々芽を見る。二人、どちら
   からともなく視線を外して。輪乗りが続く。
    ×     ×    ×
   スターターが壇上に登る。歓声。
   関西GⅠのファンファーレが鳴り響く。
   ファンファーレ終わり、この日いちばんの
   大歓声。その後の騒めき。
   〈T〉十一月 京都・エリザベス女王杯GⅠ・
    二二〇〇m(芝・良)
ゲートイン。スムーズに進んでいく。  
   最内にマリアラパス。
   大外にレナーテ。
   刹那の静寂。ゲートが開く。

〇同・エリザベス女王杯・レースの様子
   一気に沸く歓声。出走全18頭が飛び出して
   いく。揃ったきれいなスタート。
   最内からマリアラパスがスタートダッシュを
   決め、逃げに入る。
   一コーナーを前に早くも二番手の馬と六馬身
   のリードを取るマリアラパス。
   一コーナーを過ぎるマリアラパス。悠々と逃
   げていく。
   中団から抜ける一頭、レナーテ。
   寿々芽が軽く鞭を一つ。マリアラパスを追い
   始めるレナーテ。どよめきがおこり、それは
   歓声へと変わっていく。
   二コーナーを過ぎるマリアラパス。続いてレ
   ナーテも。
   振り返る姫香。やがて二頭の馬体が合う。並
   走になる。内がマリアラパス、外がレナーテ。
   大歓声。
   向こう正面を二頭が後続十六頭を大きく離し
   て駆けていく。
   並走する二頭。一瞬、寿々芽を見る姫香。一
   瞬、姫香を見る寿々芽。
   一騎打ちの様相を呈したレースに場内は興奮
   と熱狂の坩堝と化す。
   三コーナーへと坂を上っていく二頭。
   後続とは十馬身の差。
   淀の坂、その頂点。一騎打ち。
   坂を下っていく二頭。そのまま四コーナーへ
   と突き進んでいく。
   四コーナーを回り最後の直線へ。
   内、マリアラパスと姫香。外、レナーテと寿
   々芽。
   直線。残り三百メートルを切る。わずかにマ
   リアラパスが出る。レナーテが追いすがる。
   また轡が並ぶ。
   残り二百メートルを切る。
姫香「うあぁぁっ!」
   激しく鞭を振るう姫香。
   マリアラパスが出る。一馬身出る。
   残り百メートル。一馬身半の差がつく。
   そのとき――寿々芽、大きく鞭を振り上げ
   る。渾身の鞭を振り下ろす。
   馬銜を強く取るレナーテ。一気の加速。
   マリアラパスを並ぶ間もなく抜き去るレナー
   テ。
   レナーテが一着でゴールを駆け抜ける。一
   馬身差でマリアラパス。
   大歓声の京都競馬場。やがて沸き起こる万雷
   の拍手。いつまでもなりやまない拍手の中、
   ウイニングランをする寿々芽とレナーテ。

〇同・検量室
   検量を終えた寿々芽。騎手たちから握手攻め
   にあっている。検量を終えた姫香が寿々芽の
   前に立つ。対峙する二人。
姫香「最初から競りかけてくるなんて思ってなかった」
寿々芽「前走終わってから決めた。普通に追い込ん
 でもマリアを差せないって思ったから」
姫香「最後、競り落としたつもりだったけど、違った。
 あれは前に行かされただけ、そうでしょ?」
寿々芽「レナの勝負根性に賭けた」
姫香「当たって砕けろ、か――」
寿々芽「あれしかなかった。あなたとマリアに勝つに
 は、あれしか」
   俯く姫香。そのまま顔を上げない。
姫香「やっぱり『あなた』とか言うんだ。追い切りの
 ときとパーティーのときは『早坂さん』だった」
寿々芽「……」
姫香「どれだけ悲しかったかも知らないでさ」
   歩み寄る寿々芽。姫香の零す涙がぽとぽと床
   に落ちていく。姫香の両肩に手を置く寿々芽。
姫香「どれだけ嬉しかったかも知らないでさ」
寿々芽「ごめんね姫香。ひどいこと言ったね。ひど
 いことしたね。オークス、秋華賞、ヴィクトリア
 マイル、エリ女連覇。おめでとう。すごいよ。姫
 香は本当にすごい」
姫香「わたしは言わない。おめでとうなんて言わな
 い。絶対わたしのほうが辛かった。どんな気持ち
 でマリアに乗ってきたか分かってんの? ねぇ。
 分かってんの?」
   姫香を抱きしめる寿々芽。
寿々芽「うん、うん。ごめんね」
姫香「わたしの方が辛かったんだからぁ」
寿々芽「そうだね、姫香の方が辛かったよね」
泣きじゃくる姫香を抱きしめ続ける寿々芽。
姫香「名前、呼んでよ。悪かったって思うなら、もっ
 と名前呼んでよ。わたし、クソ姫とか、姫カスと
 か言われてたんだからぁ。ずっと言われてたんだ
 からぁ。本当に、本当に死ぬつもりだったんだか
 らぁ」
寿々芽「うん、うん。姫香、姫香」
姫香「もっと呼んでよぉ」
寿々芽「姫香! 姫香! 姫香!」
   泣き続ける姫香を強く抱きしめる寿々芽。二
   人を写すカメラのフラッシュがそこここで光る。

〇栗東トレセン・四階スタンド内【二月】(早朝)
   調教コースが一望できる四階スタンド。久和と
   泰道が調教の様子を見守っている。異なる学校
   の制服を着た二人の少女を連れて穣一がやって
   くる。一人は美途である。
穣一「おはようございます」
   久和と泰道、振り返って。
久和「なんや穣、別嬪さん二人もつれて」
泰道「きみ、颯希ちゃんか?」
   頷く少女、穣一の娘の海野颯希(15)。
颯希「はい。お久しぶりです」
泰道「大きいなったなあ。そうか、競馬学校受かっ
 たんやったな。穣、親子鷹やな」
穣一「なにを。因果な事ですわ。嫁が泣いて泣いて
 ねぇ」
久和「そっちの子は、朝倉オーナーの姪御さんやな」
美途「はい。朝倉美途です。わたしも競馬学校に入
 学します。よろしくお願いします」
穣一「二人が一回追い切り見たい言うから連れてき
 たんです」
久和「ええ日に来たな。もうちょっとしたら始まるで。
 『ターフのプリンセス』と『ケンカスズメ』の併せ
 馬が」
颯希・美途「えぇっ!」
泰道「きさらぎ賞の追い切りに早坂がこっちに来てる
 んや。ライディーンボーイ。皐月賞十分狙える馬や
 から気合い入ってるわ。ついでに新馬の攻め馬頼ん
 だら、心よう受けてくれてな。寿々芽も併せたい新
 馬いてるいうから、それでな」
穣一「ベランダに出て見てこい」
颯希「うん! 行こ!」
美途「うん!」
   顔を輝かせベランダへと駆け出す二人。
泰道「最近の子供は仲ようなるの早いなあ」
穣一「仲ようなってからいろいろあるヤツらもいます
 けどね」
   笑う三人。
久和「先週の騎乗終わってすぐに北海道飛んで死ぬほ
 ど飲み食いしてきたらしいぞ、あの二人。減量大丈
 夫かいな」

〇同・ベランダ(早朝)
   手すりに寄りかかっている颯希と美途。
   調教コースを指さす颯希。
颯希「あ、あれっ!」
美途「来たっ!」
   ウッドチップコースを併せ馬で二頭が走ってい
   る。

〇同・調教コース(早朝)
   並走している寿々芽と姫香の乗る新馬。
   寿々芽、姫香を見る。姫香、寿々芽を見る。一
   瞬微笑み合う二人。
   二人、また真っ直ぐ進路を見て。
姫香「ほうっ!」
寿々芽「ほほうっ!」

〇同・ベランダに戻って(早朝)
   上気している颯希と美途の頬。憧れと希望に
   満ち溢れた二人の瞳、その視線の追いかける先――。
   曙光の中、姫香と寿々芽の騎乗馬が疾走していく。
   ただひたすらに、駆けていく。

                 (了)


散文(批評随筆小説等) シナリオ・駒は乙女に頬染めさせて② Copyright 平瀬たかのり 2023-02-15 18:29:11
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